大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問12 (世界史B(第2問) 問3)
問題文
冷戦期、a ソ連は( ウ )にミサイル基地を建設しようとした。アメリカ合衆国は基地建設に反発して、( ウ )を海上封鎖し、米ソ間で一触即発の危機が発生した。米ソ首脳による交渉の結果、ソ連はミサイルの撤去に同意し、衝突が回避された。次の資料は、その出来事の翌年に、当時のアメリカ合衆国大統領が行った演説である。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
資料
我々はジュネーヴで、軍拡競争の緊張を緩和し、偶発的な戦争の危険を軽減する軍備管理の第一段階について、交渉を進めてきました。これらの交渉のなかで、終わりは見えながらも新たな始まりを大いに必要とする一つの重要な分野が、核実験を非合法化する条約の交渉でした。当該条約は、最も危険な地域の一つで、軍拡競争の悪循環を抑えることになるでしょう。
これに関して、私は二つの重要な決定について発表いたします。第一に、フルシチョフ第一書記とマクミラン首相並びに私は、包括的な核実験禁止条約に関する早期の妥結を目指し、間もなくモスクワでハイレベルの議論を始めることに合意しました。第二に、この問題についての我々の誠意と厳粛な信念を明らかにするために、アメリカ合衆国は、他国が行わない限り、大気圏内における核実験を自ら行わないことを宣言いたします。
この演説を行った大統領は、交渉の過程で妥協を強いられつつも、演説中で述べられている首脳との間で条約を締結した。
前の文章中の空欄(ウ)の国の歴史について述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問12(世界史B(第2問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
冷戦期、a ソ連は( ウ )にミサイル基地を建設しようとした。アメリカ合衆国は基地建設に反発して、( ウ )を海上封鎖し、米ソ間で一触即発の危機が発生した。米ソ首脳による交渉の結果、ソ連はミサイルの撤去に同意し、衝突が回避された。次の資料は、その出来事の翌年に、当時のアメリカ合衆国大統領が行った演説である。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
資料
我々はジュネーヴで、軍拡競争の緊張を緩和し、偶発的な戦争の危険を軽減する軍備管理の第一段階について、交渉を進めてきました。これらの交渉のなかで、終わりは見えながらも新たな始まりを大いに必要とする一つの重要な分野が、核実験を非合法化する条約の交渉でした。当該条約は、最も危険な地域の一つで、軍拡競争の悪循環を抑えることになるでしょう。
これに関して、私は二つの重要な決定について発表いたします。第一に、フルシチョフ第一書記とマクミラン首相並びに私は、包括的な核実験禁止条約に関する早期の妥結を目指し、間もなくモスクワでハイレベルの議論を始めることに合意しました。第二に、この問題についての我々の誠意と厳粛な信念を明らかにするために、アメリカ合衆国は、他国が行わない限り、大気圏内における核実験を自ら行わないことを宣言いたします。
この演説を行った大統領は、交渉の過程で妥協を強いられつつも、演説中で述べられている首脳との間で条約を締結した。
前の文章中の空欄(ウ)の国の歴史について述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。
- 北大西洋条約機構(NATO)に参加した。
- バティスタ政権が打倒された。
- フランスから黒人共和国として独立した。
- ナセルを指導者とする革命(クーデタ)が起こった。
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この過去問の解説 (1件)
01
この問題は、冷戦期に起きた「キューバ危機」を題材に、ソ連がミサイル基地を建設しようとした国(空欄ウ)について、その歴史的背景を問うものです。
文脈や時代背景から、空欄ウにはキューバが入ります。
それを踏まえて、各選択肢を検討していきます。
問題の背景:キューバ危機
・1962年、ソ連がキューバにミサイル基地を建設しようとしたことで、アメリカとソ連が核戦争寸前まで対立した事件です。
・アメリカはキューバを海上封鎖(封鎖線を張る)し、両国のトップ交渉によってソ連がミサイル撤去を決め、危機は回避されました。
・この国は当然「キューバ」です。
NATO(北大西洋条約機構)は、冷戦初期にアメリカを中心とする西側諸国が結成した軍事同盟です。
加盟国には、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランスなどの西ヨーロッパ諸国が含まれます。
キューバは加盟していません。
むしろ反米・社会主義国家です。
→ この選択肢は当てはまりません。
バティスタ政権は、キューバで1950年代まで続いた親米政権です。
1959年、フィデル=カストロやチェ=ゲバラが指導したキューバ革命によってこの政権は倒され、社会主義路線に転換しました。
その後、キューバはソ連と接近し、ミサイル基地建設につながります。
→ キューバの歴史に一致します。
この記述はハイチの歴史を指しています。
ハイチは1804年、トゥサン=ルヴェルチュールらの指導によって、フランスから独立した世界初の黒人共和国となりました。
キューバはスペインから独立した国であり、フランスや「黒人共和国」とは異なります。
→ キューバの歴史とは関係ありません。
これはエジプトの出来事です。
1952年にナセルら自由将校団がクーデタを起こし、国王を追放して共和制を樹立しました。
ナセルはその後、スエズ運河国有化やアラブ民族主義の旗手としても有名です。
→こちらもキューバとは無関係です。
キューバ危機に関する説明の中で、最も適切な歴史的背景は「バティスタ政権が打倒された。」です。
キューバ革命を経て社会主義国となり、冷戦の対立構造の中で重大な位置を占めるようになりました。
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