大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問51 (日本史B(第4問) 問1)
問題文
メモ
・近世の支配身分の人々には、将軍や大名・旗本などの武士だけではなく、公家なども含まれている。
・被支配身分の人々には、百姓や町人・職人以外にも様々な身分の人々が存在した。その中には、居住地や服装などで区別され、下位の身分とされた非人などもいた。
・様々な身分の人々は、百姓・町人のa 村・町などのように、独自の構造を持つ集団や組織を形成していた。宗教やb 芸能に携わる人々も同様に集団や組織をつくることがあった。
・非人は、江戸の場合、河岸や寺院の境内などに小屋をかけて住んだ。小屋を管理する大勢の小屋頭を4人の非人頭が統轄していた。
・江戸の非人は、牢屋の管理、堀や川の不浄物の片付け等、組織を通じ、幕府に対して様々な役を担った。その一方で、物乞いをしたり、芸能に携わったりしていた。
・c 近世後期になると、村・町などの集団・組織を通じた支配が動揺した。d 都市では、組織に属さない「野非人」と呼ばれる人々も増加し、その取締りが社会問題となった。
下線部aに関連して、近世の村や町について述べた文として誤っているものを、次のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問51(日本史B(第4問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)
メモ
・近世の支配身分の人々には、将軍や大名・旗本などの武士だけではなく、公家なども含まれている。
・被支配身分の人々には、百姓や町人・職人以外にも様々な身分の人々が存在した。その中には、居住地や服装などで区別され、下位の身分とされた非人などもいた。
・様々な身分の人々は、百姓・町人のa 村・町などのように、独自の構造を持つ集団や組織を形成していた。宗教やb 芸能に携わる人々も同様に集団や組織をつくることがあった。
・非人は、江戸の場合、河岸や寺院の境内などに小屋をかけて住んだ。小屋を管理する大勢の小屋頭を4人の非人頭が統轄していた。
・江戸の非人は、牢屋の管理、堀や川の不浄物の片付け等、組織を通じ、幕府に対して様々な役を担った。その一方で、物乞いをしたり、芸能に携わったりしていた。
・c 近世後期になると、村・町などの集団・組織を通じた支配が動揺した。d 都市では、組織に属さない「野非人」と呼ばれる人々も増加し、その取締りが社会問題となった。
下線部aに関連して、近世の村や町について述べた文として誤っているものを、次のうちから一つ選べ。
- 村は、村役人を中心に本百姓によって運営された。
- 年貢の収納や夫役の割り当ては、村がとりまとめていた。
- 町は、町内に居住する人々の総意により運営された。
- 町人は、上・下水の管理や防火の役目も担っていた。
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この過去問の解説 (2件)
01
この問題は、近世(江戸時代)の町人や村の運営役割について正誤を問うものです。
近世の百姓や商人などは町や村に住居し、それぞれの組織で自治的に生活していました。
答えは「町は、町内に居住する人々の総意により運営された」です。
今回は、誤っている文を選択するので、注意しましょう。
選択肢ごとに解説していきます。
村は村役人を中心とする本百姓によって運営され、道の整備や治安、防災などの仕事を自治的に行っていました。
村役人は、名主や組頭、百姓代からなり、村方三役とも呼ばれていました。
本百姓は、石高持ちの戸主で主に男性が務めていました。
よって、文章は正しいので、答えとして誤りです。
今まで政府が行っていた年貢の収納や夫役(ぶやく)の割り当ては、諸大名や幕府が村の自治運営に依存したことで、村全体で取りまとめることになりました。これを村請制と言います。
よって、文章は正しいので、答えとして誤りです。
町は、名主や月行事などを中心に町法に基づいて運営されました。
町には、地借(じがり)や借家、店借(たながり)、奉公人など様々な階層が住んでいましたが、彼らは町の運営に参加することはできませんでした。
つまり、町内に住居する人々の総意のもと運営されているわけではありません。
よって、この文章は間違っており、選択肢として正しいです。
町の自治制度は村と似ており、上下水道整備や防火、防災などの仕事を町人の中から割り当てられた町人足といわれる夫役で務めていました。
よって、この文章は正しいので、選択肢として誤りです。
この問題では、近世の村や町の自治制の内容や住居人の構成を理解しておく必要がありました。
当時の身分制度を復習しておきましょう。
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02
この問題では、近世の町・村の自治について聞かれています。
近世の町・村はある程度の自治が認められており、それを利用して藩や幕府が効率よく支配していました。
誰が中心となって町・村を運営したのか、どんな役割があったのか確認しましょう。
正しいです。
名主・庄屋を筆頭とした村役人が中心となり、自作農である本百姓が村の運営に参加しました。
正しいです。
村がまとめて年貢を集め納めることを「村請制」と言います。
また、城の普請や橋・水路などの土木工事を行う労働「夫役」の村人への割り当ても村役人が決めていました。
誤りです。
町では町年寄・町名主・月行事などの町役人が町人から選ばれ、町の実務を担っていました。
しかし、有力な町人の意見が反映されやすく、最終的な決定権は江戸町奉行や大坂町奉行などが行なっていました。
正しいです。
町には上下水が整備されており、清掃・点検などの管理を町人がしていました。
また、木造建築が密集する江戸では1つの火事が大火に繋がることも多く、町火消しの結成など防火体制を整えていました。
村と町で自治の仕組みが異なりますが、それぞれに自治権がありました。
村では村役人による自治、町では江戸町奉行や大坂町奉行などに決定権のある半自治制度、と知っておきましょう。
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