大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問57 (日本史B(第5問) 問3)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問57(日本史B(第5問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は、自分たちが住む東京に着目して、時代の変化を調べることにした高校生のマサさんとミユさんの会話である。この文章を読み、後の問いに答えよ。(資料は、一部省略したり、書き改めたりしたところがある。)

マサ:江戸が東京に変わったのは、明治維新の時だったよね。
ミユ:今、手元の年表を見ると、a1853年にペリーが来航してから、江戸やそれ以外の場所でも様々な出来事が起きているね。
マサ:江戸幕府の崩壊が、東京に変わるきっかけだから、そこから考えよう。
ミユ:b将軍徳川慶喜が、政権を朝廷に返すことを表明した場所は京都だね。
マサ:幕末は、京都に政治の中心が移っていたようだ。でも、戊辰戦争が始まると、江戸も上野一帯で戦争が起きたりして、動乱に巻き込まれていくよ。
ミユ:その後、江戸は東京になる。旧幕府勢力の抵抗が終わると、新政府の支配は安定し、c諸外国との間でも新たな関係が整えられていくんだね。
マサ:ところで、人々はどうやって時代の変化を感じ取ったのかな。
ミユ:長い間京都にいた天皇が、東京に入ったのは大きな出来事だったろうね。年表だとd天皇は1868年の10月に初めて東京に行幸している。その年に京都に戻って、翌年、再び東京に入り、東京は首都として定着していくよ。

下線部cに関して述べた次の文X・Yと、それに該当する語句a~dとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

X  外務大臣として条約改正に取り組んだが、外国人判事を大審院に任用することを認めていたため強い反対論を招き、一青年により負傷させられた。
Y  明治政府が初めて対等な内容で結んだ条約であり、相互に開港したうえ領事裁判権を承認し合うなどの内容を持つ。

a  大隈重信
b  榎本武揚
c  日清修好条規
d  日英通商航海条約
  • X ― a  Y ― c
  • X ― a  Y ― d
  • X ― b  Y ― c
  • X ― b  Y ― d

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この過去問の解説 (1件)

01

この問題の正解は、X=a(大隈重信)、Y=c(日清修好条規)となります。

 

(文章Xの説明)

下線部cは「諸外国との新たな関係整備」。

明治期の条約改正で中心となったのが大隈重信です。彼は大審院に外国人判事を任用する妥協案で不平等条約改正を狙いましたが、国内の反対が激化し、爆弾で襲撃され、負傷しました。以上の点が文章Xの記述と一致します。


榎本武揚は、幕末の幕府海軍士官・政治家です。オランダに留学して最新の海軍技術を学び、戊辰戦争では開陽丸などを率いて蝦夷地へ渡り、五稜郭で蝦夷共和国総裁として抗戦しましたが降伏。赦免後は明治政府に登用され、ロシアとの「樺太・千島交換条約」(1875)締結に尽力しました。その後も外務・逓信・文部などの要職を歴任しました。旧幕臣から明治の中枢へ転じた代表的人物です。そのため、今回のXの記述とは異なる人物です。

 

(文章Yの説明)

日清修好条規(1871)は、明治政府が初めて対等な形式で結んだ条約です。相互に開港・通商を認め、相互の領事裁判権(在留自国民の裁判を自国領事が行う)を承認しました。よって文章Yの内容と一致します。


日英通商航海条約は領事裁判権の撤廃・法権回復へ向かう改正条約で、「相互に領事裁判権を承認」とは合いません。

選択肢1. X ― a  Y ― c

正しい選択肢です。

選択肢2. X ― a  Y ― d

誤りです。

選択肢3. X ― b  Y ― c

誤りです。

選択肢4. X ― b  Y ― d

誤りです。

まとめ

Xは、外相大隈重信が条約改正で大審院への外国人判事任用を含む案を示し、強い反発から襲撃・負傷した点と一致します。Yは1871年の日清修好条規で、明治政府最初の対等条約相互開港・相互領事裁判権がポイントです。そのため、X―a、Y―cが正解です。

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