大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問25 (第3問(古文) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(国語)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問25(第3問(古文) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は、幸若舞(こうわかまい)(室町時代の芸能の一つ)『景清(かげきよ)』の一節である。平家の残党である景清は、征夷大将軍となった源頼朝の命を狙うも失敗し、身を隠した。そこで、頼朝は景清を見つけ出して捕らえるように命令する。以下は、その続きの場面である。これを読んで、後の問いに答えよ。なお、設問の都合で本文の段落に①〜③の番号を付してある。

① 清水(きよみづ)坂(注1)の傍らに、阿古王(あこわう)と申す女、北野詣で(注2)をしけるが、京、白川(注3)の辻々(つじつじ)に立てたる札(ふだ)を読うでみるに、九年連れたる我が夫(つま)の悪七兵衛(あくしちびやうゑ)景清を討たむと書きて立ててあり。阿古王、あまりのもの憂さに、「この札を盗み取り、鴨川、桂川へもa 流さばやと思ひしが、中(ちゅう)にて心を引つ返し、「待てしばし、我が心。日本六十六箇国に、平家の知行とて、国の一所もあらばこそ。平家一味の者とては、夫の景清ばかりなり。包むとすると、このこと遂(つひ)には洩(も)れて討たれうず。景清討たれて、その後に不慮に思ひをせむよりも、九年連れたる情(なさけ)には、二人の若(わか)のあるなれば、このこと敵(かたき)に知らせつつ、景清を討ち取らせ、二人の若を世に立てて、後の栄華に誇らむ」と、思ひすました阿古王が心の内ぞ恐ろしき。
② この札懐中し、六波羅殿(ろくはらどの)(注4)へ参り、「札の表に任せて、参りて候(さぶら)ふ」と申し上ぐる。頼朝、なのめに思(おぼ)し召し、阿古王を召され、詳しく問はせ給(たま)へば、阿古王承り、「さん候ふ。景清が行方を人の知らぬも道理と思し召せ。この間は、尾張の熱田(注5)に候ひしが、平家の御代(みよ)の御時よりも、清水(注6)を信仰申し、月に一度はb 参り候ふ。明日は十八日。必ず自らが所へ来たるべし。本(もと)より大酒(たいしゅ)のことなれば、酒を勧むるものならば、前後も知らず伏すべし。その時、自らが参らうずるにて候ふぞ。大勢率(そつ)し押し寄せ、景清を討ち取らせ、自らに(ア)所知を賜(た)べ。なう、我が君」と申す。頼朝、c 聞こし召されて「嬉(うれ)しう候ふ、阿古王御前。たつて所知をば与ふべし。それそれ」と仰せければ、「承る」と申して、砂金(しゃきん)三十両、阿古王に下(くだ)し賜ぶ。阿古王、賜(たまは)り候ひて、清水坂に帰りつつ、その日の暮るるを待ちたるは、情けなうこそ聞こえけれ。
③ あら無残や、景清。これをば夢にも知らずして、「明日は十八日。清水へ参らばや」と思ひ、尾州熱田を打つ立つて、四日路の道なるを、その日の暮れほどに、清水坂の傍らなる我が宿所へ立ち寄つて、門ほとほとと訪(おとづ)るる。内よりも「誰(た)そ」と答ふる。「いや、苦しうも候はず。景清なり」とぞ答へける。阿古王、なのめに喜うで、急ぎ立ち出(い)で、門を開き、景清を内へぞ請(しゃう)じける。二人の若どもは、父をd 遥(はる)かに見慣れねば、父が辺りへ立ち寄って、睦(むつ)ましげなる風情なり。阿古王、涙を流す風情にて、「(イ)あらいたはしや、景清。平家の御代の御時は、悪七兵衛景清とて、公家にも武家にも憎まれず、一時の詣でにも、中間(ちゅうげん)、小者(注7)はなやかに、馬、鞍(くら)、小具足(注8)尋常に、さも(ウ)ゆゆしくおはせしが、いつしか平家に過ぎ後れ、精気玉桙(たまぼこ)(注9)窶(やつ)れ果て、御供も無うて、景清は、さこそ苦しくおはすらむ」。構へ置きたることなれば、種々の肴(さかな)を取り出だし、景清に酒をぞ強ひたりける。景清は見るよりも、いとほしき子どもは並(な)み居たり、酌(しゃく)に立つたるは女房なり、いづくに心か置かるべき。さし受けさし受け飲むほどに、さしもに剛(かう)なる景清も、敵のことをばはつたと忘れ、「嬉しう候ふ、阿古王御前。清水へは明日参らうずるにて候ふ。暇(いとま)申して、e さらば」とて、間(あひ)の障子をざらりと開け、簾中(れんちゅう)(注10)に移りて、籐(とう)の枕に並み寄りて、前後も知らず伏したるは、運の際(きは)とぞ聞こえける。

(注1)清水坂 ― 京都市東山区にある清水寺に至る坂。
(注2)北野詣で ― 京都市上京区にある北野天満宮への参詣。
(注3)白川 ― 京都の東の郊外。
(注4)六波羅殿 ― 「六波羅」は京都の南東の郊外。当時、源頼朝の邸宅があった。
(注5)尾張の熱田 ― 名古屋市熱田区にある熱田神宮。後出の「尾州熱田」も同じ。
(注6)清水 ― 清水寺。観音菩薩(ぼさつ)をまつっており、毎月十八日が祭礼の日であった。
(注7)中間、小者 ― 奉公人。
(注8)小具足 ― 武装品。
(注9)玉桙 ― ここでは道中の意味。
(注10)簾中 ― 寝所のこと。

下線部a〜eについて、語句と表現に関する説明として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

  • a「流さばや」の「ばや」は「〜してほしい」という意の願望の終助詞で、誰かが札を流すことを願う阿古王の心情を表している。
  • b「参り候ふ」の「候ふ」は丁寧語で、景清から清水寺の観音菩薩への敬意を示し、景清の清水寺への信仰心の厚さを表している。
  • c「聞こし召されて」は尊敬語の「聞こす」「召す」が頼朝の動作を示し、頼朝が話を聞いて阿古王を呼び寄せる様子を表している。
  • d「遥かに見慣れねば」の「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形で、子どもたちが久しく父景清に会っていないことを表している。
  • e「さらば」の「さら」は動詞「去る」の未然形で、ここを離れたら二度とは家族のもとに戻らないという景清の決意を表している。

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この過去問の解説 (1件)

01

古典文法の知識を問う問題です。

a~eの表現を一つずつ確認していきましょう。

 

a 流さばや

 →流したい 

 「流す」の未然形+「ばや」

 「–ばや」は自己の願望や意志を表す終助詞です。

 

b 参り候ふ

 →参詣いたします

 「参る」の連用形+「候ふ」

 「候ふ」には複数の用法がありますが、ここでは丁寧の意を表す補助動詞として使われています。

 

c 聞こし召されて

 →お聞きになって 

 「聞し召す」には複数の意味がありますが、ここでは文脈から判断して「聞く」の尊敬語であると捉えられます。

 

d 遥かに見慣れねば

 →長いあいだ慣れ親しんでいなかったので

 み–な・る」の未然形+打消の助動詞「ず」の已然形+接続助詞「ば」

 

e さらば

 →それでは

 文末で使われていて、かつ影清がこの直後に寝所へ移動していることから、話を切り上げる際の挨拶として使われていることが分かります。

選択肢1. a「流さばや」の「ばや」は「〜してほしい」という意の願望の終助詞で、誰かが札を流すことを願う阿古王の心情を表している。

「–ばや」は自己の願望や意志を表す終助詞のため、「誰かに~してほしい」という用法はありません。

したがって、この選択肢は誤りです。

選択肢2. b「参り候ふ」の「候ふ」は丁寧語で、景清から清水寺の観音菩薩への敬意を示し、景清の清水寺への信仰心の厚さを表している。

阿古王が頼朝と対面している場面で使われています。

そのため、ここでの「候ふ」は阿古王から頼朝への敬意を示すために使われている丁寧語であることが分かります。

 

したがって、「景清から清水寺の観音菩薩への敬意」という部分が誤りです。

選択肢3. c「聞こし召されて」は尊敬語の「聞こす」「召す」が頼朝の動作を示し、頼朝が話を聞いて阿古王を呼び寄せる様子を表している。

文脈に注目しましょう。

頼朝が阿古王の話を聞いている場面であることから、ここでの「聞し召す」は「聞く」の尊敬語「お聞きになって」という意味であることが分かります。

したがって、「呼び寄せる」という意味にはなりません。

選択肢4. d「遥かに見慣れねば」の「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形で、子どもたちが久しく父景清に会っていないことを表している。

「見慣る」の意味の取り方、その後ろに接続する助動詞の意味の取り方ともに正しいです。

選択肢5. e「さらば」の「さら」は動詞「去る」の未然形で、ここを離れたら二度とは家族のもとに戻らないという景清の決意を表している。

文脈から判断できます。

発言の直後に景清が寝所へ移動していることから、ここでの「さらば」は話を切り上げる際の挨拶であることが分かります。

したがって、「去る」の未然形という解釈は誤りです。

まとめ

動詞そのものの意味だけでなく、そこに接続する助詞や助動詞、補助動詞の意味も正しく取れるようにしましょう。

また、複数の意味や用法がある語句に関しては、文脈に合わせた解釈ができることも重要です。

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