大学入学共通テスト(国語) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問29 (第3問(古文) 問8)
問題文
① 清水(きよみづ)坂(注1)の傍らに、阿古王(あこわう)と申す女、北野詣で(注2)をしけるが、京、白川(注3)の辻々(つじつじ)に立てたる札(ふだ)を読うでみるに、九年連れたる我が夫(つま)の悪七兵衛(あくしちびやうゑ)景清を討たむと書きて立ててあり。阿古王、あまりのもの憂さに、「この札を盗み取り、鴨川、桂川へもa 流さばやと思ひしが、中(ちゅう)にて心を引つ返し、「待てしばし、我が心。日本六十六箇国に、平家の知行とて、国の一所もあらばこそ。平家一味の者とては、夫の景清ばかりなり。包むとすると、このこと遂(つひ)には洩(も)れて討たれうず。景清討たれて、その後に不慮に思ひをせむよりも、九年連れたる情(なさけ)には、二人の若(わか)のあるなれば、このこと敵(かたき)に知らせつつ、景清を討ち取らせ、二人の若を世に立てて、後の栄華に誇らむ」と、思ひすました阿古王が心の内ぞ恐ろしき。
② この札懐中し、六波羅殿(ろくはらどの)(注4)へ参り、「札の表に任せて、参りて候(さぶら)ふ」と申し上ぐる。頼朝、なのめに思(おぼ)し召し、阿古王を召され、詳しく問はせ給(たま)へば、阿古王承り、「さん候ふ。景清が行方を人の知らぬも道理と思し召せ。この間は、尾張の熱田(注5)に候ひしが、平家の御代(みよ)の御時よりも、清水(注6)を信仰申し、月に一度はb 参り候ふ。明日は十八日。必ず自らが所へ来たるべし。本(もと)より大酒(たいしゅ)のことなれば、酒を勧むるものならば、前後も知らず伏すべし。その時、自らが参らうずるにて候ふぞ。大勢率(そつ)し押し寄せ、景清を討ち取らせ、自らに「(ア)所知を賜(た)べ。なう、我が君」と申す。頼朝、c 聞こし召されて「嬉(うれ)しう候ふ、阿古王御前。たつて所知をば与ふべし。それそれ」と仰せければ、「承る」と申して、砂金(しゃきん)三十両、阿古王に下(くだ)し賜ぶ。阿古王、賜(たまは)り候ひて、清水坂に帰りつつ、その日の暮るるを待ちたるは、情けなうこそ聞こえけれ。
③ あら無残や、景清。これをば夢にも知らずして、「明日は十八日。清水へ参らばや」と思ひ、尾州熱田を打つ立つて、四日路の道なるを、その日の暮れほどに、清水坂の傍らなる我が宿所へ立ち寄つて、門ほとほとと訪(おとづ)るる。内よりも「誰(た)そ」と答ふる。「いや、苦しうも候はず。景清なり」とぞ答へける。阿古王、なのめに喜うで、急ぎ立ち出(い)で、門を開き、景清を内へぞ請(しゃう)じける。二人の若どもは、父をd 遥(はる)かに見慣れれば、父が辺りへ立ち寄って、睦(むつ)ましげなる風情なり。阿古王、涙を流す風情にて、(イ)あらいたはしや、景清。平家の御代の御時は、悪七兵衛景清とて、公家にも武家にも憎まれず、一時の詣でにも、中間(ちゅうげん)、小者(注7)はなやかに、馬、鞍(くら)、小具足(注8)尋常に、さも(ウ)ゆゆしくおはせしが、いつしか平家に過ぎ後れ、精気玉桙(たまぼこ)(注9)窶(やつ)れ果て、御供も無うて、景清は、さこそ苦しくおはすらむ」。構へ置きたることなれば、種々の肴(さかな)を取り出だし、景清に酒をぞ強ひたりける。景清は見るよりも、いとほしき子どもは並(な)み居たり、酌(しゃく)に立つたるは女房なり、いづくに心か置かるべき。さし受けさし受け飲むほどに、さしもに剛(かう)なる景清も、敵のことをばはつたと忘れ、「嬉しう候ふ、阿古王御前。清水へは明日参らうずるにて候ふ。暇(いとま)申して、e さらば」とて、間(あひ)の障子をざらりと開け、簾中(れんちゅう)(注10)に移りて、籐(とう)の枕に並み寄りて、前後も知らず伏したるは、運の際(きは)とぞ聞こえける。
(注1)清水坂 ― 京都市東山区にある清水寺に至る坂。
(注2)北野詣で ― 京都市上京区にある北野天満宮への参詣。
(注3)白川 ― 京都の東の郊外。
(注4)六波羅殿 ― 「六波羅」は京都の南東の郊外。当時、源頼朝の邸宅があった。
(注5)尾張の熱田 ― 名古屋市熱田区にある熱田神宮。後出の「尾州熱田」も同じ。
(注6)清水 ― 清水寺。観音菩薩(ぼさつ)をまつっており、毎月十八日が祭礼の日であった。
(注7)中間、小者 ― 奉公人。
(注8)小具足 ― 武装品。
(注9)玉桙 ― ここでは道中の意味。
(注10)簾中 ― 寝所のこと。
Mさんのクラスでは本文を学んだ後、本文と同じく景清を題材にした浄瑠璃『出世景清(しゅつせかげきよ)』があることを学習した。次に示す文章は、本文の①段落に対応する『出世景清』の一節で(本文の「阿古王」は「阿古屋(あこや)」として登場)、【ワークシート】は、Mさんがこれを授業で読んで考察した内容を記し、教師に提出したものである。これらを読んで、後の問いに答えよ。
ここに阿古屋が一腹(いっぷく)(注1)の兄伊庭(いば)十蔵広近(ひろちか)は、北野詣でをしたりしが、大息(おほいき)ついて我が家に帰り、妹の阿古屋をかたはらに招き、「これを見よ、まことに果報は寝て待てとや。悪七兵衛景清を討つてなりとも搦(から)めて(注2)なりとも参らせたるものならば、勲功は望み次第との御制札を立てられたり。我等が栄華の瑞相(ずいさう)(注3)この時とおぼえたり。兵衛(注4)はいづくにありけるぞ。はや六波羅へ訴へて、一かど(注5)御恩にあづからん。いかにいかに」と仰せける。阿古屋はしばし返事もせず、涙にくれてゐたりしが、「なう兄上、そもや御身は本気にてのたまふか、ただしは狂気し給ふかや。わらはが夫(つま)にて候へば、御身のためには妹婿、この子は甥(をひ)にて候はずや。平家の御代にて候はば、誰かあらう景清と、飛ぶ鳥までも落ちし身が、今この御代にて候へばこそ、数ならぬ我々を頼みて御入(い)り候ふものを。たとへば日本に唐(から)をそへて賜(たまは)るとて、そもや訴人(そにん)(注6)がなるべきか。飛鳥懐(ひてうふところ)に入る時は狩人も助くるとよ。昨日までも今朝までも、隔てぬ仲をそもやそも退(の)かれうものか。さりとては、人は一代名は末代、思ひわけても御覧ぜよ」と、泣いつ、口説(くど)いつ、止(とど)めける。
(注1)一腹 ― 同腹。母を同じくすること。
(注2)搦めて ― 捕らえて。
(注3)瑞相 ― 吉兆。
(注4)兵衛 ― 景清のこと。
(注5)一かど ― 特別な。
(注6)訴人 ― 人を訴え出ること。
【ワークシート】
『出世景清』について ※『出世景清』=江戸時代に近松門左衛門が著した浄瑠璃作品。
◯『景清』(①段落)と比較をしてみよう
『景清』との共通点
・景清の身柄を六波羅へ差し出すよう命じた札が立てられている。
・立て札の内容を知った景清の妻の反応が描かれる。
『景清』との相違点
・『景清』には存在しなかった景清の妻の兄十蔵が新たに登場する。
・『景清』では阿古王が一人で考えて次の行動を決断するが、『出世景清』では景清への対応をめぐって阿古屋と兄十蔵が対立する。→十蔵と阿古屋の会話の内容をまとめると、( X )
◯比較して考えたことをまとめよう
『出世景清』の作者は『景清』と共通した枠組みを用いつつ、十蔵という新たな登場人物を加えている。その理由は、( Y )からだと言えるだろう。
教師のコメント
丁寧に比較することで読みが深まりましたね。『出世景清』はまだまだ話が続きます。この後、阿古屋と十蔵がどうなるか、ぜひ最後まで読んでみて下さい。
空欄( Y )に入る最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(国語)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問29(第3問(古文) 問8) (訂正依頼・報告はこちら)
① 清水(きよみづ)坂(注1)の傍らに、阿古王(あこわう)と申す女、北野詣で(注2)をしけるが、京、白川(注3)の辻々(つじつじ)に立てたる札(ふだ)を読うでみるに、九年連れたる我が夫(つま)の悪七兵衛(あくしちびやうゑ)景清を討たむと書きて立ててあり。阿古王、あまりのもの憂さに、「この札を盗み取り、鴨川、桂川へもa 流さばやと思ひしが、中(ちゅう)にて心を引つ返し、「待てしばし、我が心。日本六十六箇国に、平家の知行とて、国の一所もあらばこそ。平家一味の者とては、夫の景清ばかりなり。包むとすると、このこと遂(つひ)には洩(も)れて討たれうず。景清討たれて、その後に不慮に思ひをせむよりも、九年連れたる情(なさけ)には、二人の若(わか)のあるなれば、このこと敵(かたき)に知らせつつ、景清を討ち取らせ、二人の若を世に立てて、後の栄華に誇らむ」と、思ひすました阿古王が心の内ぞ恐ろしき。
② この札懐中し、六波羅殿(ろくはらどの)(注4)へ参り、「札の表に任せて、参りて候(さぶら)ふ」と申し上ぐる。頼朝、なのめに思(おぼ)し召し、阿古王を召され、詳しく問はせ給(たま)へば、阿古王承り、「さん候ふ。景清が行方を人の知らぬも道理と思し召せ。この間は、尾張の熱田(注5)に候ひしが、平家の御代(みよ)の御時よりも、清水(注6)を信仰申し、月に一度はb 参り候ふ。明日は十八日。必ず自らが所へ来たるべし。本(もと)より大酒(たいしゅ)のことなれば、酒を勧むるものならば、前後も知らず伏すべし。その時、自らが参らうずるにて候ふぞ。大勢率(そつ)し押し寄せ、景清を討ち取らせ、自らに「(ア)所知を賜(た)べ。なう、我が君」と申す。頼朝、c 聞こし召されて「嬉(うれ)しう候ふ、阿古王御前。たつて所知をば与ふべし。それそれ」と仰せければ、「承る」と申して、砂金(しゃきん)三十両、阿古王に下(くだ)し賜ぶ。阿古王、賜(たまは)り候ひて、清水坂に帰りつつ、その日の暮るるを待ちたるは、情けなうこそ聞こえけれ。
③ あら無残や、景清。これをば夢にも知らずして、「明日は十八日。清水へ参らばや」と思ひ、尾州熱田を打つ立つて、四日路の道なるを、その日の暮れほどに、清水坂の傍らなる我が宿所へ立ち寄つて、門ほとほとと訪(おとづ)るる。内よりも「誰(た)そ」と答ふる。「いや、苦しうも候はず。景清なり」とぞ答へける。阿古王、なのめに喜うで、急ぎ立ち出(い)で、門を開き、景清を内へぞ請(しゃう)じける。二人の若どもは、父をd 遥(はる)かに見慣れれば、父が辺りへ立ち寄って、睦(むつ)ましげなる風情なり。阿古王、涙を流す風情にて、(イ)あらいたはしや、景清。平家の御代の御時は、悪七兵衛景清とて、公家にも武家にも憎まれず、一時の詣でにも、中間(ちゅうげん)、小者(注7)はなやかに、馬、鞍(くら)、小具足(注8)尋常に、さも(ウ)ゆゆしくおはせしが、いつしか平家に過ぎ後れ、精気玉桙(たまぼこ)(注9)窶(やつ)れ果て、御供も無うて、景清は、さこそ苦しくおはすらむ」。構へ置きたることなれば、種々の肴(さかな)を取り出だし、景清に酒をぞ強ひたりける。景清は見るよりも、いとほしき子どもは並(な)み居たり、酌(しゃく)に立つたるは女房なり、いづくに心か置かるべき。さし受けさし受け飲むほどに、さしもに剛(かう)なる景清も、敵のことをばはつたと忘れ、「嬉しう候ふ、阿古王御前。清水へは明日参らうずるにて候ふ。暇(いとま)申して、e さらば」とて、間(あひ)の障子をざらりと開け、簾中(れんちゅう)(注10)に移りて、籐(とう)の枕に並み寄りて、前後も知らず伏したるは、運の際(きは)とぞ聞こえける。
(注1)清水坂 ― 京都市東山区にある清水寺に至る坂。
(注2)北野詣で ― 京都市上京区にある北野天満宮への参詣。
(注3)白川 ― 京都の東の郊外。
(注4)六波羅殿 ― 「六波羅」は京都の南東の郊外。当時、源頼朝の邸宅があった。
(注5)尾張の熱田 ― 名古屋市熱田区にある熱田神宮。後出の「尾州熱田」も同じ。
(注6)清水 ― 清水寺。観音菩薩(ぼさつ)をまつっており、毎月十八日が祭礼の日であった。
(注7)中間、小者 ― 奉公人。
(注8)小具足 ― 武装品。
(注9)玉桙 ― ここでは道中の意味。
(注10)簾中 ― 寝所のこと。
Mさんのクラスでは本文を学んだ後、本文と同じく景清を題材にした浄瑠璃『出世景清(しゅつせかげきよ)』があることを学習した。次に示す文章は、本文の①段落に対応する『出世景清』の一節で(本文の「阿古王」は「阿古屋(あこや)」として登場)、【ワークシート】は、Mさんがこれを授業で読んで考察した内容を記し、教師に提出したものである。これらを読んで、後の問いに答えよ。
ここに阿古屋が一腹(いっぷく)(注1)の兄伊庭(いば)十蔵広近(ひろちか)は、北野詣でをしたりしが、大息(おほいき)ついて我が家に帰り、妹の阿古屋をかたはらに招き、「これを見よ、まことに果報は寝て待てとや。悪七兵衛景清を討つてなりとも搦(から)めて(注2)なりとも参らせたるものならば、勲功は望み次第との御制札を立てられたり。我等が栄華の瑞相(ずいさう)(注3)この時とおぼえたり。兵衛(注4)はいづくにありけるぞ。はや六波羅へ訴へて、一かど(注5)御恩にあづからん。いかにいかに」と仰せける。阿古屋はしばし返事もせず、涙にくれてゐたりしが、「なう兄上、そもや御身は本気にてのたまふか、ただしは狂気し給ふかや。わらはが夫(つま)にて候へば、御身のためには妹婿、この子は甥(をひ)にて候はずや。平家の御代にて候はば、誰かあらう景清と、飛ぶ鳥までも落ちし身が、今この御代にて候へばこそ、数ならぬ我々を頼みて御入(い)り候ふものを。たとへば日本に唐(から)をそへて賜(たまは)るとて、そもや訴人(そにん)(注6)がなるべきか。飛鳥懐(ひてうふところ)に入る時は狩人も助くるとよ。昨日までも今朝までも、隔てぬ仲をそもやそも退(の)かれうものか。さりとては、人は一代名は末代、思ひわけても御覧ぜよ」と、泣いつ、口説(くど)いつ、止(とど)めける。
(注1)一腹 ― 同腹。母を同じくすること。
(注2)搦めて ― 捕らえて。
(注3)瑞相 ― 吉兆。
(注4)兵衛 ― 景清のこと。
(注5)一かど ― 特別な。
(注6)訴人 ― 人を訴え出ること。
【ワークシート】
『出世景清』について ※『出世景清』=江戸時代に近松門左衛門が著した浄瑠璃作品。
◯『景清』(①段落)と比較をしてみよう
『景清』との共通点
・景清の身柄を六波羅へ差し出すよう命じた札が立てられている。
・立て札の内容を知った景清の妻の反応が描かれる。
『景清』との相違点
・『景清』には存在しなかった景清の妻の兄十蔵が新たに登場する。
・『景清』では阿古王が一人で考えて次の行動を決断するが、『出世景清』では景清への対応をめぐって阿古屋と兄十蔵が対立する。→十蔵と阿古屋の会話の内容をまとめると、( X )
◯比較して考えたことをまとめよう
『出世景清』の作者は『景清』と共通した枠組みを用いつつ、十蔵という新たな登場人物を加えている。その理由は、( Y )からだと言えるだろう。
教師のコメント
丁寧に比較することで読みが深まりましたね。『出世景清』はまだまだ話が続きます。この後、阿古屋と十蔵がどうなるか、ぜひ最後まで読んでみて下さい。
空欄( Y )に入る最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
- 阿古王に備わっていた現実的で打算的な側面を十蔵に移すことによって、夫である景清を一心に救おうとする阿古屋を描き出そうとした
- 権力に追従(ついじゅう)する阿古王の卑屈な一面を十蔵に移すことによって、地位や名誉を捨てても家族への愛を失わない阿古屋を描き出そうとした
- 北野詣でを欠かさない阿古王の信心深い性格を十蔵に移すことによって、神仏に逆らってでも意志を貫こうとする阿古屋を描き出そうとした
- 立て札を最初に確認するという阿古王が担った役割を十蔵に移すことによって、兄がもたらす情報に一喜一憂する阿古屋を描き出そうとした
正解!素晴らしいです
残念...
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