大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問56 (日本史B(第5問) 問1)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問56(日本史B(第5問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

アメリカ合衆国ハワイ州の高校と交流を持つ日本の高校の授業で、日本とハワイとの関係についての歴史を調べることになった。次の文章は、調べる課題や内容を設定する際のミキさんとカズさんとの会話文である。この文章を読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。

ミキ:ハワイは、19世紀初めから19世紀末まで、ハワイ王国という独立した国だったんだね。
カズ:幕末に、江戸幕府とハワイ王国との間で、条約締結に向けた交渉が行われているよ。結局、条約締結前に幕府は崩壊したのだけど。
ミキ:幕末とはいえ、江戸時代にも日本とハワイとの間に交流があったんだね。
カズ:幕末になるにつれて、a 日本と海外諸国との交流も活発になっていくよね。江戸幕府は、1866年に日本人の海外渡航を解禁しているから、これを機に、日本の国際交流もさらに広がったのではないかな。
ミキ:海外渡航の解禁は、日本とハワイとの関係の歴史にも関わっていて、1868年に約150人の日本人がハワイに移民として渡っているよ。だけど、幕府が崩壊するタイミングだったこともあって、移民の契約のトラブルも生じ、明治新政府は対応に苦慮したんだって。
カズ:その後、ハワイ王国と日本とは、b 1871年に条約を結んでいるね。この条約で、ハワイの人が日本人を労働者として雇うことができる、ということが定められているよ。ハワイ王国では、サトウキビ栽培が盛んで、労働者として日本人移民を求めていたようだよ。
ミキ:だけど、ハワイへの移民はしばらく行われず、移民事業が本格化するのは、1885年のことのようだね。c 1885年からの約10年間、ハワイ政府と明治政府との合意で、約3万人の日本人がハワイに渡航したんだって。
カズ:なぜ、そんなに多くの日本人がハワイに渡ったのだろう。このことについて、もっと調べてみようよ。

下線部aに関して、幕末における日本と海外諸国との交流について述べた次の文X・Yと、それに該当する語句a~dとの組合せとして正しいものを、後のうちから一つ選べ。

X 江戸幕府は、オランダ人の教官を招いて、この地で海軍伝習を始めた。
Y 幕末に来日したアメリカ人宣教師のこの人物は、和英辞典を作成するなど、日本の英語教育にも影響を与えた。

a 長崎
b 浦賀
c ヘボン
d ベルツ
  • X ― a  Y ― c
  • X ― a  Y ― d
  • X ― b  Y ― c
  • X ― b  Y ― d

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この過去問の解説 (1件)

01

X:オランダの窓口といえば長崎であり、この地に海軍伝習所を設立し西洋式海軍技術を学ばせました。

Y:ヘボン式ローマ字の考案者でもあります。

 

選択肢1. X ― a  Y ― c

正しいです。

選択肢2. X ― a  Y ― d

誤りです。

選択肢3. X ― b  Y ― c

誤りです。

選択肢4. X ― b  Y ― d

誤りです。

まとめ

江戸時代の鎖国下で、諸外国との窓口は4つあったことから四つの口と呼ばれました。その中の一つとして長崎はオランダと中国の窓口として開かれていました。他の3つの窓口である対馬、薩摩、松前についても把握しましょう。

また、幕末はグローバル化が進み、来日外国人が増えた時代でもあります。著名な外国人をまとめておきましょう。

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