大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問13 (世界史B(第3問) 問1)
問題文
あるクラスで、世界史の授業が行われている。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
先生:次の資料は、かつてフランスの統治者であった人物の没後200年を記念して催されたある行事で、マクロン大統領が行った演説の一部です。
資料
イタリア遠征、アウステルリッツの戦闘、ロシア遠征など、彼の名は想像力を至る所で刺激し続けています。軍人、戦略家であるとともに立法者でもある彼の行動と教訓は、今世紀に至るまでなお健在です。パリの凱旋門、ヴァンドーム広場の円柱、イエナ橋、リヴォリ通りなどは、全て彼の功績です。しかし、国民公会が廃止した奴隷制を、彼は復活させました。私たちは、彼の帝国に関して最悪のものを忘却し、最良のものを美化してきたのです。(列席する学生に向けて)あなた方は、フランス人として、その歴史の中にいるのですから、これを学ばねばなりません。
岡村:トゥサン=ルヴェルチュールが指導する( ア )の独立運動に対して、彼は軍を派遣して弾圧したにもかかわらず、フランスでは、現在でも彼の人気が根強いように感じます。
先生:彼のドラマのような人生も、魅力の一つなのかもしれませんね。例えば、次の図を見てください。ここには、彼が追放されていた地中海の島から脱出し、フランスに帰還する様子が象徴的に描かれているとされます。
岡村:どうして、そのような場所に追放されていたのでしょうか。
先生:ライプツィヒでフランスに勝利した対仏同盟軍がパリにまで侵攻し、彼を退位に追い込んで、その島に流したのです。しかし、その後にフランスを統治した国王は、反動的な政策を展開したため、国内での人気を落としました。そのことが、図の出来事につながる大きな要因になったと考えられています。
岡村:図では、左手を掲げる彼の足下にすがりついたり、ひざまずく人々がいますが、それはなぜでしょうか。
先生:これらの人々は、彼を迎え撃つために国王が派遣した兵士たちです。兵士たちの間には、彼に対する崇拝の念が強かったと言われます。
岡村:つまり、兵士たちが寝返った様子が描かれているということでしょうか。
先生:そのとおりです。
岡村:彼は、最終的には戦争に負けて捕虜になったのでしたよね。
先生:そうです。図の出来事の後、彼は権力の座に返り咲きましたが、その支配は長続きせず、ついには対仏同盟軍に敗れて( イ )に流され、そこで没しました。
図の出来事が起こった時に、フランスを統治していた国王について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問13(世界史B(第3問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)
あるクラスで、世界史の授業が行われている。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
先生:次の資料は、かつてフランスの統治者であった人物の没後200年を記念して催されたある行事で、マクロン大統領が行った演説の一部です。
資料
イタリア遠征、アウステルリッツの戦闘、ロシア遠征など、彼の名は想像力を至る所で刺激し続けています。軍人、戦略家であるとともに立法者でもある彼の行動と教訓は、今世紀に至るまでなお健在です。パリの凱旋門、ヴァンドーム広場の円柱、イエナ橋、リヴォリ通りなどは、全て彼の功績です。しかし、国民公会が廃止した奴隷制を、彼は復活させました。私たちは、彼の帝国に関して最悪のものを忘却し、最良のものを美化してきたのです。(列席する学生に向けて)あなた方は、フランス人として、その歴史の中にいるのですから、これを学ばねばなりません。
岡村:トゥサン=ルヴェルチュールが指導する( ア )の独立運動に対して、彼は軍を派遣して弾圧したにもかかわらず、フランスでは、現在でも彼の人気が根強いように感じます。
先生:彼のドラマのような人生も、魅力の一つなのかもしれませんね。例えば、次の図を見てください。ここには、彼が追放されていた地中海の島から脱出し、フランスに帰還する様子が象徴的に描かれているとされます。
岡村:どうして、そのような場所に追放されていたのでしょうか。
先生:ライプツィヒでフランスに勝利した対仏同盟軍がパリにまで侵攻し、彼を退位に追い込んで、その島に流したのです。しかし、その後にフランスを統治した国王は、反動的な政策を展開したため、国内での人気を落としました。そのことが、図の出来事につながる大きな要因になったと考えられています。
岡村:図では、左手を掲げる彼の足下にすがりついたり、ひざまずく人々がいますが、それはなぜでしょうか。
先生:これらの人々は、彼を迎え撃つために国王が派遣した兵士たちです。兵士たちの間には、彼に対する崇拝の念が強かったと言われます。
岡村:つまり、兵士たちが寝返った様子が描かれているということでしょうか。
先生:そのとおりです。
岡村:彼は、最終的には戦争に負けて捕虜になったのでしたよね。
先生:そうです。図の出来事の後、彼は権力の座に返り咲きましたが、その支配は長続きせず、ついには対仏同盟軍に敗れて( イ )に流され、そこで没しました。
図の出来事が起こった時に、フランスを統治していた国王について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。

- アルジェリアを占領した。
- 恐怖政治を敷いた。
- 国外逃亡を図り、ヴァレンヌで捕らえられた。
- 王位に就いて、ブルボン朝が復活した。
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この過去問の解説 (2件)
01
最も適当な選択肢は、
「王位に就いて、ブルボン朝が復活した。」
です。
資料と図に示されている人物はナポレオンです。
1815年、ナポレオンは流刑地のエルバ島を脱出してパリに戻り、帝政を復活させます(百日天下の開始)。
図はその時の様子を示しており、当時復活していたブルボン朝の国王・ルイ18世の反動的な政策に対し、反感を抱く国民が、ナポレオンによる帝政復活を支持したのです。
誤りです。
フランスのアルジェリア占領は、1830年に国王シャルル10世によって行われました。
すでにナポレオンとルイ18世は亡くなっています。
誤りです。
恐怖政治を敷いたのはフランス革命期のジャコバン派独裁政権であり、ルイ18世のフランス復古王政ではありません。
誤りです。
国外逃亡を図り、ヴァレンヌで捕らえられたのは、フランス革命で処刑されるルイ16世であり、フランス復古王政のルイ18世ではありません。
正解です。
1813年のライプツィヒの戦いで敗れたナポレオンは、1814年にエルバ島へ追放されました。
そして、元老院の決定により、同年にルイ18世が正式に即位し、ブルボン朝が復活しました。
ルイ18世のフランス復古王政は、それまでのフランス革命に対して反動的な姿勢をとっており、そうした国王の姿勢に対する国民の反感が、ナポレオンの帝政復活の要因となりました。
しかし、1815年の6月、ナポレオンがワーテルローの戦いに敗れると、この「百日天下」は終わりを告げ、ルイ18世も復位します。
そして、次代のシャルル10世は、再び絶対王政を目指すようになっていきました。
フランス近世・近代史は、こうした革命と反革命の両方の動きを捉える必要があります。
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02
最も適当な選択肢は、
「王位に就いて、ブルボン朝が復活した。」 です。
図はナポレオンがエルバ島から脱出し、兵士たちに迎えられて「百日天下」を始める場面を示します。
当時フランスを治めていたのはルイ18世で、彼が即位したことでフランスには再びブルボン家の王政が戻っていました。
アルジェリア征服は1830年、シャルル10世の時代に始まります。
図の時期とは異なります。
恐怖政治は1793〜94年にロベスピエールらジャコバン派が行ったもので、ルイ18世とは関係がありません。
ヴァレンヌ逃亡事件は1791年のルイ16世の出来事です。
1814年、対仏同盟軍がパリを占領しナポレオンが退位すると、ルイ16世の弟ルイ18世が王となり、フランスにはブルボン朝が復活しました。
この王政が人気を失い、ナポレオン帰還を招く一因となりました。
図の出来事と時期が一致します。
ナポレオンがエルバ島を脱出して帰還した時、フランスではルイ18世が即位してブルボン朝が復活していました。
国王の人気低下が兵士たちの寝返りを生み、ナポレオンは短期間ながら権力を取り戻しました。
この一連の流れを押さえると、フランス復古王政と百日天下の関係が理解しやすくなります。
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