大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問40 (日本史B(第1問) 問6)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問40(日本史B(第1問) 問6) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は、高校生の陽菜(はるな)さんと大輝(だいき)さんとの会話である。この文章を読み、後の問いに答えよ。(資料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)

陽菜:日本史を勉強していて気付いたんだけれど、小野妹子は「おのの/いもこ」、北条政子は「ほうじょう/まさこ」と読み、「の」があったり、なかったりするよね。これはなぜなのか知っている?
大輝:僕も同じような疑問を持ったので、先生に質問したことがあったよ。その時、姓(せい)と苗字(名字)の違いに関係する、というアドバイスをもらったんだ。そこで、次のようなメモを作成したことがあるよ。

大輝さんのメモ
姓(せい)
・氏(うじ)は大王やヤマト政権に仕える同族集団をもとに成立。
・姓(かばね)は大王から氏に与えられた称号。
・律令制下では、姓は氏と姓の総称とされた。
・天皇は姓を持たない。
・平安時代に姓が形骸化して、姓は専ら氏を指すようになった。
・平安時代以降、源・平・藤原・橘が代表的な姓となる。
苗字(名字)
・家名として私称されたことに始まる。
・叙位・任官などの際には、苗字ではなく姓が用いられる。
a 武家の苗字は、所領の地名に由来するものが多い
・明治時代には、それまでの百姓や町人にも苗字の公称が許された

大輝:姓(せい)は、やがて氏(うじ)と同じものになるけど、苗字とは違うものだったんだね。北条政子の場合、平氏の一族であり、平政子が正式な名前と考えられているみたいだね。
陽菜:ということは、北条政子は( ア )だから、「の」がつかないんだね。
大輝:そう、大正解。だけど、例外があるとすれば、豊臣秀吉かな。本来であれば、「とよとみの/ひでよし」というべきなんだけどなあ。b 秀吉が「木下」や「羽柴」を名乗ったように、同じ人でもいろんな名前があったんだ。それに近世になると、百姓や町人たちも、苗字を持っていたようだよ。苗字帯刀の禁止というように、あくまでも公称が許されなかっただけなんだ。
陽菜:へえそうなんだ。すっかり勘違いしていた……。
大輝:明治時代になると、政府は( イ )ために、平民にも苗字を名乗らせたんだ。
陽菜:明治の民法では、女性は嫁いだ家の苗字を使うように義務付けたんだね。
大輝:そのとおり。その後、第二次世界大戦後に民法が改正され、結婚した夫婦の苗字はどちらかにそろえれば良くなったんだ。夫婦がどのような苗字を名乗るかは、現代でも大きな議論になっているね。

陽菜:個人名に注目してみると、小野妹子が男性であることも面白いね。
大輝:そうそう、最初は女性だとばかり思っていた。
陽菜:天皇家の名前を見てみると、「〇子」という女性名は、嵯峨天皇の時代に一般的になってくるみたいだよ。次の図には、嵯峨天皇の娘として、「正子内親王」「秀子内親王」「芳子内親王」の名前があるね。

大輝:あっ、本当だ。じゃあ、小野妹子の場合はどうなるの?
陽菜:妹子の生きた飛鳥時代には、蘇我馬子や中臣鎌子(鎌足)など、「子」は男性名として使われていたんだ。女性の場合、「〇姫(媛(ひめ)、比売(ひめ))」、「〇郎女(いらつめ)」、「〇売(め)(女)」が一般的だったみたいだね。
大輝:この系図を見ると、c 嵯峨天皇の子どもから名前のつけ方ががらりと変わってるのが分かるね
陽菜:そうなんだ。「山部」とか「大伴」は、どれも彼らの乳母の氏、養育氏族の名称なんだ。嵯峨天皇の親王になると、良い意味を持つ共通の漢字がつけられるようになる。d 個人名のつけ方って時代や社会の変化と関わっているんだ。今だって、個人名には流行があるよね。大正時代から現在までの個人名については、「生まれ年別名前ベスト10」が公開されているんだって。
大輝:面白そうだね。今度、調べてみよう。

その後、陽菜さんと大輝さんは、「人名から見た日本の歴史」について意見を交わした。次の意見a~dについて、最も適当なものの組合せを、後のうちから一つ選べ。

a 天皇は姓(せい)を持っておらず、それを臣下に与える存在であったと考えられる。
b 江戸時代以前における日本の支配階層においては、夫婦同姓が原則であったと考えられる。
c 近世の百姓・町人が基本的に苗字の公称を許されなかったのは、武士身分との差別化を図るためと考えられる。
d 明治の民法が女性に嫁ぎ先の苗字を使用させたのは、啓蒙思想の普及を図るためと考えられる。
問題文の画像
  • a・c
  • a・d
  • b・c
  • b・d

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この過去問の解説 (1件)

01

この問題は、日本の歴史における人名の変化や制度との関わりを読み取り、適切な理解ができているかを問う内容です。

とくに姓(せい)、苗字、夫婦の姓の扱いについて、それぞれの時代背景とともに検討する必要があります。

 

 

 

それぞれの意見を確認します。

a 天皇は姓(せい)を持っておらず、それを臣下に与える存在であったと考えられる。

→ 正しいです。
日本では古代から天皇は姓を持たず、臣下に「源」「平」などの姓(氏姓)を与える立場でした。

たとえば嵯峨天皇の子に「源」姓を与えたことが有名です。

 

b 江戸時代以前における日本の支配階層においては、夫婦同姓が原則であったと考えられる。

→ 誤りです。
江戸時代以前は、結婚しても姓を変えずに別姓のままであることが一般的でした。

特に公家や武家でも、女性が実家の姓を名乗ることは普通にありました。

夫婦同姓が原則化されたのは明治民法以降のことです。

 

c 近世の百姓・町人が基本的に苗字の公称を許されなかったのは、武士身分との差別化を図るためと考えられる。

→ 正しいです。
苗字帯刀は武士の特権とされ、百姓・町人にも苗字を持つ者はいましたが、公に名乗ることは禁止されていました。

これは身分秩序を保つための政策です。

 

d 明治の民法が女性に嫁ぎ先の苗字を使用させたのは、啓蒙思想の普及を図るためと考えられる。

→ 誤りです。
明治の民法では家制度を重視し、戸主を中心とした「家」に統一させるために、女性は夫の姓(家の姓)を名乗るよう義務付けられました。

啓蒙思想の普及というより、家制度の強化が目的でした。

 

 

 

この問題の正しい選択肢は、 a・c です。

選択肢1. a・c

正しいです。

選択肢2. a・d

誤りです。

選択肢3. b・c

誤りです。

選択肢4. b・d

誤りです。

まとめ

日本の人名制度は、時代ごとの政治や社会の制度と深く結びついています。

天皇と姓、武士と苗字、民法と家制度といった視点から整理することで、人名の歴史的変遷が見えてきます。

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