大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問20 (世界史B(第3問) 問8)
問題文
中国における書籍分類の歴史について、大学生と教授が話をしている。
内藤:18世紀の中国で編纂(へんさん)された( オ )の「四」という数字はどういう意味ですか。高校では用語として覚えただけで、深く考えませんでした。
教授:( オ )に収められた書籍が、四つに分類されているためです。これを四部分類と言い、経部・史部・子部・集部からなります。
内藤:なるほど、例えば儒学の経典なら経部に、歴史書なら史部に分類されているという具合でしょうか。
教授:そのとおりです。史部について少し具体的に見てみましょう。資料1は、7世紀に編纂された『隋書』経籍志(けいせきし)という書籍目録からの抜粋です。
資料1 『隋書』経籍志で史部に掲載されている書籍の一部
『史記』
『漢書』
『後漢書』
『三国志』
内藤:挙げられたのはいずれも、紀伝体の歴史書ですね。
教授:よく知っていますね。このうち、『漢書』は1世紀にできた歴史書ですが、その中にも芸文志(げいもんし)という書籍目録があります。そこから、儒学の経典を主に収める分類である六芸略(りくげいりゃく)の書籍を抜粋したのが資料2です。
資料2 『漢書』芸文志で六芸略に掲載されている書籍の一部
『易経』
『尚書(書経)』
『春秋』
『太史公』
内藤:高校で習った五経が含まれていますね。最後の太史公は、人名ですか。
教授:これは司馬遷のことで、ここでは彼が編纂した『史記』を指します。
内藤:『史記』は資料1では史部なのに、資料2では違いますね。分類の名前も違います。もしかして1世紀にはまだ四部分類がなかったのですか。
教授:そのとおりです。当時は史部という分類自体、存在しませんでした。この分類が独立し、定着していくのは、歴史書の数が増加した3世紀から6世紀にかけてのことです。
内藤:でも、歴史書の数が増えただけで分類方法まで変わるものでしょうか。『史記』が経典と同じ分類なのも不思議ですし、ちょっと図書館で調べてみます。
前の文章を参考にしつつ、中国における書籍分類の歴史について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問20(世界史B(第3問) 問8) (訂正依頼・報告はこちら)
中国における書籍分類の歴史について、大学生と教授が話をしている。
内藤:18世紀の中国で編纂(へんさん)された( オ )の「四」という数字はどういう意味ですか。高校では用語として覚えただけで、深く考えませんでした。
教授:( オ )に収められた書籍が、四つに分類されているためです。これを四部分類と言い、経部・史部・子部・集部からなります。
内藤:なるほど、例えば儒学の経典なら経部に、歴史書なら史部に分類されているという具合でしょうか。
教授:そのとおりです。史部について少し具体的に見てみましょう。資料1は、7世紀に編纂された『隋書』経籍志(けいせきし)という書籍目録からの抜粋です。
資料1 『隋書』経籍志で史部に掲載されている書籍の一部
『史記』
『漢書』
『後漢書』
『三国志』
内藤:挙げられたのはいずれも、紀伝体の歴史書ですね。
教授:よく知っていますね。このうち、『漢書』は1世紀にできた歴史書ですが、その中にも芸文志(げいもんし)という書籍目録があります。そこから、儒学の経典を主に収める分類である六芸略(りくげいりゃく)の書籍を抜粋したのが資料2です。
資料2 『漢書』芸文志で六芸略に掲載されている書籍の一部
『易経』
『尚書(書経)』
『春秋』
『太史公』
内藤:高校で習った五経が含まれていますね。最後の太史公は、人名ですか。
教授:これは司馬遷のことで、ここでは彼が編纂した『史記』を指します。
内藤:『史記』は資料1では史部なのに、資料2では違いますね。分類の名前も違います。もしかして1世紀にはまだ四部分類がなかったのですか。
教授:そのとおりです。当時は史部という分類自体、存在しませんでした。この分類が独立し、定着していくのは、歴史書の数が増加した3世紀から6世紀にかけてのことです。
内藤:でも、歴史書の数が増えただけで分類方法まで変わるものでしょうか。『史記』が経典と同じ分類なのも不思議ですし、ちょっと図書館で調べてみます。
前の文章を参考にしつつ、中国における書籍分類の歴史について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- 1世紀には『史記』や『漢書』のような歴史書が既に存在し、史部という分類も定着していた。
- 3世紀から6世紀にかけて、木版印刷の技術が普及したことで、史部に含まれる歴史書の数が増加した。
- 7世紀の書籍目録において、『史記』と同じ分類に、本紀と列伝を主体とする形式の書籍が収められた。
- 18世紀までには、宣教師の活動によって西洋の学術が中国に伝わり、四部分類は用いられなくなっていた。
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この過去問の解説 (2件)
01
最も適当な選択肢は、
「7世紀の書籍目録において、『史記』と同じ分類に、本紀と列伝を主体とする形式の書籍が収められた。」
です。
「史部」は、1世紀に成立した『漢書』においては、その分類自体が存在しなかったものの、3世紀から6世紀にかけて歴史書の数が増加するにつれ、徐々に定着し、7世紀の『隋書』経籍志の「史部」分類には、『史記』とともに、同じく本紀と列伝を主体とする紀伝体で書かれた、『漢書』・『後漢書』・『三国志』が含まることになります。
誤りです。
1世紀には『史記』や『漢書』は既に存在しましたが、史部という分類は存在しませんでした。
誤りです。
木版印刷術の発明は唐代(7世紀ごろ)であり、歴史書の数の増加と木版印刷は無関係です。
正解です。
7世紀の『隋書』経籍志の「史部」には、『史記』とともに、同じく紀伝体の『漢書』・『後漢書』・『三国志』が収められました。
誤りです。
18世紀に編纂された『四庫全書』には、四部分類が用いられています。
『漢書』・『後漢書』・『三国志』はともに紀伝体で書かれた歴史書であり、帝王の事績を記した本紀と、主要な臣下の事績を記した列伝からなる紀伝体は、司馬遷の『史記』に始まる、中国における正史の模範的な記述スタイルでした。
また、『史記』に連なる紀伝体の歴史書は、四部分類における「史部」に分類されました。
このような記述方式と分類法は清代に至るまで長きにわたって用いられたのです。
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02
正しい記述は、
「7世紀の書籍目録において、『史記』と同じ分類に、本紀と列伝を主体とする形式の書籍が収められた。」 です。
『隋書』経籍志(7世紀)は四部分類の史部を設け、その中に『史記』『漢書』など紀伝体の歴史書をまとめました。
これは、史部がまだ存在しなかった1世紀との対比や、その後の分類発展を示す具体例として最も適切です。
1世紀には『史記』『漢書』自体はありましたが、史部はまだ独立していませんでした。
史部が成立するのは歴史書が増えた3世紀以降です。
木版印刷が広がるのは主に唐代以降(7世紀以降)です。
史部の独立は3〜6世紀ですが、その主因は印刷技術ではなく著述の増加です。
『隋書』経籍志の史部には紀伝体の代表作が並びます。
時期・分類・書籍がすべて文章と一致するため正しいです。
18世紀の清で編まれた『四庫全書』は、まさに四部分類を採用していました。
宣教師の影響で分類が廃れた事実はありません。
四部分類は、書物が増えた魏晋南北朝期に整えられ、7世紀の『隋書』経籍志で具体的に使われました。
その後も経・史・子・集の枠組みは長く続き、18世紀の『四庫全書』でも維持されています。
書籍分類の変遷をたどる際は、成立時期と具体的な書目の掲載状況を対照させると理解しやすくなります。
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