大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問5 (世界史B(第1問) 問5)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問5(世界史B(第1問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史上の学者や知識人について述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。

次の資料は、9世紀にイラン北東部の都市ニーシャープールで生きた、ハサン=ブン=イーサーという人物の伝記記事の概略である。

資料
ハサン=ブン=イーサーは、c キリスト教を信仰する裕福な旧家の出身であったが、イスラーム教に改宗した。そして、イスラーム諸学の知識を求めて旅をし、各地の師に会って学んだ。彼は、信心深く敬虔(けいけん)で、学識の確かな者であった。ニーシャープールの法学者やハディース学者は、彼を高く評価してきた。
彼は、ヒジュラ暦239年シャウワール月(西暦854年3月頃)に、「預言者ムハンマドが、『ナルド(注)で遊ぶ者は、神と神の使徒(預言者)に背いている』と言った」というハディースを講じた。彼のハディースの講義には、1万2千人が出席した。
彼はヒジュラ暦240年(西暦855年頃)に死去した。
(注)ナルドーボードゲームの一種。

資料から、ハサン=ブン=イーサーが( イ )として活躍し、特に( ウ )の分野で評価されたことが読み取れる。

イランにおける下線部cの宗教の歴史について述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
  • サファヴィー朝の国教となった。
  • ネストリウス派が伝わった。
  • カニシカ王が保護した。
  • イスラーム教と融合して、シク教となった。

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この過去問の解説 (1件)

01

この問題では、ハサン=ブン=イーサーの出自に関連する「キリスト教」が、イランの歴史の中でどのように位置づけられていたかを理解することが求められています。
各選択肢の内容がイランやその周辺でどのように関係していたかを確認していきます。

選択肢1. サファヴィー朝の国教となった。

これは誤りです。
サファヴィー朝(16世紀〜18世紀初頭)の国教は、シーア派イスラームです。
キリスト教ではありません。

選択肢2. ネストリウス派が伝わった。

これは正しい記述です。
ネストリウス派(東方教会の一派)は、キリスト教の一宗派で、ローマ帝国内で異端とされましたが、東方に伝わりました。
特に、サーサーン朝ペルシアやその後のイラン地域では一定の信徒が存在しており、イラン北東部などにも伝えられました
この文脈から、ハサン=ブン=イーサーが「キリスト教を信仰していた」という背景ともつながります。

選択肢3. カニシカ王が保護した。

これは誤りです。
カニシカ王(クシャーナ朝の王)が保護したのは、仏教です。

特に、大乗仏教を庇護し、第4回仏典結集を行ったことで知られています。
キリスト教とは無関係です。

選択肢4. イスラーム教と融合して、シク教となった。

これは誤りです。
シク教は、16世紀のインド北部で成立した宗教で、ヒンドゥー教とイスラーム教の要素を融合したものとされます。
イランやキリスト教とは関係がありません。

まとめ

イランには古くからキリスト教の一派であるネストリウス派が伝わっており、ハサン=ブン=イーサーの出自とも一致しています。
他の選択肢は宗教や地域の関連性に誤りがあります。

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