大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問41 (日本史B(第2問) 問1)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問41(日本史B(第2問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

高校生のリツさんは、日本古代の法は、中国の法にならって編纂(へんさん)されたことを教わった。そこで、先生の助言を受けて、日本古代の法整備の歴史と、中国の法典をもたらした遣隋使・遣唐使の派遣について、年表にまとめて整理してみた。この年表を読んで、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)

リツさんは、年表の下線部aの600年に派遣された遣隋使が、日本の文献史料には記録がなく、中国の文献史料にのみ記載されていることを知った。この下線部aの遣隋使や、その前後の日本の出来事について述べた文として正しいものを、次のうちから一つ選べ。
問題文の画像
  • この遣隋使の前に中国に使節を派遣したのは、100年以上前のことだった。
  • この遣隋使の時に、曇徴が帰国して紙や墨の技法を伝えた。
  • この遣隋使の派遣以前に、冠位十二階や憲法十七条が定められた。
  • この遣隋使は、新しい律令の施行を中国に宣言するために派遣された。

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この過去問の解説 (2件)

01

この問題は、飛鳥時代に遣隋使が送られた背景と前後の出来後を理解しているかを問うものです。

 

答えは「この遣隋使の前に中国に使節を派遣したのは、100年以上前のことだった」です。

 

6世紀あたりの日本は、ヤマト政権によって氏姓制度を作り上げ、豪族に姓が与えられるようになった時期です。

文明の発展のための知識や技術がない日本は、高句麗や隋と交流することで文化を知っていきました。

 

 

それぞれの選択肢を解説します。

選択肢1. この遣隋使の前に中国に使節を派遣したのは、100年以上前のことだった。

『宋書』倭国伝には、5世紀始めから約1世紀近くの間、倭の五王が南朝に朝貢していたことが記されています。

つまり、中国に派遣したのは表内6世紀の遣隋使が初めてではなく、100年以上前から派遣していたと分かります。

 

よって、正しいです。

選択肢2. この遣隋使の時に、曇徴が帰国して紙や墨の技法を伝えた。

曇徴が日本に紙や墨の技術を教えたのは正しいですが、教えた時期は7世紀前半で遣隋使より後の出来事です。

また、曇徴は高句麗の僧であるため、帰国して伝えたわけではありません。

 

よって、誤りです。

選択肢3. この遣隋使の派遣以前に、冠位十二階や憲法十七条が定められた。

冠位十二階は603年、憲法十七条は604年に定められました。

これらが制定されたのは7世紀初期なので、遣隋使の派遣よりも後だと分かります。

 

よって、誤りです。

選択肢4. この遣隋使は、新しい律令の施行を中国に宣言するために派遣された。

律令制度が整い、日本で初めて編纂されたのは701年に完成された大宝律令です。

日本の律令は、の律令に習いながら作成されました。

 

よって、誤りです。

 

まとめ

この問題では、選択肢の出来事がどの時期に起きたのかを把握しておく必要がありました。また、中国への朝貢や交流の記録は、『宋書』倭国伝のほか、『漢書』地理志や『後漢書』東夷伝などにも記されています。史料内容を読み返しておくことが重要です。

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02

この問題は、600年に派遣された最初の遣隋使(けんずいし)と、その時代背景について正しく理解しているかを問うものです。

 

 

まず、年表の「a」にあたる遣隋使(600年)は、小野妹子よりも前の時期に派遣された最初の遣隋使で、倭王(聖徳太子の時代)から隋の文帝への使節とされています。

この遣隋使について、日本の『日本書紀』などには記録がなく、中国の『隋書』にのみ記されています。

 

では、それを踏まえて選択肢を確認します。

選択肢1. この遣隋使の前に中国に使節を派遣したのは、100年以上前のことだった。

→ 正しいです。
この遣隋使(600年)の前に中国(南朝)へ最後に使節を送ったのは、5世紀後半の倭王武(雄略天皇)の時代で、『宋書』倭国伝などに記録があります。

したがって約100年ぶりの対中国使節といえます。

選択肢2. この遣隋使の時に、曇徴が帰国して紙や墨の技法を伝えた。

→ 誤りです。
曇徴(どんちょう)は、高句麗の僧で、紙・墨・絵の具などの技術を日本に伝えた人物ですが、彼の来日は7世紀の中ごろで、遣隋使の時代よりもです。

選択肢3. この遣隋使の派遣以前に、冠位十二階や憲法十七条が定められた。

→ 誤りです。
冠位十二階は603年、憲法十七条は604年に制定されたとされており、遣隋使(600年)よりです。

選択肢4. この遣隋使は、新しい律令の施行を中国に宣言するために派遣された。

→ 誤りです。
当時の日本にはまだ律令制度はなく、律令の施行は後の大宝律令(701年)などの時代になります。

中国に律令の施行を宣言する目的ではありません。

まとめ

600年の遣隋使は、約100年ぶりに中国へ送られた使節で、日本の記録にはなく、中国側の記録にのみ残されています。

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