大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問14 (世界史B(第3問) 問2)
問題文
あるクラスで、世界史の授業が行われている。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
先生:次の資料は、かつてフランスの統治者であった人物の没後200年を記念して催されたある行事で、マクロン大統領が行った演説の一部です。
資料
イタリア遠征、アウステルリッツの戦闘、ロシア遠征など、彼の名は想像力を至る所で刺激し続けています。軍人、戦略家であるとともに立法者でもある彼の行動と教訓は、今世紀に至るまでなお健在です。パリの凱旋門、ヴァンドーム広場の円柱、イエナ橋、リヴォリ通りなどは、全て彼の功績です。しかし、国民公会が廃止した奴隷制を、彼は復活させました。私たちは、彼の帝国に関して最悪のものを忘却し、最良のものを美化してきたのです。(列席する学生に向けて)あなた方は、フランス人として、その歴史の中にいるのですから、これを学ばねばなりません。
岡村:トゥサン=ルヴェルチュールが指導する( ア )の独立運動に対して、彼は軍を派遣して弾圧したにもかかわらず、フランスでは、現在でも彼の人気が根強いように感じます。
先生:彼のドラマのような人生も、魅力の一つなのかもしれませんね。例えば、次の図を見てください。ここには、彼が追放されていた地中海の島から脱出し、フランスに帰還する様子が象徴的に描かれているとされます。
岡村:どうして、そのような場所に追放されていたのでしょうか。
先生:ライプツィヒでフランスに勝利した対仏同盟軍がパリにまで侵攻し、彼を退位に追い込んで、その島に流したのです。しかし、その後にフランスを統治した国王は、反動的な政策を展開したため、国内での人気を落としました。そのことが、図の出来事につながる大きな要因になったと考えられています。
岡村:図では、左手を掲げる彼の足下にすがりついたり、ひざまずく人々がいますが、それはなぜでしょうか。
先生:これらの人々は、彼を迎え撃つために国王が派遣した兵士たちです。兵士たちの間には、彼に対する崇拝の念が強かったと言われます。
岡村:つまり、兵士たちが寝返った様子が描かれているということでしょうか。
先生:そのとおりです。
岡村:彼は、最終的には戦争に負けて捕虜になったのでしたよね。
先生:そうです。図の出来事の後、彼は権力の座に返り咲きましたが、その支配は長続きせず、ついには対仏同盟軍に敗れて( イ )に流され、そこで没しました。
文章中の空欄アとイに入れる地域の位置と、その位置を示す図中のa~cとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問14(世界史B(第3問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
あるクラスで、世界史の授業が行われている。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
先生:次の資料は、かつてフランスの統治者であった人物の没後200年を記念して催されたある行事で、マクロン大統領が行った演説の一部です。
資料
イタリア遠征、アウステルリッツの戦闘、ロシア遠征など、彼の名は想像力を至る所で刺激し続けています。軍人、戦略家であるとともに立法者でもある彼の行動と教訓は、今世紀に至るまでなお健在です。パリの凱旋門、ヴァンドーム広場の円柱、イエナ橋、リヴォリ通りなどは、全て彼の功績です。しかし、国民公会が廃止した奴隷制を、彼は復活させました。私たちは、彼の帝国に関して最悪のものを忘却し、最良のものを美化してきたのです。(列席する学生に向けて)あなた方は、フランス人として、その歴史の中にいるのですから、これを学ばねばなりません。
岡村:トゥサン=ルヴェルチュールが指導する( ア )の独立運動に対して、彼は軍を派遣して弾圧したにもかかわらず、フランスでは、現在でも彼の人気が根強いように感じます。
先生:彼のドラマのような人生も、魅力の一つなのかもしれませんね。例えば、次の図を見てください。ここには、彼が追放されていた地中海の島から脱出し、フランスに帰還する様子が象徴的に描かれているとされます。
岡村:どうして、そのような場所に追放されていたのでしょうか。
先生:ライプツィヒでフランスに勝利した対仏同盟軍がパリにまで侵攻し、彼を退位に追い込んで、その島に流したのです。しかし、その後にフランスを統治した国王は、反動的な政策を展開したため、国内での人気を落としました。そのことが、図の出来事につながる大きな要因になったと考えられています。
岡村:図では、左手を掲げる彼の足下にすがりついたり、ひざまずく人々がいますが、それはなぜでしょうか。
先生:これらの人々は、彼を迎え撃つために国王が派遣した兵士たちです。兵士たちの間には、彼に対する崇拝の念が強かったと言われます。
岡村:つまり、兵士たちが寝返った様子が描かれているということでしょうか。
先生:そのとおりです。
岡村:彼は、最終的には戦争に負けて捕虜になったのでしたよね。
先生:そうです。図の出来事の後、彼は権力の座に返り咲きましたが、その支配は長続きせず、ついには対仏同盟軍に敗れて( イ )に流され、そこで没しました。
文章中の空欄アとイに入れる地域の位置と、その位置を示す図中のa~cとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

- ア ― a イ ― b
- ア ― a イ ― c
- ア ― b イ ― a
- ア ― b イ ― c
- ア ― c イ ― a
- ア ― c イ ― b
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この過去問の解説 (1件)
01
「ア-a イ-c」
の組み合わせが正しいです。
トゥサン=ルヴェルチュールが指導した反乱はカリブ海のサン=ドマング(現在のハイチ)で起こり(地図のa)、ナポレオンが最後に流されたのは南大西洋のセントヘレナ島(地図のc)です。
アはカリブ海で合っていますが、イに示されたbは地中海のエルバ島です。
最終流刑地ではないため誤りです。
aはカリブ海のハイチ、cは南大西洋のセントヘレナ島です。
どちらも本文の説明と一致します。
bはエルバ島であり、独立運動の舞台ではありません。
aは最終流刑地でもありません。
アがエルバ島とされてしまい、内容が合いません。
cをハイチと読み替えるのは無理があります。
位置も大西洋南部で不一致です。
両方が入れ違っており、本文とは合致しません。
・サン=ドマングの蜂起(ハイチ革命) は、ナポレオンが奴隷制を復活させたことで激しくなりました。
・エルバ島 は第一 abdication 後の一時流刑地で、図の場面はここからの帰還を描いています。
・セントヘレナ島 はワーテルロー敗北後の最終流刑地で、ナポレオンはここで生涯を閉じました。
これらの経緯を踏まえると、「ア-a イ-c」が適切です。
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