大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問22 (第2問(小説) 問10)
問題文
きょうは一つ、かっぽれさんの俳句でも御紹介しましょうか。こんどの日曜の慰安(注1)放送は、塾生たちの文芸作品の発表会という事になって、和歌、俳句、詩に自信のある人は、あすの晩までに事務所に作品を提出せよとの事で、かっぽれは、僕たちの「桜の間」の選手として、お得意の俳句を提出する事になり、二、三日前から鉛筆を耳にはさみ、ベッドの上に正坐(せいざ)して首をひねり、真剣に句を案じていたが、けさ、やっとまとまったそうで、十句ばかり便箋に書きつらねたのを、同室の僕たちに披露した。まず、固パンに見せたけれども、固パンは苦笑して、
「僕には、わかりません。」と言って、すぐにその紙片を返却した。次に、越後獅子に見せて御批評を乞うた。越後獅子は背中を丸めて、その紙片をねらうようにつくづくと見つめ、「けしからぬ。」と言った。
かっぽれは、蒼(あお)ざめて、
下手(へた)だとか何とか言うなら、まだしも、けしからぬという批評はひどいと思った。
「だめでしょうか。」とお伺いした。
「そちらの先生に聞きなさい。」と言って越後は、ぐいと僕の方を顎でしゃくった。
かっぽれは、僕のところに便箋(びんせん)を持って来た。僕は不風流だから、俳句の妙味など(ア)てんでわからない。やっぱり固パンのように、すぐに返却しておゆるしを乞うべきところでもあったのだが、A どうも、かっぽれが気の毒で、何とかなぐさめてやりたく、わかりもしない癖に、とにかくその十ばかりの句を拝読した。そんなにまずいものではないように僕には思われた。月並(つきなみ)とでもいうのか、ありふれたような句であるが、これでも、自分で作るとなると、なかなか骨の折れるものなのではあるまいか。
乱れ咲く乙女心の野菜かな、なんてのは少しへんだが、それでも、けしからぬと怒るほどの下手さではないと思った。けれども、最後の一句に突き当(あた)って、はっとした。越後獅子が憤慨したわけも、よくわかった。
露の世は露の世ながらさりながら
誰やらの句だ。これは、いけないと思った。けれども、それを(イ)あからさまに言って、かっぽれに赤恥をかかせるような事もしたくなかった。
「どれもみな、うまいと思いますけど、この、最後の一句は他のと取りかえたら、もっとよくなるんじゃないかな。素人考えですけど。」
「そうですかね。」かっぽれは不服らしく、口をとがらせた。「その句が一ばんいいと私は思っているんですがね。」
B そりゃ、いい筈(はず)だ。俳句の門外漢の僕でさえ知っているほど有名な句なんだもの。
「いい事は、いいに違いないでしょうけど。」
僕は、ちょっと途方に暮れた。
「わかりますかね。」かっぽれは図に乗って来た。「いまの日本国に対する私のまごころも、この句には織り込まれてあると思うんだが、わからねえかな。」と、少し僕を軽蔑するような口調で言う。
「どんな、まごころなんです。」と僕も、C もはや笑わずに反問した。
「わからねえかな。」と、かっぽれは、君もずいぶんトンマな男だねえ、と言わんばかりに、眉をひそめ、「日本のいまの運命をどう考えます。露の世でしょう?その露の世は露の世である。さりながら、諸君、光明を求めて進もうじゃないか。(ウ)いたずらに悲観する勿(なか)れ、といったような意味になって来るじゃないか。これがすなわち私の日本に対するまごころというわけのものなんだ。わかりますかね。」
しかし、僕は内心あっけにとられた。この句は、君、一茶(いっさ)(注2)が子供に死なれて、露の世とあきらめてはいるが、それでも、悲しくてあきらめ切れぬという気持(きもち)の句だった筈ではなかったかしら。それを、まあ、ひどいじゃないか。きれいに意味をひっくりかえしている。これが越後の所謂「こんにちの新しい発明」(注3)かも知れないが、あまりにひどい。かっぽれのまごころには賛成だが、とにかく古人の句を盗んで勝手な意味をつけて、もてあそぶのは悪い事だし、それにこの句をそのまま、かっぽれの作品として事務所に提出されては、この「桜の間」の名誉にもかかわると思ったので、僕は、勇気を出して、はっきり言ってやった。
「でも、これとよく似た句が昔の人の句にもあるんです。盗んだわけじゃないでしょうけど、誤解されるといけませんから、これは、他のと取りかえたほうがいいと思うんです。」
「似たような句があるんですか。」
かっぽれは眼(め)を丸くして僕を見つめた。その眼は、溜息(ためいき)が出るくらいに美しく澄んでいた。盗んで、自分で気がつかぬ、という奇妙な心理も、俳句の天狗(てんぐ)たちには、あり得る事かも知れないと僕は考え直した。実に無邪気な罪人である。まさに思い邪(よこしま)無し(注4)である。
「そいつは、つまらねえ事になった。俳句には、時々こんな事があるんで、こまるのです。何せ、たった十七文字ですからね。似た句が出来るわけですよ。」どうも、かっぽれは、常習犯らしい。「ええと、それではこれを消して、」と耳にはさんであった鉛筆で、あっさり、露の世の句の上に棒を引き、「かわりに、こんなのはどうでしょう。」と、僕のベッドの枕元の小机で何やら素早くしたためて僕に見せた。
コスモスや影おどるなり乾(ほし)むしろ(注5)
「けっこうです。」僕は、ほっとして言った。下手でも何でも、盗んだ句でさえなければ今は安心の気持だった。「ついでに、コスモスの、と直したらどうでしょう。」と安心のあまり、よけいの事まで言ってしまった。
「コスモスの影おどるなり乾むしろ、ですかね。なるほど、情景がはっきりして来ますね。偉いねえ。」と言って僕の背中をぽんと叩(たた)いた。「隅に置けねえや。」
僕は赤面した。
「おだてちゃいけません。」落ちつかない気持になった。「コスモスや、のほうがいいのかも知れませんよ。僕には俳句の事は、全くわからないんです。ただ、コスモスの、としたほうが、僕たちには、わかり易(やす)くていいような気がしたものですから。」
そんなもの、どっちだっていいじゃないか、とD 内心の声は叫んでもいた。
けれども、かっぽれは、どうやら僕を尊敬したようである。これからも俳句の相談に乗ってくれと、まんざらお世辞だけでもないらしく真顔で頼んで、そうして意気揚々と、れいの爪先(つまさ)き立ってお尻を軽く振って歩く、あの、音楽的な、ちょんちょん歩きをして自分のベッドに引き上げて行き、僕はそれを見送り、E どうにも、かなわない気持であった。俳句の相談役など、じっさい、文句入りの都々逸(どどいつ)(注6)以上に困ると思った。どうにも落ちつかず、閉口の気持で、僕は、
「とんでもない事になりました。」と思わず越後に向って愚痴を言った。さすがの新しい男(注7)も、かっぽれの俳句には、まいったのである。
越後獅子は黙って重く首肯した。
けれども話は、これだけじゃないんだ。さらに驚くべき事実が現出した。
けさの八時の摩擦の時(注8)には、マア坊(注9)が、かっぽれの番に当っていて、そうして、かっぽれが彼女に小声で言っているのを聞いてびっくりした。
「マア坊の、あの、コスモスの句、な、あれは悪くねえけど、でも、気をつけろ。コスモスや、てのはまずいぜ。コスモスの、だ。」
おどろいた、あれは、マア坊の句なのだ。
(注1)慰安放送 ―― 施設内でのレクリエーションの一つ。
(注2)一茶 ―― 小林一茶(1763 ― 1827)。江戸時代後期の俳人。
(注3)「こんにちの新しい発明」 ―― 本文より前の一節で、「越後獅子」は詩の創作には「こんにちの新しい発明が無ければいけない。」と述べている。
(注4)まさに思い邪無し ―― 本文より前の一節で、「僕」が「君」に対して「詩三百、思い邪無し、とかいう言葉があったじゃありませんか。」と語りかけていた箇所をふまえた表現。
(注5)乾むしろ ―― 藁(わら)などを編んで作った敷物。
(注6)都々逸 ―― 江戸時代後期から江戸を中心に広まった俗曲。
(注7)新しい男 ――― 「僕」は、戦争が終わり世界が大きく変動する時代の中で、新しい価値観を体現する人物になることを自らに誓っている。
(注8)摩擦の時 ―― 施設では一日に数回、毛のブラシで体をこすって鍛えることを日課としている。
(注9)マア坊 ―― 施設で働く人物。結核患者たちを介護している女性。
授業で本文を読んだ後、下線部「古人の句を盗んで勝手な意味をつけて、もてあそぶ」をきっかけに、文学作品と読者との関係はどのようなものかを考えることになった。教師からは、外山滋比古(とやましげひこ)『「読み」の整理学』の一節と、本文よりも後の場面の一節とが【資料】として配付された。これを読んで、後の問いに答えよ。
●文学作品と読者との関係を考える ――― 太宰治「パンドラの匣」をきっかけに
Ⅰ 外山滋比古『「読み」の整理学』より
一般の読者は、作品に対して、いちいち、添削を行うことはしない。しかし、無意識に、添削をしながら読んでいるものである。自分のコンテクスト(注)に合わせて読む。それがとりもなおさず、目に見えない添削になる。
多くの読者が、くりかえしくりかえしこういう読み方をしているうちに、作品そのものが、すこしずつ特殊から普遍へと性格を変える。つまり、古典化するのである。
逆から見れば、古典化は作者の意図した意味からの逸脱である。いかなる作品も、作者の考えた通りのものが、そのままで古典になることはできない。だれが改変するのか。読者である。
未知を読もうとして、読者は不可避的に、自分のコンテクストによって解釈する。
(注)コンテクスト ―― 文脈の意。
Ⅱ 太宰治「パンドラの匣」本文より後の「マア坊」の発言から始まる一節
「慰安放送?あたしの句も一緒に出してよ。ほら、いつか、あなたに教えてあげたでしょう?乱れ咲く乙女心の、という句。」
果(はた)して然(しか)りだ。しかし、かっぽれは、一向に平気で、
「うん。あれは、もう、いれてあるんだ。」
「そう。しっかりやってね。」
僕は微笑した。
これこそは僕にとって、所謂「こんにちの新しい発明」であった。この人たちには、作者の名なんて、どうでもいいんだ。みんなで力を合(あわ)せて作ったもののような気がしているのだ。そうして、みんなで一日を楽しみ合う事が出来たら、それでいいのだ。芸術と民衆との関係は、元来そんなものだったのではなかろうか。ベートーヴェン(注1)に限るの、リスト(注2)は二流だのと、所謂その道の「通人」たちが口角泡をとばして議論している間に、民衆たちは、その議論を置き去りにして、さっさとめいめいの好むところの曲目に耳を澄まして楽しんでいるのではあるまいか。あの人たちには、作者なんて、てんで有り難くないんだ。一茶が作っても、かっぽれが作っても、マア坊が作っても、その句が面白くなけりゃ、無関心なのだ。社交上のエチケットだとか、または、趣味の向上だなんて事のために無理に芸術の「勉強」をしやしないのだ。自分の心にふれた作品だけを自分流儀で覚えて置くのだ。それだけなんだ。
(注1)ベートーヴェン ―― ドイツの作曲家(1770 ― 1827)。
(注2)リスト ―― ハンガリーのピアニストで作曲家(1811 ― 1886)。
【資料】のⅡを読むと、文学作品と読者との関係についての「僕」の考えが、本文の下線部の時点から変化したことがわかる。この変化について、【資料】のⅠを参考に説明したものとして最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問22(第2問(小説) 問10) (訂正依頼・報告はこちら)
きょうは一つ、かっぽれさんの俳句でも御紹介しましょうか。こんどの日曜の慰安(注1)放送は、塾生たちの文芸作品の発表会という事になって、和歌、俳句、詩に自信のある人は、あすの晩までに事務所に作品を提出せよとの事で、かっぽれは、僕たちの「桜の間」の選手として、お得意の俳句を提出する事になり、二、三日前から鉛筆を耳にはさみ、ベッドの上に正坐(せいざ)して首をひねり、真剣に句を案じていたが、けさ、やっとまとまったそうで、十句ばかり便箋に書きつらねたのを、同室の僕たちに披露した。まず、固パンに見せたけれども、固パンは苦笑して、
「僕には、わかりません。」と言って、すぐにその紙片を返却した。次に、越後獅子に見せて御批評を乞うた。越後獅子は背中を丸めて、その紙片をねらうようにつくづくと見つめ、「けしからぬ。」と言った。
かっぽれは、蒼(あお)ざめて、
下手(へた)だとか何とか言うなら、まだしも、けしからぬという批評はひどいと思った。
「だめでしょうか。」とお伺いした。
「そちらの先生に聞きなさい。」と言って越後は、ぐいと僕の方を顎でしゃくった。
かっぽれは、僕のところに便箋(びんせん)を持って来た。僕は不風流だから、俳句の妙味など(ア)てんでわからない。やっぱり固パンのように、すぐに返却しておゆるしを乞うべきところでもあったのだが、A どうも、かっぽれが気の毒で、何とかなぐさめてやりたく、わかりもしない癖に、とにかくその十ばかりの句を拝読した。そんなにまずいものではないように僕には思われた。月並(つきなみ)とでもいうのか、ありふれたような句であるが、これでも、自分で作るとなると、なかなか骨の折れるものなのではあるまいか。
乱れ咲く乙女心の野菜かな、なんてのは少しへんだが、それでも、けしからぬと怒るほどの下手さではないと思った。けれども、最後の一句に突き当(あた)って、はっとした。越後獅子が憤慨したわけも、よくわかった。
露の世は露の世ながらさりながら
誰やらの句だ。これは、いけないと思った。けれども、それを(イ)あからさまに言って、かっぽれに赤恥をかかせるような事もしたくなかった。
「どれもみな、うまいと思いますけど、この、最後の一句は他のと取りかえたら、もっとよくなるんじゃないかな。素人考えですけど。」
「そうですかね。」かっぽれは不服らしく、口をとがらせた。「その句が一ばんいいと私は思っているんですがね。」
B そりゃ、いい筈(はず)だ。俳句の門外漢の僕でさえ知っているほど有名な句なんだもの。
「いい事は、いいに違いないでしょうけど。」
僕は、ちょっと途方に暮れた。
「わかりますかね。」かっぽれは図に乗って来た。「いまの日本国に対する私のまごころも、この句には織り込まれてあると思うんだが、わからねえかな。」と、少し僕を軽蔑するような口調で言う。
「どんな、まごころなんです。」と僕も、C もはや笑わずに反問した。
「わからねえかな。」と、かっぽれは、君もずいぶんトンマな男だねえ、と言わんばかりに、眉をひそめ、「日本のいまの運命をどう考えます。露の世でしょう?その露の世は露の世である。さりながら、諸君、光明を求めて進もうじゃないか。(ウ)いたずらに悲観する勿(なか)れ、といったような意味になって来るじゃないか。これがすなわち私の日本に対するまごころというわけのものなんだ。わかりますかね。」
しかし、僕は内心あっけにとられた。この句は、君、一茶(いっさ)(注2)が子供に死なれて、露の世とあきらめてはいるが、それでも、悲しくてあきらめ切れぬという気持(きもち)の句だった筈ではなかったかしら。それを、まあ、ひどいじゃないか。きれいに意味をひっくりかえしている。これが越後の所謂「こんにちの新しい発明」(注3)かも知れないが、あまりにひどい。かっぽれのまごころには賛成だが、とにかく古人の句を盗んで勝手な意味をつけて、もてあそぶのは悪い事だし、それにこの句をそのまま、かっぽれの作品として事務所に提出されては、この「桜の間」の名誉にもかかわると思ったので、僕は、勇気を出して、はっきり言ってやった。
「でも、これとよく似た句が昔の人の句にもあるんです。盗んだわけじゃないでしょうけど、誤解されるといけませんから、これは、他のと取りかえたほうがいいと思うんです。」
「似たような句があるんですか。」
かっぽれは眼(め)を丸くして僕を見つめた。その眼は、溜息(ためいき)が出るくらいに美しく澄んでいた。盗んで、自分で気がつかぬ、という奇妙な心理も、俳句の天狗(てんぐ)たちには、あり得る事かも知れないと僕は考え直した。実に無邪気な罪人である。まさに思い邪(よこしま)無し(注4)である。
「そいつは、つまらねえ事になった。俳句には、時々こんな事があるんで、こまるのです。何せ、たった十七文字ですからね。似た句が出来るわけですよ。」どうも、かっぽれは、常習犯らしい。「ええと、それではこれを消して、」と耳にはさんであった鉛筆で、あっさり、露の世の句の上に棒を引き、「かわりに、こんなのはどうでしょう。」と、僕のベッドの枕元の小机で何やら素早くしたためて僕に見せた。
コスモスや影おどるなり乾(ほし)むしろ(注5)
「けっこうです。」僕は、ほっとして言った。下手でも何でも、盗んだ句でさえなければ今は安心の気持だった。「ついでに、コスモスの、と直したらどうでしょう。」と安心のあまり、よけいの事まで言ってしまった。
「コスモスの影おどるなり乾むしろ、ですかね。なるほど、情景がはっきりして来ますね。偉いねえ。」と言って僕の背中をぽんと叩(たた)いた。「隅に置けねえや。」
僕は赤面した。
「おだてちゃいけません。」落ちつかない気持になった。「コスモスや、のほうがいいのかも知れませんよ。僕には俳句の事は、全くわからないんです。ただ、コスモスの、としたほうが、僕たちには、わかり易(やす)くていいような気がしたものですから。」
そんなもの、どっちだっていいじゃないか、とD 内心の声は叫んでもいた。
けれども、かっぽれは、どうやら僕を尊敬したようである。これからも俳句の相談に乗ってくれと、まんざらお世辞だけでもないらしく真顔で頼んで、そうして意気揚々と、れいの爪先(つまさ)き立ってお尻を軽く振って歩く、あの、音楽的な、ちょんちょん歩きをして自分のベッドに引き上げて行き、僕はそれを見送り、E どうにも、かなわない気持であった。俳句の相談役など、じっさい、文句入りの都々逸(どどいつ)(注6)以上に困ると思った。どうにも落ちつかず、閉口の気持で、僕は、
「とんでもない事になりました。」と思わず越後に向って愚痴を言った。さすがの新しい男(注7)も、かっぽれの俳句には、まいったのである。
越後獅子は黙って重く首肯した。
けれども話は、これだけじゃないんだ。さらに驚くべき事実が現出した。
けさの八時の摩擦の時(注8)には、マア坊(注9)が、かっぽれの番に当っていて、そうして、かっぽれが彼女に小声で言っているのを聞いてびっくりした。
「マア坊の、あの、コスモスの句、な、あれは悪くねえけど、でも、気をつけろ。コスモスや、てのはまずいぜ。コスモスの、だ。」
おどろいた、あれは、マア坊の句なのだ。
(注1)慰安放送 ―― 施設内でのレクリエーションの一つ。
(注2)一茶 ―― 小林一茶(1763 ― 1827)。江戸時代後期の俳人。
(注3)「こんにちの新しい発明」 ―― 本文より前の一節で、「越後獅子」は詩の創作には「こんにちの新しい発明が無ければいけない。」と述べている。
(注4)まさに思い邪無し ―― 本文より前の一節で、「僕」が「君」に対して「詩三百、思い邪無し、とかいう言葉があったじゃありませんか。」と語りかけていた箇所をふまえた表現。
(注5)乾むしろ ―― 藁(わら)などを編んで作った敷物。
(注6)都々逸 ―― 江戸時代後期から江戸を中心に広まった俗曲。
(注7)新しい男 ――― 「僕」は、戦争が終わり世界が大きく変動する時代の中で、新しい価値観を体現する人物になることを自らに誓っている。
(注8)摩擦の時 ―― 施設では一日に数回、毛のブラシで体をこすって鍛えることを日課としている。
(注9)マア坊 ―― 施設で働く人物。結核患者たちを介護している女性。
授業で本文を読んだ後、下線部「古人の句を盗んで勝手な意味をつけて、もてあそぶ」をきっかけに、文学作品と読者との関係はどのようなものかを考えることになった。教師からは、外山滋比古(とやましげひこ)『「読み」の整理学』の一節と、本文よりも後の場面の一節とが【資料】として配付された。これを読んで、後の問いに答えよ。
●文学作品と読者との関係を考える ――― 太宰治「パンドラの匣」をきっかけに
Ⅰ 外山滋比古『「読み」の整理学』より
一般の読者は、作品に対して、いちいち、添削を行うことはしない。しかし、無意識に、添削をしながら読んでいるものである。自分のコンテクスト(注)に合わせて読む。それがとりもなおさず、目に見えない添削になる。
多くの読者が、くりかえしくりかえしこういう読み方をしているうちに、作品そのものが、すこしずつ特殊から普遍へと性格を変える。つまり、古典化するのである。
逆から見れば、古典化は作者の意図した意味からの逸脱である。いかなる作品も、作者の考えた通りのものが、そのままで古典になることはできない。だれが改変するのか。読者である。
未知を読もうとして、読者は不可避的に、自分のコンテクストによって解釈する。
(注)コンテクスト ―― 文脈の意。
Ⅱ 太宰治「パンドラの匣」本文より後の「マア坊」の発言から始まる一節
「慰安放送?あたしの句も一緒に出してよ。ほら、いつか、あなたに教えてあげたでしょう?乱れ咲く乙女心の、という句。」
果(はた)して然(しか)りだ。しかし、かっぽれは、一向に平気で、
「うん。あれは、もう、いれてあるんだ。」
「そう。しっかりやってね。」
僕は微笑した。
これこそは僕にとって、所謂「こんにちの新しい発明」であった。この人たちには、作者の名なんて、どうでもいいんだ。みんなで力を合(あわ)せて作ったもののような気がしているのだ。そうして、みんなで一日を楽しみ合う事が出来たら、それでいいのだ。芸術と民衆との関係は、元来そんなものだったのではなかろうか。ベートーヴェン(注1)に限るの、リスト(注2)は二流だのと、所謂その道の「通人」たちが口角泡をとばして議論している間に、民衆たちは、その議論を置き去りにして、さっさとめいめいの好むところの曲目に耳を澄まして楽しんでいるのではあるまいか。あの人たちには、作者なんて、てんで有り難くないんだ。一茶が作っても、かっぽれが作っても、マア坊が作っても、その句が面白くなけりゃ、無関心なのだ。社交上のエチケットだとか、または、趣味の向上だなんて事のために無理に芸術の「勉強」をしやしないのだ。自分の心にふれた作品だけを自分流儀で覚えて置くのだ。それだけなんだ。
(注1)ベートーヴェン ―― ドイツの作曲家(1770 ― 1827)。
(注2)リスト ―― ハンガリーのピアニストで作曲家(1811 ― 1886)。
【資料】のⅡを読むと、文学作品と読者との関係についての「僕」の考えが、本文の下線部の時点から変化したことがわかる。この変化について、【資料】のⅠを参考に説明したものとして最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
- 「僕」は、文学作品を作者が意図する意味に基づいて読むべきだという考えであったが、その後、読者に共有されることで新しい意味を帯びることもあるという考えを持ち始めている。
- 「僕」は、文学作品の意味を決定するのは読者であるという考えであったが、その後、作者の意図に沿って読む厳格な態度は作品の魅力を減退させていくという考えになりつつある。
- 「僕」は、文学作品の価値は作者によって生み出されるという考えであったが、その後、多様性のある価値は読者によって時代とともに付加されていくという考えを持ち始めている。
- 「僕」は、文学作品の価値は時代によって変化していくものだという考えであったが、その後、読者が面白いと感じることによって価値づけられることもあるという考えになりつつある。
正解!素晴らしいです
残念...
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