大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問6 (世界史B(第1問) 問6)
問題文
ある大学のゼミで、学生たちが、「中国史の中の女性」というテーマで議論をしている。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
藤田:次の資料は、顔之推(がんしすい)が6世紀後半に著した『顔氏家訓(がんしかくん)』という書物の一節で、彼が見た分裂時代の女性の境遇について述べています。
資料
南方の女性は、ほとんど社交をしない。婚姻を結んだ家同士なのに、十数年経っても互いに顔を合わせたことがなく、ただ使者を送って贈り物をし、挨拶を交わすだけで済ませるということさえある。
これに対し、北方の習慣では、家はもっぱら女性によって維持される。彼女らは訴訟を起こして是非を争い、有力者の家を訪れては頼み込みをする。街路は彼女たちが乗った車であふれ、役所は着飾った彼女たちで混雑する。こうして彼女たちは息子に代わって官職を求め、夫のためにその不遇を訴える。これらは、平城に都が置かれていた時代からの習わしであろうか。
山口:中国には、「牝鶏(めんどり)が朝(あした)に鳴く」ということわざがあり、女性が国や家の事に口出しするのは禁忌であったと聞きます。資料の後半に書かれているように、女性が活発な状況が現れた背景は、いったい何でしょうか。
藤田:著者の推測に基づくなら、( イ )に由来すると考えられます。
中村:あっ!ひょっとして、この時代の北方の状況が、中国に女性皇帝が出現する背景となったのでしょうか。
教授:中村さんがそのように考える根拠は何ですか。
中村:ええと、それは( ウ )からです。
教授:ほう、よく知っていますね。
山口:資料にあるような女性の活発さが、後に失われてしまうのはなぜでしょうか。
藤田:b この時代以降の儒学の普及とともに、資料中の南方の女性のような振る舞いが模範的とされていったためと考えられます。
下線部bについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問6(世界史B(第1問) 問6) (訂正依頼・報告はこちら)
ある大学のゼミで、学生たちが、「中国史の中の女性」というテーマで議論をしている。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
藤田:次の資料は、顔之推(がんしすい)が6世紀後半に著した『顔氏家訓(がんしかくん)』という書物の一節で、彼が見た分裂時代の女性の境遇について述べています。
資料
南方の女性は、ほとんど社交をしない。婚姻を結んだ家同士なのに、十数年経っても互いに顔を合わせたことがなく、ただ使者を送って贈り物をし、挨拶を交わすだけで済ませるということさえある。
これに対し、北方の習慣では、家はもっぱら女性によって維持される。彼女らは訴訟を起こして是非を争い、有力者の家を訪れては頼み込みをする。街路は彼女たちが乗った車であふれ、役所は着飾った彼女たちで混雑する。こうして彼女たちは息子に代わって官職を求め、夫のためにその不遇を訴える。これらは、平城に都が置かれていた時代からの習わしであろうか。
山口:中国には、「牝鶏(めんどり)が朝(あした)に鳴く」ということわざがあり、女性が国や家の事に口出しするのは禁忌であったと聞きます。資料の後半に書かれているように、女性が活発な状況が現れた背景は、いったい何でしょうか。
藤田:著者の推測に基づくなら、( イ )に由来すると考えられます。
中村:あっ!ひょっとして、この時代の北方の状況が、中国に女性皇帝が出現する背景となったのでしょうか。
教授:中村さんがそのように考える根拠は何ですか。
中村:ええと、それは( ウ )からです。
教授:ほう、よく知っていますね。
山口:資料にあるような女性の活発さが、後に失われてしまうのはなぜでしょうか。
藤田:b この時代以降の儒学の普及とともに、資料中の南方の女性のような振る舞いが模範的とされていったためと考えられます。
下線部bについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- 世俗を超越した清談が流行した。
- 董仲舒の提案により、儒学が官学とされた。
- 寇謙之が教団を作り、仏教に対抗した。
- 『五経正義』が編纂(へんさん)された。
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この過去問の解説 (1件)
01
「『五経正義』が編纂された」 が最も適当です。
『五経正義』は唐の太宗の時代に孔穎達らがまとめた儒学の公式注釈書で、科挙の標準教材になりました。
これにより儒学の価値観が全国に浸透し、女性は控えめで家の内にとどまる姿が理想とされるようになりました。
魏晋南北朝期に知識人が老荘思想を談じた文化現象で、儒学の制度化とは結び付きません。
女性の行動規範に直接影響を与えた動きとも言いにくいです。
前漢の武帝期(前2世紀)の出来事で、時代が大きく離れています。
北魏や唐初に見られる儒学の再編と女性観の変化を説明するには適切ではありません。
北魏で道教の一派を組織した人物ですが、宗教政策と女性規範との関連は薄く、儒学の普及とも直接結び付きません。
唐初に国家主導で作られた儒学の統一テキストです。
以後の科挙はこの解釈に基づき行われ、儒学の教えが社会規範として定着しました。
女性も含め、人びとの行動規範が儒学的に画一化された点が、下線部bの説明と一致します。
下線部bは、分裂時代に見られた北方女性の活発さが失われ、南方に近い儒学的な理想が広がった理由を問うています。
儒学を国家的に統一した 『五経正義』の編纂 は、その流れを決定づけた出来事です。
これを押さえると、分裂期から唐代へ続く中国社会の価値観の変化が理解しやすくなります。
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