大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問14 (世界史B(第3問) 問3)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問14(世界史B(第3問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

人の移動の歴史に関する、先生と生徒との会話を取り上げた次の文章Bを読み、後の問いに答えよ。

B ナチス=ドイツは、東欧の広い範囲に散らばって少数民族として居住していたドイツ系の人々を「民族ドイツ人」と呼び、戦争によって獲得した領土に移住させる政策を実行した。この移住を示した図について、先生と生徒が会話をしている。
田口:東欧の「民族ドイツ人」は、ほとんど「東部編入地域」に移住していますね。ここは( ウ )の西半分で、1939年にドイツが占領した地域ですね。
斉藤:どうしてこの地域に「民族ドイツ人」を移住させようとしたんですか。
先生:ヒトラーは、著書『わが闘争』の中で、1867年に成立した同君連合を非難し、19世紀以降に広まった( エ )という考え方にも触れています。この考えを口実として、ドイツに編入した領土に「民族ドイツ人」を移住させました。でもそのために、この地域のドイツ人以外の住民たちが追放され、彼らの家や財産が奪われたのです。
田口:ドイツの敗戦後は、この地域の「民族ドイツ人」はどうなったんですか。
先生:敗戦によってドイツの領土が変更されて、再び( ウ )が建てられた結果、今度は数百万人ものドイツ人が東方から強制追放されて、財産もほとんど持たずに、ドイツに移住させられました。
斉藤:本当に多くの人々が戦争に翻弄されたんですね。

Bの文章中の( ウ )の国の歴史について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
問題文の画像
  • リトアニアと連合(合体)したヤゲウォ朝(ヤギェウォ朝)が成立した。
  • 三十年戦争の結果、北ドイツ沿岸に領土を得て、バルト海の大国となった。
  • 第二次世界大戦におけるドイツの敗北後、ドイツ人を東方に追放した。
  • アデナウアー首相時代の西ドイツとの間で、国境が承認された。

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この過去問の解説 (2件)

01

この問題は、ナチス=ドイツによる東欧政策、特に「民族ドイツ人」の移住政策と、その影響を扱っています。空欄(ウ)には、ドイツが占領した東部地域=ポーランドが入ります。設問ではこのポーランドの歴史を正しく述べたものを選ぶ必要があります。

選択肢1. リトアニアと連合(合体)したヤゲウォ朝(ヤギェウォ朝)が成立した。

これはポーランドの歴史的事実です。1386年、リトアニア大公ヨガイラ(ヤゲウォ)がポーランド女王ヤドヴィガと結婚し、ヤゲウォ朝が始まりました。これはポーランド・リトアニアの強力な連合国家の出発点です。正解です。

選択肢2. 三十年戦争の結果、北ドイツ沿岸に領土を得て、バルト海の大国となった。

誤り。これはスウェーデンの歴史です。三十年戦争の結果、スウェーデンが領土を拡大し、バルト海の覇権を握りました。

選択肢3. 第二次世界大戦におけるドイツの敗北後、ドイツ人を東方に追放した。

誤り。これはポーランドが実施した側の事実であり、「ポーランドの歴史」として成立しにくい表現です(ドイツ人視点になっている)。

選択肢4. アデナウアー首相時代の西ドイツとの間で、国境が承認された。

誤り。これは1970年以降の西ドイツとポーランドの関係改善の話であり、(ウ)の国=ポーランドとして選ぶべき過去の代表的な歴史的事実とはズレがあります。

まとめ

【覚えておくべきポイント】

ポーランドとリトアニアは14世紀後半に合体し、ヤゲウォ朝を築いた。

ナチス=ドイツは1939年、ポーランド西部を「東部編入地域」として支配し、民族ドイツ人を移住させた。

第二次世界大戦後、ポーランドは再建され、東方から数百万人のドイツ人が追放された。

戦争による国境変動は、多くの民族移動や追放を引き起こした。

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02

【文章の読み取り】

・「東部編入地域」は、1939年にドイツが占領した地域

・ドイツ敗戦後に再び建国された(つまり、戦後に国が復活した)

・そこからドイツ人が追放された

 

→ この特徴にあてはまる国は
ポーランドです

 

(※1939年、ドイツとソ連がポーランドを分割占領 → 1945年、戦後にポーランド復活)

選択肢1. リトアニアと連合(合体)したヤゲウォ朝(ヤギェウォ朝)が成立した。

正しい内容です。ポーランドとリトアニアは中世後期に連合しました。【正解】

選択肢2. 三十年戦争の結果、北ドイツ沿岸に領土を得て、バルト海の大国となった。

これはスウェーデンのことであり、ポーランドではありません。

選択肢3. 第二次世界大戦におけるドイツの敗北後、ドイツ人を東方に追放した。

逆に、東方からドイツへドイツ人が追放されました。

選択肢4. アデナウアー首相時代の西ドイツとの間で、国境が承認された。

内容自体は正しいですが、設問の主旨(当時の動き)とは時期がずれています。

まとめ

ポーランドは14世紀末にリトアニアと連合し、ヤゲウォ朝(ヤギェウォ朝)を成立させました。
その後、ポーランド・リトアニア連合(1569年のルブリン合同)を経て、東欧で大きな勢力を持つ国家となりました。
第二次世界大戦中にはドイツとソ連に占領されましたが、戦後に復活し、多くのドイツ人がポーランド領から追放されました。

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