大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問24 (第3問(古文) 問3)
問題文
① 清水(きよみづ)坂(注1)の傍らに、阿古王(あこわう)と申す女、北野詣で(注2)をしけるが、京、白川(注3)の辻々(つじつじ)に立てたる札(ふだ)を読うでみるに、九年連れたる我が夫(つま)の悪七兵衛(あくしちびやうゑ)景清を討たむと書きて立ててあり。阿古王、あまりのもの憂さに、「この札を盗み取り、鴨川、桂川へもa 流さばやと思ひしが、中(ちゅう)にて心を引つ返し、「待てしばし、我が心。日本六十六箇国に、平家の知行とて、国の一所もあらばこそ。平家一味の者とては、夫の景清ばかりなり。包むとすると、このこと遂(つひ)には洩(も)れて討たれうず。景清討たれて、その後に不慮に思ひをせむよりも、九年連れたる情(なさけ)には、二人の若(わか)のあるなれば、このこと敵(かたき)に知らせつつ、景清を討ち取らせ、二人の若を世に立てて、後の栄華に誇らむ」と、思ひすました阿古王が心の内ぞ恐ろしき。
② この札懐中し、六波羅殿(ろくはらどの)(注4)へ参り、「札の表に任せて、参りて候(さぶら)ふ」と申し上ぐる。頼朝、なのめに思(おぼ)し召し、阿古王を召され、詳しく問はせ給(たま)へば、阿古王承り、「さん候ふ。景清が行方を人の知らぬも道理と思し召せ。この間は、尾張の熱田(注5)に候ひしが、平家の御代(みよ)の御時よりも、清水(注6)を信仰申し、月に一度はb 参り候ふ。明日は十八日。必ず自らが所へ来たるべし。本(もと)より大酒(たいしゅ)のことなれば、酒を勧むるものならば、前後も知らず伏すべし。その時、自らが参らうずるにて候ふぞ。大勢率(そつ)し押し寄せ、景清を討ち取らせ、自らに「(ア)所知を賜(た)べ。なう、我が君」と申す。頼朝、c 聞こし召されて「嬉(うれ)しう候ふ、阿古王御前。たつて所知をば与ふべし。それそれ」と仰せければ、「承る」と申して、砂金(しゃきん)三十両、阿古王に下(くだ)し賜ぶ。阿古王、賜(たまは)り候ひて、清水坂に帰りつつ、その日の暮るるを待ちたるは、情けなうこそ聞こえけれ。
③ あら無残や、景清。これをば夢にも知らずして、「明日は十八日。清水へ参らばや」と思ひ、尾州熱田を打つ立つて、四日路の道なるを、その日の暮れほどに、清水坂の傍らなる我が宿所へ立ち寄つて、門ほとほとと訪(おとづ)るる。内よりも「誰(た)そ」と答ふる。「いや、苦しうも候はず。景清なり」とぞ答へける。阿古王、なのめに喜うで、急ぎ立ち出(い)で、門を開き、景清を内へぞ請(しゃう)じける。二人の若どもは、父をd 遥(はる)かに見慣れれば、父が辺りへ立ち寄って、睦(むつ)ましげなる風情なり。阿古王、涙を流す風情にて、(イ)あらいたはしや、景清。平家の御代の御時は、悪七兵衛景清とて、公家にも武家にも憎まれず、一時の詣でにも、中間(ちゅうげん)、小者(注7)はなやかに、馬、鞍(くら)、小具足(注8)尋常に、さも(ウ)ゆゆしくおはせしが、いつしか平家に過ぎ後れ、精気玉桙(たまぼこ)(注9)窶(やつ)れ果て、御供も無うて、景清は、さこそ苦しくおはすらむ」。構へ置きたることなれば、種々の肴(さかな)を取り出だし、景清に酒をぞ強ひたりける。景清は見るよりも、いとほしき子どもは並(な)み居たり、酌(しゃく)に立つたるは女房なり、いづくに心か置かるべき。さし受けさし受け飲むほどに、さしもに剛(かう)なる景清も、敵のことをばはつたと忘れ、「嬉しう候ふ、阿古王御前。清水へは明日参らうずるにて候ふ。暇(いとま)申して、e さらば」とて、間(あひ)の障子をざらりと開け、簾中(れんちゅう)(注10)に移りて、籐(とう)の枕に並み寄りて、前後も知らず伏したるは、運の際(きは)とぞ聞こえける。
(注1)清水坂 ― 京都市東山区にある清水寺に至る坂。
(注2)北野詣で ― 京都市上京区にある北野天満宮への参詣。
(注3)白川 ― 京都の東の郊外。
(注4)六波羅殿 ― 「六波羅」は京都の南東の郊外。当時、源頼朝の邸宅があった。
(注5)尾張の熱田 ― 名古屋市熱田区にある熱田神宮。後出の「尾州熱田」も同じ。
(注6)清水 ― 清水寺。観音菩薩(ぼさつ)をまつっており、毎月十八日が祭礼の日であった。
(注7)中間、小者 ― 奉公人。
(注8)小具足 ― 武装品。
(注9)玉桙 ― ここでは道中の意味。
(注10)簾中 ― 寝所のこと。
下線部ウの解釈として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
(ウ) ゆゆしくおはせしが
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問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問24(第3問(古文) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
① 清水(きよみづ)坂(注1)の傍らに、阿古王(あこわう)と申す女、北野詣で(注2)をしけるが、京、白川(注3)の辻々(つじつじ)に立てたる札(ふだ)を読うでみるに、九年連れたる我が夫(つま)の悪七兵衛(あくしちびやうゑ)景清を討たむと書きて立ててあり。阿古王、あまりのもの憂さに、「この札を盗み取り、鴨川、桂川へもa 流さばやと思ひしが、中(ちゅう)にて心を引つ返し、「待てしばし、我が心。日本六十六箇国に、平家の知行とて、国の一所もあらばこそ。平家一味の者とては、夫の景清ばかりなり。包むとすると、このこと遂(つひ)には洩(も)れて討たれうず。景清討たれて、その後に不慮に思ひをせむよりも、九年連れたる情(なさけ)には、二人の若(わか)のあるなれば、このこと敵(かたき)に知らせつつ、景清を討ち取らせ、二人の若を世に立てて、後の栄華に誇らむ」と、思ひすました阿古王が心の内ぞ恐ろしき。
② この札懐中し、六波羅殿(ろくはらどの)(注4)へ参り、「札の表に任せて、参りて候(さぶら)ふ」と申し上ぐる。頼朝、なのめに思(おぼ)し召し、阿古王を召され、詳しく問はせ給(たま)へば、阿古王承り、「さん候ふ。景清が行方を人の知らぬも道理と思し召せ。この間は、尾張の熱田(注5)に候ひしが、平家の御代(みよ)の御時よりも、清水(注6)を信仰申し、月に一度はb 参り候ふ。明日は十八日。必ず自らが所へ来たるべし。本(もと)より大酒(たいしゅ)のことなれば、酒を勧むるものならば、前後も知らず伏すべし。その時、自らが参らうずるにて候ふぞ。大勢率(そつ)し押し寄せ、景清を討ち取らせ、自らに「(ア)所知を賜(た)べ。なう、我が君」と申す。頼朝、c 聞こし召されて「嬉(うれ)しう候ふ、阿古王御前。たつて所知をば与ふべし。それそれ」と仰せければ、「承る」と申して、砂金(しゃきん)三十両、阿古王に下(くだ)し賜ぶ。阿古王、賜(たまは)り候ひて、清水坂に帰りつつ、その日の暮るるを待ちたるは、情けなうこそ聞こえけれ。
③ あら無残や、景清。これをば夢にも知らずして、「明日は十八日。清水へ参らばや」と思ひ、尾州熱田を打つ立つて、四日路の道なるを、その日の暮れほどに、清水坂の傍らなる我が宿所へ立ち寄つて、門ほとほとと訪(おとづ)るる。内よりも「誰(た)そ」と答ふる。「いや、苦しうも候はず。景清なり」とぞ答へける。阿古王、なのめに喜うで、急ぎ立ち出(い)で、門を開き、景清を内へぞ請(しゃう)じける。二人の若どもは、父をd 遥(はる)かに見慣れれば、父が辺りへ立ち寄って、睦(むつ)ましげなる風情なり。阿古王、涙を流す風情にて、(イ)あらいたはしや、景清。平家の御代の御時は、悪七兵衛景清とて、公家にも武家にも憎まれず、一時の詣でにも、中間(ちゅうげん)、小者(注7)はなやかに、馬、鞍(くら)、小具足(注8)尋常に、さも(ウ)ゆゆしくおはせしが、いつしか平家に過ぎ後れ、精気玉桙(たまぼこ)(注9)窶(やつ)れ果て、御供も無うて、景清は、さこそ苦しくおはすらむ」。構へ置きたることなれば、種々の肴(さかな)を取り出だし、景清に酒をぞ強ひたりける。景清は見るよりも、いとほしき子どもは並(な)み居たり、酌(しゃく)に立つたるは女房なり、いづくに心か置かるべき。さし受けさし受け飲むほどに、さしもに剛(かう)なる景清も、敵のことをばはつたと忘れ、「嬉しう候ふ、阿古王御前。清水へは明日参らうずるにて候ふ。暇(いとま)申して、e さらば」とて、間(あひ)の障子をざらりと開け、簾中(れんちゅう)(注10)に移りて、籐(とう)の枕に並み寄りて、前後も知らず伏したるは、運の際(きは)とぞ聞こえける。
(注1)清水坂 ― 京都市東山区にある清水寺に至る坂。
(注2)北野詣で ― 京都市上京区にある北野天満宮への参詣。
(注3)白川 ― 京都の東の郊外。
(注4)六波羅殿 ― 「六波羅」は京都の南東の郊外。当時、源頼朝の邸宅があった。
(注5)尾張の熱田 ― 名古屋市熱田区にある熱田神宮。後出の「尾州熱田」も同じ。
(注6)清水 ― 清水寺。観音菩薩(ぼさつ)をまつっており、毎月十八日が祭礼の日であった。
(注7)中間、小者 ― 奉公人。
(注8)小具足 ― 武装品。
(注9)玉桙 ― ここでは道中の意味。
(注10)簾中 ― 寝所のこと。
下線部ウの解釈として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
(ウ) ゆゆしくおはせしが
- 立派でいらっしゃったけれど
- 不安そうにお出かけになったのを
- みすぼらしいご様子に見えて
- 気味悪くお思いであったものの
- 厳かにおっしゃったのに
正解!素晴らしいです
残念...
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