大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問57 (日本史B(第5問) 問2)
問題文
ミキ:ハワイは、19世紀初めから19世紀末まで、ハワイ王国という独立した国だったんだね。
カズ:幕末に、江戸幕府とハワイ王国との間で、条約締結に向けた交渉が行われているよ。結局、条約締結前に幕府は崩壊したのだけど。
ミキ:幕末とはいえ、江戸時代にも日本とハワイとの間に交流があったんだね。
カズ:幕末になるにつれて、a 日本と海外諸国との交流も活発になっていくよね。江戸幕府は、1866年に日本人の海外渡航を解禁しているから、これを機に、日本の国際交流もさらに広がったのではないかな。
ミキ:海外渡航の解禁は、日本とハワイとの関係の歴史にも関わっていて、1868年に約150人の日本人がハワイに移民として渡っているよ。だけど、幕府が崩壊するタイミングだったこともあって、移民の契約のトラブルも生じ、明治新政府は対応に苦慮したんだって。
カズ:その後、ハワイ王国と日本とは、b 1871年に条約を結んでいるね。この条約で、ハワイの人が日本人を労働者として雇うことができる、ということが定められているよ。ハワイ王国では、サトウキビ栽培が盛んで、労働者として日本人移民を求めていたようだよ。
ミキ:だけど、ハワイへの移民はしばらく行われず、移民事業が本格化するのは、1885年のことのようだね。c 1885年からの約10年間、ハワイ政府と明治政府との合意で、約3万人の日本人がハワイに渡航したんだって。
カズ:なぜ、そんなに多くの日本人がハワイに渡ったのだろう。このことについて、もっと調べてみようよ。
下線部bについて、次の史料1は日本とハワイ王国との修好通商条約の条文の一部である。この史料1に関して述べた後の文a~dについて、正しいものの組合せを、後のうちから一つ選べ。
史料1
ここに条約を結べる両国の臣民は、他国の臣民と交易するを許せる総(すべ)ての場所、諸港、及び河々に、其(そ)の船舶及び荷物を以て自由安全に来り得べし。故に、両国の臣民、右諸港諸地に止り、且つ住居を占め、家屋土蔵を借用し、又これを領する事妨げなく、諸種の産物、製造物、商売の法令に違背せざる商物を貿易し、他国の臣民に已(すで)に許せし、或(ある)いは此の後許さんとする別段の免許は、何(いず)れの廉(かど)にても、他国へ一般に許容するものは両国の臣民にも同様推及(すいきゆう)(注)すべし。
(『大日本外交文書』)
(注)推及:おし及ぼすこと。
a この条文では、両国の国民が相手国の国内を場所の制限なく往来したり、滞在・居住・商売したりすることができる、ということが定められている。
b この条文では、通商に関して他国の国民に認めたことを、日本とハワイ両国の国民にも適用する、ということが定められている。
c この条約と同じ年に結ばれた日清修好条規には、台湾での琉球漂流民殺害事件の賠償金の規定が含まれた。
d この条約と同じ年に結ばれた日清修好条規は、相互の領事裁判権を認めるなど、対等な条約内容であった。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問57(日本史B(第5問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
ミキ:ハワイは、19世紀初めから19世紀末まで、ハワイ王国という独立した国だったんだね。
カズ:幕末に、江戸幕府とハワイ王国との間で、条約締結に向けた交渉が行われているよ。結局、条約締結前に幕府は崩壊したのだけど。
ミキ:幕末とはいえ、江戸時代にも日本とハワイとの間に交流があったんだね。
カズ:幕末になるにつれて、a 日本と海外諸国との交流も活発になっていくよね。江戸幕府は、1866年に日本人の海外渡航を解禁しているから、これを機に、日本の国際交流もさらに広がったのではないかな。
ミキ:海外渡航の解禁は、日本とハワイとの関係の歴史にも関わっていて、1868年に約150人の日本人がハワイに移民として渡っているよ。だけど、幕府が崩壊するタイミングだったこともあって、移民の契約のトラブルも生じ、明治新政府は対応に苦慮したんだって。
カズ:その後、ハワイ王国と日本とは、b 1871年に条約を結んでいるね。この条約で、ハワイの人が日本人を労働者として雇うことができる、ということが定められているよ。ハワイ王国では、サトウキビ栽培が盛んで、労働者として日本人移民を求めていたようだよ。
ミキ:だけど、ハワイへの移民はしばらく行われず、移民事業が本格化するのは、1885年のことのようだね。c 1885年からの約10年間、ハワイ政府と明治政府との合意で、約3万人の日本人がハワイに渡航したんだって。
カズ:なぜ、そんなに多くの日本人がハワイに渡ったのだろう。このことについて、もっと調べてみようよ。
下線部bについて、次の史料1は日本とハワイ王国との修好通商条約の条文の一部である。この史料1に関して述べた後の文a~dについて、正しいものの組合せを、後のうちから一つ選べ。
史料1
ここに条約を結べる両国の臣民は、他国の臣民と交易するを許せる総(すべ)ての場所、諸港、及び河々に、其(そ)の船舶及び荷物を以て自由安全に来り得べし。故に、両国の臣民、右諸港諸地に止り、且つ住居を占め、家屋土蔵を借用し、又これを領する事妨げなく、諸種の産物、製造物、商売の法令に違背せざる商物を貿易し、他国の臣民に已(すで)に許せし、或(ある)いは此の後許さんとする別段の免許は、何(いず)れの廉(かど)にても、他国へ一般に許容するものは両国の臣民にも同様推及(すいきゆう)(注)すべし。
(『大日本外交文書』)
(注)推及:おし及ぼすこと。
a この条文では、両国の国民が相手国の国内を場所の制限なく往来したり、滞在・居住・商売したりすることができる、ということが定められている。
b この条文では、通商に関して他国の国民に認めたことを、日本とハワイ両国の国民にも適用する、ということが定められている。
c この条約と同じ年に結ばれた日清修好条規には、台湾での琉球漂流民殺害事件の賠償金の規定が含まれた。
d この条約と同じ年に結ばれた日清修好条規は、相互の領事裁判権を認めるなど、対等な条約内容であった。
- a・c
- a・d
- b・c
- b・d
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この過去問の解説 (2件)
01
この問題は、修好通商条約の内容を史料から読み取れるかが重要な問題です。
答えは、「b・d」です。
まず、史料1を訳します。
この条約を結べる両国の国民は、他国の国民と貿易が許されている全ての場所、港、または河川に、その船または貨物を自由で安全に赴くことができる。つまり、両国の国民は以上の各地港に止まり、且つ居住し、家屋を借用し、またこれを所有することも妨げられることなく、各地の産物や製造物、商売の法令に違反しない商物を貿易し、他国の国民にすでに許されており、あるいは今後許す特別な許可は、どんなものでも、他国へ一般に許可するものは両国の国民にも同様におし及ぼすこと。
→つまり、両国が他国に認めた条件は、両国の国民にも同様に適応されるという趣旨が書かれています。
a~dについて説明します。
[a この条文では、両国の国民が相手国の国内を場所の制限なく往来したり、滞在・居住・商売したりすることができる、ということが定められている]
→×
史料には、「他国の臣民と交易するを許せる総ての場所」=他国の国民と貿易が許されている全ての場所 と書かれており、国内をあちこち往来できるとは書かれていません。
[b この条文では、通商に関して他国の国民に認めたことを、日本とハワイ両国の国民にも適用する、ということが定められている]
→〇
史料には、「他国へ一般に許可するものは両国の国民にも同様におし及ぼす」とあり、選択肢と同じ内容が書かれています。
[c この条約と同じ年に結ばれた日清修好条規には、台湾での琉球漂流民殺害事件の賠償金の規定が含まれた]
→×
日清修好条規は日本が外国と結んだ初めての対等条約です。
台湾での琉球民殺害事件が起こったのは1871年ですが、日清修好条規よりも後に起こった出来事です。
清国が責任を負わないとしたため日本は1974年台湾に出兵しましたが、後から清国が日本の出兵を正当な理由だと認めたことで、賠償金を支払いました。しかし、この賠償金は日清修好条規の規定には含まれていません。
[d この条約と同じ年に結ばれた日清修好条規は、相互の領事裁判権を認めるなど、対等な条約内容であった]
→〇
日清修好条規では、相互に開港して領事裁判権を認め合う対等な条約でした。
誤っています。
誤っています。
誤っています。
正しいです。
この問題では、史料を読み取った上で1871年に起こった外国との出来事を把握しておく必要がありました。
1871年に岩倉使節団が派遣されてから、日本の外国との交流は増加していきます。対外関係について復習しておくと良いでしょう。
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02
aは「他国の臣民と交易するを許せる総(すべ)ての場所、諸港、及び河々」とあり、公益が許可された全ての場所、という意味になります。
bは「他国の臣民に已に許せし、或いは此の後許さんとする別段の免許は、何れの廉にても、他国へ一般に許容するものは両国の臣民にも同様推及すべし。」とあり、他国民に認めたことは両国民にも同様に認めるという内容となっています。
cで取り上げられた琉球漂流民殺害事件は1874年に起こった事件であり、1871年に結ばれた日清修好条規よりも後の時代であり、日清修好条規の賠償金には含まれていません。
dは1871年に結ばれた日清修好条規について触れています。領事裁判権を相互に承認したことで知られています。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
正しいです。
問題文にしっかり目を通すと大まかな意味は把握できますので、諦めずに問題文や史料を読み込みましょう。また、この時代には諸外国と多数条約を結びますので、各条約の内容をまとめておきましょう。
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