大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)本試験
問58 (日本史B(第5問) 問3)

このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。

問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)本試験 問58(日本史B(第5問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

アメリカ合衆国ハワイ州の高校と交流を持つ日本の高校の授業で、日本とハワイとの関係についての歴史を調べることになった。次の文章は、調べる課題や内容を設定する際のミキさんとカズさんとの会話文である。この文章を読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。

ミキ:ハワイは、19世紀初めから19世紀末まで、ハワイ王国という独立した国だったんだね。
カズ:幕末に、江戸幕府とハワイ王国との間で、条約締結に向けた交渉が行われているよ。結局、条約締結前に幕府は崩壊したのだけど。
ミキ:幕末とはいえ、江戸時代にも日本とハワイとの間に交流があったんだね。
カズ:幕末になるにつれて、a 日本と海外諸国との交流も活発になっていくよね。江戸幕府は、1866年に日本人の海外渡航を解禁しているから、これを機に、日本の国際交流もさらに広がったのではないかな。
ミキ:海外渡航の解禁は、日本とハワイとの関係の歴史にも関わっていて、1868年に約150人の日本人がハワイに移民として渡っているよ。だけど、幕府が崩壊するタイミングだったこともあって、移民の契約のトラブルも生じ、明治新政府は対応に苦慮したんだって。
カズ:その後、ハワイ王国と日本とは、b 1871年に条約を結んでいるね。この条約で、ハワイの人が日本人を労働者として雇うことができる、ということが定められているよ。ハワイ王国では、サトウキビ栽培が盛んで、労働者として日本人移民を求めていたようだよ。
ミキ:だけど、ハワイへの移民はしばらく行われず、移民事業が本格化するのは、1885年のことのようだね。c 1885年からの約10年間、ハワイ政府と明治政府との合意で、約3万人の日本人がハワイに渡航したんだって。
カズ:なぜ、そんなに多くの日本人がハワイに渡ったのだろう。このことについて、もっと調べてみようよ。

下線部cに関連して、1885年から1894年までの10年の間に生じた出来事に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて、古いものから年代順に正しく配列したものを、後のうちから一つ選べ。

Ⅰ 日本と清国との条約により、両国の朝鮮からの撤兵が定められた。
Ⅱ 日本とイギリスとの間で、領事裁判権の撤廃などを定めた条約が調印された。
Ⅲ 朝鮮の地方官が大豆などの輸出を禁じたことに対し、日本政府が朝鮮に損害賠償を求めた。
  • Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ
  • Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ
  • Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ
  • Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ
  • Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ
  • Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ

次の問題へ

正解!素晴らしいです

残念...

この過去問の解説 (2件)

01

この問題は、1885年~1894年の外商の流れを理解できているかを問うものです。

 

答えは「Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ」です。

 

それぞれ説明していきます。

[Ⅰ 日本と清国との条約により、両国の朝鮮からの撤兵が定められた]

1885年に結んだ天津条約について述べています。

日朝修好条規を結んでから、度々起こる反乱や清との対立を打破するために、日本が清に伊藤博文を派遣し天津条約を結びました。

この条約を結んだことにより、日清両国が朝鮮から撤兵することを定めました。

 

[Ⅱ 日本とイギリスとの間で、領事裁判権の撤廃などを定めた条約が調印された]

1894年に結んだ日英通商航海条約について述べています。

外相の陸奥宗光は、この条約を結び、領事裁判権の撤廃や関税の引き上げに成功しました。

 

[Ⅲ 朝鮮の地方官が大豆などの輸出を禁じたことに対し、日本政府が朝鮮に損害賠償を求めた]

1889年に朝鮮によって出された防穀令について述べています。

日本の経済進出の抵抗を示すとして、朝鮮の地方官が大豆などの穀物の輸出を禁止しましたが、日本はこれを廃止し損害賠償を要求しました。1893年には、損害賠償の要求が実現しました。

 

以上を踏まえて並び替えると Ⅰ→Ⅲ→Ⅱ の順になります。

 

選択肢1. Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ

ⅡとⅢの時期が反対なので、誤っています。

選択肢2. Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ

正しいです。

選択肢3. Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ

Ⅱが一番遅い時期なので、誤っています。

選択肢4. Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ

ⅠとⅡの時期が反対なので、誤っています。

選択肢5. Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ

ⅠとⅢの時期が反対なので、誤っています。

選択肢6. Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ

Ⅰが一番早い時期なので、誤っています。

まとめ

この問題では、日本と関係がある国との条約や関係を理解しておく必要がありました。

それぞれの条約に関わる人物も重要になってくるので、しっかりおさえておきましょう。

参考になった数0

02

Ⅰは、1885年に結ばれた天津条約の内容です。天津条約は同年、朝鮮で起こったクーデターである甲申事変の処理のための条約です。清国と日本が介入し、日清関係が悪化し、日清戦争勃発へと進むこととなります。

Ⅱは、1894年に結ばれた日英通商航海条約の内容です。ロシアを牽制したかったイギリスと、欧米諸国と対等な関係を築き上げ、国際社会での地位の向上を目指す日本とのお互いの利益が合致した結果、調印されました。

Ⅲは、1889年に朝鮮と日本との間に起こった防穀令事件(ぼうこくれいじけん)です。この事件により、清国を巻き込んでの賠償金交渉が起こり、清国との関係悪化へとつながりました。

 

選択肢1. Ⅰ ― Ⅱ ― Ⅲ

誤りです。

選択肢2. Ⅰ ― Ⅲ ― Ⅱ

正しいです。

選択肢3. Ⅱ ― Ⅰ ― Ⅲ

誤りです。

選択肢4. Ⅱ ― Ⅲ ― Ⅰ

誤りです。

選択肢5. Ⅲ ― Ⅰ ― Ⅱ

誤りです。

選択肢6. Ⅲ ― Ⅱ ― Ⅰ

誤りです。

まとめ

防穀令事件はとてもマイナーな事件ですが、出題されている1885年から1894年は日清戦争へと向かう国際情勢を考えると解きやすくなります。問題文を読んでもわからないときは時代の流れや地域の情勢を大きく捉えると良いです。

参考になった数0