大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問32 (世界史B(第5問) 問4)
問題文
あるクラスで、次の写真を基に、授業が行われている。
先生:これは関帝といって、『三国志演義』の物語で活躍する関羽という武将が神様として祭られています。
高橋:横浜の中華街にある関帝廟なら聞いたことがあります。でもどうして日本で祭られているのでしょうか。
先生:それは、中国から日本に移り住んだ人々が建てたものです。日本では神戸や長崎などにもありますし、アジア各地にはたくさんあります。
杉本:へえ、いろんな所にあるんですね。そんなに広がったのはなぜなんでしょうか。
先生:古くから中国人は周辺地域に進出していましたが、19世紀以降、世界中でb 中国人の移民が急増しました。横浜の関帝廟も明治維新前後に最初の廟が建てられました。
松井:古代の人物がそんなに祭られているのが不思議ですが、どういう理由があるのでしょうか。
先生:関羽は勇猛な武将として、まず軍神として祭られました。乾隆帝は( エ )を征服しましたが、ムスリムが多く住む( エ )の各地にも関帝廟を建てて、王朝の威光を示しました。その一方で、民衆の間では財神、つまり商売繁盛の神様として信仰を集めました。
高橋:だから各地の中華街でも祭られているわけですね。なぜ商売繁盛の神様になったのでしょうか。
先生:関羽の出身地とされる山西省の山西商人たちが祭り始めたためとも言われています。彼らが全国的な商業活動を展開した( オ )の時代から( カ )ことも関帝の信仰が各地に広がった背景にあるでしょう。
下線部bの歴史について述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。
問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問32(世界史B(第5問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)
あるクラスで、次の写真を基に、授業が行われている。
先生:これは関帝といって、『三国志演義』の物語で活躍する関羽という武将が神様として祭られています。
高橋:横浜の中華街にある関帝廟なら聞いたことがあります。でもどうして日本で祭られているのでしょうか。
先生:それは、中国から日本に移り住んだ人々が建てたものです。日本では神戸や長崎などにもありますし、アジア各地にはたくさんあります。
杉本:へえ、いろんな所にあるんですね。そんなに広がったのはなぜなんでしょうか。
先生:古くから中国人は周辺地域に進出していましたが、19世紀以降、世界中でb 中国人の移民が急増しました。横浜の関帝廟も明治維新前後に最初の廟が建てられました。
松井:古代の人物がそんなに祭られているのが不思議ですが、どういう理由があるのでしょうか。
先生:関羽は勇猛な武将として、まず軍神として祭られました。乾隆帝は( エ )を征服しましたが、ムスリムが多く住む( エ )の各地にも関帝廟を建てて、王朝の威光を示しました。その一方で、民衆の間では財神、つまり商売繁盛の神様として信仰を集めました。
高橋:だから各地の中華街でも祭られているわけですね。なぜ商売繁盛の神様になったのでしょうか。
先生:関羽の出身地とされる山西省の山西商人たちが祭り始めたためとも言われています。彼らが全国的な商業活動を展開した( オ )の時代から( カ )ことも関帝の信仰が各地に広がった背景にあるでしょう。
下線部bの歴史について述べた文として最も適当なものを、次のうちから一つ選べ。

- アメリカ合衆国で、19世紀末に中国人移民の制限が撤廃された。
- 東京で、華僑を中心に興中会が結成された。
- 福建・広東の人々が、清の禁令を犯して東南アジアに移り住んだ。
- マラヤ連邦を中心に成立したマレーシアで、中国系住民を優遇する政策が採られた。
正解!素晴らしいです
残念...
この過去問の解説 (1件)
01
この問題は、関羽をまつる関帝信仰と中国人移民の歴史との関係について考えるものです。
写真に写っている像は関羽で、彼は『三国志演義』で活躍する勇猛な武将です。
中国では軍神として、また商売繁盛の神様としても信仰され、世界中の中華街に関帝廟が建てられました。
その背景には、19世紀以降の中国人移民の広がりがあります。
問題文の下線部b「中国人の移民が急増した」という歴史に関連する選択肢を見ていきます。
不適切です。
むしろ逆で、1882年に排華移民法(Chinese Exclusion Act)が成立し、中国人移民は制限されました。
興中会は孫文が組織した革命団体で、1894年にハワイで結成され、後に香港に拠点を置きました。
東京で結成されたのではありません。
適切です。
明・清の時代には海外渡航を制限する「海禁政策」がありましたが、福建や広東の沿岸部の人々はこれを破って移住し、東南アジア各地に定住しました。
これが近代の中国人移民の先駆けとなりました。
不適切です。
マレーシアでは、独立後にマレー人を優遇するブミプトラ政策が導入され、中国系住民はむしろ不利な立場に置かれました。
関帝信仰が広まった背景には、福建や広東から東南アジアへの中国人移民の広がりがあります。
彼らの活動とともに、関羽をまつる信仰も各地に根付いていきました。
参考になった数0
この解説の修正を提案する
前の問題(問31)へ
令和4年度(2022年度)本試験 問題一覧
次の問題(問33)へ