大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問33 (世界史B(第5問) 問5)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問33(世界史B(第5問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史上の墓や廟(びょう)について述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。

あるクラスで、次の写真を基に、授業が行われている。

先生:これは関帝といって、『三国志演義』の物語で活躍する関羽という武将が神様として祭られています。
高橋:横浜の中華街にある関帝廟なら聞いたことがあります。でもどうして日本で祭られているのでしょうか。
先生:それは、中国から日本に移り住んだ人々が建てたものです。日本では神戸や長崎などにもありますし、アジア各地にはたくさんあります。
杉本:へえ、いろんな所にあるんですね。そんなに広がったのはなぜなんでしょうか。
先生:古くから中国人は周辺地域に進出していましたが、19世紀以降、世界中でb 中国人の移民が急増しました。横浜の関帝廟も明治維新前後に最初の廟が建てられました。
松井:古代の人物がそんなに祭られているのが不思議ですが、どういう理由があるのでしょうか。
先生:関羽は勇猛な武将として、まず軍神として祭られました。乾隆帝は( エ )を征服しましたが、ムスリムが多く住む( エ )の各地にも関帝廟を建てて、王朝の威光を示しました。その一方で、民衆の間では財神、つまり商売繁盛の神様として信仰を集めました。
高橋:だから各地の中華街でも祭られているわけですね。なぜ商売繁盛の神様になったのでしょうか。
先生:関羽の出身地とされる山西省の山西商人たちが祭り始めたためとも言われています。彼らが全国的な商業活動を展開した( オ )の時代から( カ )ことも関帝の信仰が各地に広がった背景にあるでしょう。

次の図中に示したa~dのうち、前の文章中の空欄(エ)の地域の位置として最も適当なものを、後のうちから一つ選べ。
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この過去問の解説 (1件)

01

この問題は、清の乾隆帝による征服地と関帝廟の設置との関係から、地図上でその地域がどこかを見極める内容です。

 

 

 

文章の中で「乾隆帝は(エ)を征服しましたが、ムスリムが多く住む(エ)の各地にも関帝廟を建てて、王朝の威光を示しました」とあります。

ここでの(エ)は、新疆ウイグル地域を指しています。

この地域は18世紀後半、清の乾隆帝によって征服され、のちに「新疆(しんきょう)」と名付けられました。

新疆はもともとイスラム教徒(ムスリム)が多く住む地であり、清朝はこの異文化地域を支配下に置くため、漢民族的な権威の象徴として関帝廟を建設し、文化的支配を強めようとしました。

 

図で新疆の位置に当たるのは、bのエリアです。
中国の内陸西方に位置し、中央アジアに接する広大な地域です。

選択肢1. a

華北(かほく)地方です。

代表地域は北京市・河北省・山東省などになります。

中国文明の中心地のひとつで、黄河流域にあたります。

古代の殷・周・漢・唐など多くの王朝がこの地域に都を置きました。

選択肢2. b

新疆(しんきょう)ウイグル自治区に当たり、正しい選択肢です。

代表都市はウルムチ、カシュガルなどで、中央アジアと接し、シルクロードの要衝です。

古来より異民族・異文化の交差点となってきました。

ウイグル族を中心に、ムスリム(イスラム教徒)が多く居住します。

18世紀に乾隆帝が征服し、清の版図に組み込まれ、以後「新疆(新しい領土)」と呼ばれました。

選択肢3. c

台湾です。

17世紀に漢民族が移住し始め、清の時代には本格的に中国の一部となりました。

1895年の日清戦争後は日本に割譲され、1945年に中国に返還されました。

 

選択肢4. d

福建省・広東省(中国南部の沿海部)です。

代表都市はアモイ(厦門)、広州などで、多くの中国人移民(華僑)がここから東南アジアや世界各地へ移動した出発点です。

清朝時代以降、多くの移民を送り出し、東南アジアの華僑社会の礎を築きました。

まとめ

乾隆帝が征服し、関帝廟を建てさせた(エ)の地域は、現在の新疆ウイグル自治区にあたります。

ムスリムが多く住むこの地に王朝の威信を示すため、廟の建設が行われました。

地図上では、その位置はbにあたります。

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