大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問23 (第3問(古文) 問1)

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問題

大学入学共通テスト(国語)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問23(第3問(古文) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は『石清水(いわしみず)物語』の一節である。男君(本文では「中納言」)は木幡(こわた)の姫君に恋心を抱くが、異母妹であることを知って苦悩している。一方、男君の父・関白(本文では「殿」)は、院の意向を受け入れ、院の娘・女二の宮(本文では「宮」「女宮」ともいう)と男君との婚儀の準備を進めていた。本文はそれに続く場面である。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に①〜⑤の番号を付してある。

① 中納言はかかるにつけても、人知れぬ心の内には、あるまじき思ひのみやむ世なく、苦しくなりゆくを、強ひて思ひ冷ましてのみ月日を送り給(たま)ふに、宮の御かたちの名高く聞き置きたれば、同じくは、A ものの嘆かしさの紛るばかりに見なし聞こえばやとぞ思(おぼ)しける。官位(つかさくらゐ)の短きを飽かぬことに思しめされて、権(ごん)大納言になり給ひぬ。春の中納言(注1)も、例の同じくなり給ひて、喜び申し(注2)も劣らずし給へど、及ばぬ枝(注3)の一つことに、よろづすさまじくおぼえ給ひけり。
② 神無月十日余りに、女二の宮に参り給ふ。心おごり、言へばさらなり。まづ忍びて三条院(注4)へ参り給ふ。(ア)さらぬほどの所にだに、心殊(こと)なる用意のみおはする人なるに、ましておろかならむやは。こちたきまで薫(た)きしめ給ひて、ひき繕ひて出(い)で給ふ直衣(なほし)姿、なまめかしく、心殊なる用意など、まことに帝の御婿と言はむにかたほならず、宮と聞こゆるとも、おぼろけならむ御かたちにては、並びにくげなる人の御さまなり。忍びたれど、御前(ごぜん)(注5)などあまたにて出でさせ給ふに、大宮(注6)おはせましかば、いかに面立(おもだ)たしく思し喜ばむと、殿はまづ思ひ出で聞こえ給ふ。
③ 院には、待ち取らせ給ふ御心づかひなのめならず。宮の御さまを、(イ)いつしかゆかしう思ひ聞こえ給ふに、御殿油(おほとなぶら)、火ほのかにて、御几帳(きちゃう)の内におはします火影は、まづけしうはあらじはやと見えて、御髪(みぐし)のかかりたるほど、めでたく見ゆ。まして、近き御けはひの、推し量りつるに違(たが)はず、らうたげにおほどかなる御さまを、心落ちゐて、思ひの外に近づき寄りたり道の迷ひ(注7)にも、よそへぬべき心地する人ざまにおはしますにも、まづ思ひ出でられて、B いかなる方にかと、人の結ばむことさへ思ひつづけらるるぞ、我ながらうたてと思ひ知らるる
④ 明けぬれば、いと疾(と)く出で給ひて、やがて御文奉り給ふ。
「今朝はなほしをれぞまさる女郎花(をみなへし)いかに置きける露の名残ぞ
いつも時雨(しぐれ)は(注8)」とあり。御返しそそのかし申させ給へば、いとつつましげに、ほのかにて、
「今朝のみやわきて時雨(しぐ)れむ女郎花霜がれわたる野辺のならひを」
とて、うち置かせ給へるを、包みて出だしつ。御使ひは女の装束、細長など、例のことなり。御手などさへ、なべてならずをかしげに書きなし給へれば、待ち見給ふも、よろづに思ふやうなりと思すべし。
⑤ かくて三日過ぐして、殿(注9)へ入らせ給ふ儀式、殊なり。寝殿の渡殿(わたどの)かけて、御しつらひあり。女房二十人、童(わらは)四人、下仕へなど、見どころ多くいみじ。女宮の御さま、のどかに見奉り給ふに、いみじう盛りに調ひて、思ひなしも気高く、らうらうじきもののなつかしげに、(ウ)おくれたるところなくうつくしき人のさまにて、御髪は袿(うちき)の裾にひとしくて、影見ゆばかりきらめきかかりたるほどなど、限りなし。人知れず心にかかる木幡の里にも並び給ふべしと見ゆるに、御心落ちゐて、いとかひありと思したり。

(注1)春の中納言 ―― 男君のライバル。女二の宮との結婚を望んでいた。
(注2)喜び申し ―― 官位を授けられた者が宮中に参上して感謝の意を表すること。
(注3)及ばぬ枝 ―― 女二の宮との結婚に手が届かなかったことを指す。
(注4)三条院―― 女二の宮と院の住まい。女二の宮の結婚が決まった後、帝の位を退いた院は、この邸(やしき)で女二の宮と暮らしている。
(注5)御前 ―― ここでは、貴人の通行のとき、道の前方にいる人々を追い払う人。
(注6)大宮 ―― 男君の亡き母宮。
(注7)思ひの外に近づき寄りたりし道の迷ひ―― 前年の春に出会って以来、男君が恋心を抱き続けている木幡の姫君のことを指す。
(注8)いつも時雨は ―― 「神無月いつも時雨は降りしかどかく袖ひつる折はなかりき」という和歌をふまえる。
(注9)殿 ―― 男君の住む邸宅。

下線部アの解釈として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

(ア) さらぬほどの所

  • たいして重要でない場所
  • 立ち去りがたく思う場所
  • ことさら格式張った場所
  • あまりよく知らない場所
  • 絶対に避けられない場所

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この過去問の解説 (3件)

01

3段落は、男君(中納言→権大納言)が院の娘・女二の宮(宮、女宮)と結婚するため、女二の宮と父・院が住む三条院へ行く場面です。
平安時代の結婚は「通い婚」、すなわち男性が女性の家へ訪問して結婚生活を営んでいました。3~5段落については「通い婚」の形式を念頭に入れておくとよいでしょう。
ちなみに、子どもは原則として母親の家で育てられますので、きょうだいであっても母親が違うと面識がない場合が多かったそうです。そのため、この物語のように男君が異母妹の木幡の姫君に恋をしてしまうという筋書きは、現代の視点ではタブーですが、古典文学の世界にはままあります。


さて、「さらぬほどの所」についてですが、「さらぬほどの所にだに、心殊なる用意のみおはする人なるに、ましておろかならむやは。」とあります。該当箇所以外を現代語訳すると「(さらぬほどの所)でさえ、格別な準備をなさる人であるのに、ましていい加減にすることがあるだろうか」とあり、この後ろには男君が念入りに着物に香を焚きしめて支度をする様子が描かれます。もちろん今回の行先は、妻の女二の宮と院(妻の父)が住む「三条院」です。
よって、この文章を解釈すると「男君は(さらぬほどの所)へ行くときさえ、きちんと支度をするのに、まして三条院に行くのにいい加減に支度をすることがあるだろうか、いやない」となります。
では、「さらぬほどの所」とはどんなところでしょうか? ここでは「さらぬ」に着目します。動詞「さる」の未然形+打消の助動詞「ず」の連体形=「そうではない」という意味です。ここでは三条院と比較して、「さらぬほどの所」は「それほど重要ではない場所」を指すのでしょう。

選択肢1. たいして重要でない場所

正解

男君は「それほど重要ではない場所」=「たいして重要ではない場所」でなくともきちんと支度をするため、女二の宮との婚儀のために三条院を訪れるときはなおさらです。

選択肢2. 立ち去りがたく思う場所

×

二行目に「宮の御かたちの名高く聞き置きたれば」とあり、女二の宮(宮)が美人であると聞いた男君は、妻となる宮を憎からず思っているようです。よって宮の住む三条院は「立ち去りがたく思う」ではないため不適です。

選択肢3. ことさら格式張った場所

×

この場面は女二の宮との婚儀のために三条院に行く場面で、「さらぬほどの所にだに、心殊なる用意のみおはする人なるに、ましておろかならむやは。」の「まして」以降が婚礼の場(きちんとした格式の高い場)であるため、それと対比される「さらぬほどの所」を「ことさら格式張った」と解釈するのは不適です。

選択肢4. あまりよく知らない場所

×

「さらぬほどの所」は「そうではない所」すなわち、「あまりよく知らない所」とは訳せないため不適です。

選択肢5. 絶対に避けられない場所

×

「絶対に避けられない」が不適です。「避らぬ別れ(避けられない別れ=死別)」など「さらぬ」が「避けられない」という意味になるケースはありますが、文脈に合わないため不適です。また、「さらぬほど」の程度を表す「ほど」は「絶対に」という意味はもちません。

まとめ

男君は「たいして重要ではない場所」へ出かけるときでも、きちんと支度をする人物です。院と院の娘・宮が住む三条院へ行くときは念入りに支度をする様子が記されています。

また、二行目には「宮の御かたちの名高く聞き置きたれば」とあり、妻となる宮を憎からず思っているゆえに、三条院へ行くときはきちんと支度をしたのでしょう。解釈の問題は傍線部と文脈の両方で解釈するよう心がけましょう。

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02

本文中では、
「さらぬ」は「そのようでない」や「なんでもない」という意味で使われています。
「さり」の未然形+打消しの「ず」の連体形です。
「さり」は「そうである」という意味であり、
それを打ち消しているため「そのようではない」という意味になります。
「ほど」は「大体の程度」を表しています。
「所」は「場所」と言う意味です。
そのことを踏まえて各選択肢を検討していきます。

選択肢1. たいして重要でない場所

たいしたことのない場所という意味に近いです。
よって適切です。

選択肢2. 立ち去りがたく思う場所

「さらぬ」を漢字にして「去らぬ」とした場合に選びそうになるひっかけの選択肢です。
打消しの「ぬ」を意味する「~ない」という語がないため不適です。

選択肢3. ことさら格式張った場所

「さらぬほどの所」には「格式」に関する語がありません。
さらに打消しの「ぬ」を意味する「~ない」という語がないため不適です。

選択肢4. あまりよく知らない場所

「さらぬ」に「知らない」という意味はありません。
よって不適です。

選択肢5. 絶対に避けられない場所

この解釈の場合、
「絶対に~ない」を意味する強い否定の表現が必要になります。
打消しの「ぬ」だけではここまで強い否定を表すことはできません。
よって不適です。

まとめ

打消しの意味が含まれる語は、
解釈に「~ない」が入ることが多いです。

参考になった数0

03

「さらぬ」は「さ+あら+ぬ」で「そのようではない、それほどではない」の意味です。

この時点でも「たいして重要でない場所」が選べそうですが、念のため「そのようではない」が何のことを指しているのを本文から確認してみます。

 

すると直後に「~だに」という表現があります。これは中世においては「~でさえ」という意味をもつ助詞です。この問題文である『石清水物語』は鎌倉時代中期にできたとされていますので、この訳で問題ないでしょう。

そうすると「それほどでないところでさえ」のように、何かを取り上げて例として示す文となりますので、ここには何かが極端な例が入ります。

 

更にその後には、「心殊なる用意のみおはする人なるに」とあり、これを「格別な用意ばかりする人であるに」と訳すと、「〇〇な場所」であっても「格別な用意」をするという文の流れが見えてきますので、こうした文脈に当てはまるのは、やはり「たいして重要でない場所」となります。

選択肢2. 立ち去りがたく思う場所

「さらぬ」を「去らぬ」と誤読した場合はこの選択肢を選んでしまうのかもしれません。

しかし、去りがたいの「~したくない」といった願望を表す部分もありませんので、やはり不適です。

選択肢3. ことさら格式張った場所

「さらぬ」は「ことさら」とは訳せませんので不適です。

更に言えば、格式張った場所であれば手のこんだ用意もしそうなもので、文脈とも不整合となってしまいます。

選択肢4. あまりよく知らない場所

「さらぬ」=それほどではないを「それほど知らない」と訳すのは無理があるように思います。

そして、仮にそのまま読んだとしても、知らない場所で格別の用意をするというのは状況が良くわかりませんので、不適です。

選択肢5. 絶対に避けられない場所

これは「さらぬ」を「避らぬ」と読んだ場合に選んでしまうのかもしれません。

しかし、「避けられない場所」で「格別の用意」をするとは、どういう状況なのかがイメージし難いのでやはり不適です。

まとめ

古典とはいえ、これは日記などではなく物語、つまり読み物ですから、必ず読者が読んでいて分かるものになっているはずです(なお、古典の時代では日記にしても誰かに読まれることを企図したものとなっていますが)。

正解の選択肢を選ぶと文意がすっきりと通ります。試しに選んだ選択肢でその場面が全く想像できないときは、読み間違えていないか、もう一度検討してみてください。

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