大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問24 (世界史B(第4問) 問4)
問題文
先生:陸上競技のマラソンという種目名が、マラトンの戦いに由来しているという話を聞いたことがある人もいるかもしれません。その話を伝えている次の資料1・2を読んで、何か気付いたことはありますか。
資料1
ヘラクレイデスは、テルシッポスがマラトンの戦いについて知らせに戻ったと記している。しかし、今の多くの人々は、戦場から走ってきたのはエウクレスだと言っている。エウクレスは到着してすぐ、「喜べ、私たちが勝利した」とだけ言って、息絶えた。
資料2
言われているところでは、長距離走者のフィリッピデスがマラトンから走ってきて、勝敗についての知らせを待っていた役人に、「喜べ、私たちが勝利した」と言った後、息絶えた。
松山:資料1と資料2では、使者の名前が違っています。なぜでしょうか。
先生:明確な理由は分かりませんが、資料が書かれた時代が手掛かりになります。資料1を書いたのは『対比列伝』を著した人物で、資料2は別の文人によるものです。二人とも、五賢帝の時代を中心に活躍しました。
松山:資料1と資料2は、いずれもマラトンの戦いからかなり後になって書かれたので、正確な情報が伝わっていなかったのかもしれませんね。
先生:その可能性はあるでしょう。ただし、資料1で紹介されているヘラクレイデスはアリストテレスの下で学んでいた人物だと言われています。
松山:ということは、( ア )ことになりますね。マラトンの戦いに時代が近い人物が信頼できるとしたら、使者の名前は( イ )というのが、この中では一番あり得そうだと思います。
先生:その考え方は、筋が通っていますね。
竹中:でも、もっと古い資料はないのでしょうか。
先生:同じ内容を伝える資料は資料1・2のほかに知られていません。マラトンの戦いを含む( ウ )を主題とした紀元前5世紀の歴史家の著作には、資料2にあるフィリッピデスという名前が、マラトンの戦いの後ではなく、その前にスパルタに派遣された使者として言及されています。
竹中:もしかしたら、勝利を伝えるために使者が走って戻ってきたという話は史実ではなく、後世に作られた可能性があるんじゃないでしょうか。
先生:鋭い指摘ですね。現存する資料から分かるのは、五賢帝の時代よりも前のある段階でその話が成立していたということです。
文章中の空欄ウの戦争について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問24(世界史B(第4問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)
先生:陸上競技のマラソンという種目名が、マラトンの戦いに由来しているという話を聞いたことがある人もいるかもしれません。その話を伝えている次の資料1・2を読んで、何か気付いたことはありますか。
資料1
ヘラクレイデスは、テルシッポスがマラトンの戦いについて知らせに戻ったと記している。しかし、今の多くの人々は、戦場から走ってきたのはエウクレスだと言っている。エウクレスは到着してすぐ、「喜べ、私たちが勝利した」とだけ言って、息絶えた。
資料2
言われているところでは、長距離走者のフィリッピデスがマラトンから走ってきて、勝敗についての知らせを待っていた役人に、「喜べ、私たちが勝利した」と言った後、息絶えた。
松山:資料1と資料2では、使者の名前が違っています。なぜでしょうか。
先生:明確な理由は分かりませんが、資料が書かれた時代が手掛かりになります。資料1を書いたのは『対比列伝』を著した人物で、資料2は別の文人によるものです。二人とも、五賢帝の時代を中心に活躍しました。
松山:資料1と資料2は、いずれもマラトンの戦いからかなり後になって書かれたので、正確な情報が伝わっていなかったのかもしれませんね。
先生:その可能性はあるでしょう。ただし、資料1で紹介されているヘラクレイデスはアリストテレスの下で学んでいた人物だと言われています。
松山:ということは、( ア )ことになりますね。マラトンの戦いに時代が近い人物が信頼できるとしたら、使者の名前は( イ )というのが、この中では一番あり得そうだと思います。
先生:その考え方は、筋が通っていますね。
竹中:でも、もっと古い資料はないのでしょうか。
先生:同じ内容を伝える資料は資料1・2のほかに知られていません。マラトンの戦いを含む( ウ )を主題とした紀元前5世紀の歴史家の著作には、資料2にあるフィリッピデスという名前が、マラトンの戦いの後ではなく、その前にスパルタに派遣された使者として言及されています。
竹中:もしかしたら、勝利を伝えるために使者が走って戻ってきたという話は史実ではなく、後世に作られた可能性があるんじゃないでしょうか。
先生:鋭い指摘ですね。現存する資料から分かるのは、五賢帝の時代よりも前のある段階でその話が成立していたということです。
文章中の空欄ウの戦争について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- イオニア地方のギリシア人の反乱が、この戦争のきっかけとなった。
- この戦争でギリシア人と戦った王朝は、エフタルを滅ぼした。
- この戦争の後に、アテネを盟主としてコリントス同盟(ヘラス同盟)が結成された。
- ギリシア軍が、この戦争中にプラタイアイの戦いで敗北した。
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この過去問の解説 (2件)
01
最も適当な選択肢は、
「イオニア地方のギリシア人の反乱が、この戦争のきっかけとなった。」
です。
前490年のマラトンの戦いは、アケメネス朝ペルシアとギリシア諸ポリスとの戦争である、前492~前449年のペルシア戦争における戦いの一つです。
したがって、空欄ウの戦争はペルシア戦争です。
このペルシア戦争の発端が、前500年のミレトスを中心とするイオニア植民市のギリシア人の、アケメネス朝ペルシアに対する反乱でした。
正解です。
ペルシア戦争は、イオニア地方のギリシア人の反乱がきっかけとなり、これを支援したアテネなどのギリシア人都市国家に対して、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世が対外遠征を行ったことで始まりました。
誤りです。
6世紀後半にエフタルを滅ぼしたのは、ペルシア戦争でギリシア人と戦ったアケメネス朝ペルシアではなく、ササン朝ペルシアと突厥です。
誤りです。
ペルシア戦争後にアテネを盟主として結成されたのは、コリントス同盟(ヘラス同盟)ではなくデロス同盟です。
コリントス同盟(ヘラス同盟)は、前337年にマケドニアのフィリッポス2世によって結成された全ギリシア諸ポリスの同盟です。
誤りです。
ペルシア戦争中の前479年のプラタイアイの戦いでは、アテネ・スパルタのギリシア軍がペルシア軍に大勝しました。
前500年のミレトスを中心とするイオニア地方のギリシア人の反乱に対し、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世が対外遠征を行ったことで、ペルシア戦争(前492~前449年)が始まりました。
このペルシア戦争において、前480年のテルモピュライの戦いでは、スパルタのギリシア軍がペルシア軍に敗れましたが、前490年のマラトンの戦いや前479年のプラタイアイの戦いでは、ギリシア軍がペルシア軍に勝利しました。
そして、ペルシア戦争を通じて、国力を強めたアテネは、戦後、対ペルシアのギリシア人ポリスの同盟であるデロス同盟の盟主として、ギリシア世界で覇権を握りました。
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02
正しい記述は、
「イオニア地方のギリシア人の反乱が、この戦争のきっかけとなった。」 です。
マラトンの戦いを含む古代ギリシアとアケメネス朝ペルシアの戦争(一般にペルシア戦争と呼ばれます)は、紀元前499年に始まったイオニアの反乱が発端でした。
紀元前499年、ミレトスなどイオニア諸都市がペルシア支配に反旗を翻しました。
この出来事がエーゲ海を越える全面衝突へ発展し、マラトンの戦い(前490年)やサラミスの海戦(前480年)などが続きました。
正しいです。
エフタル(白いフン族)を滅ぼしたのは6世紀のササン朝ペルシアとトルコ系遊牧民の連合です。
マラトンの頃にギリシアと戦ったのはアケメネス朝ペルシアであり、時代も王朝も違います。
誤りです。
戦後にアテネ指導で結成されたのはデロス同盟(前478年)です。
コリントス同盟(ヘラス同盟)は前4世紀にマケドニア王フィリッポス2世が主宰した組織で、時期が大きくずれています。
誤りです。
プラタイアイの戦い(前479年)はギリシア連合軍の決定的勝利でした。
「敗北した」という記述は史実と逆です。
マラトンの戦いは、イオニアの反乱→ペルシアの報復遠征→ギリシア連合の防衛戦という流れの一局面でした。
最終的にギリシア側が勝利し、その後アテネは海上覇権を握るためにデロス同盟を組織します。
ペルシア戦争を理解するうえで、引き金となったイオニアの反乱と、各戦いの勝敗・年代を整理しておくと全体像が見えやすくなります。
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