大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問30 (世界史B(第5問) 問2)
問題文
あるクラスで、世界史の授業が行われている。
先生:次の表は、1929年の東南アジアにおける4つの植民地の主要な輸出先とその比率を示しています。表中のインドネシアは、現在のインドネシアに当たる植民地を指します。マラヤ(マレー)には、海峡植民地が含まれています。ここからどのようなことが分かりますか。
石田:植民地は、宗主国としか貿易できないと思っていましたが、そうでもないですね。4地域の中で宗主国がトップなのは一つだけです。
先生:そのとおりです。宗主国との貿易の比率が高い地域とそうでない地域があり、輸出品や宗主国によって事情が異なります。a マラヤの宗主国が進めた自由貿易政策は東南アジア全体に影響を与えました。
佐藤:マラヤは、( ア )への輸出の比率が高いですね。なぜですか。
先生:マラヤの主要な輸出品はゴムでした。b 統計が取られた時点で、( ア )において、ゴムの需要が高まっていたのです。
工藤:インドシナも特徴的ですね。香港、中国といった東アジアの諸地域や、同じ東南アジアの植民地が上位に名を連ねています。
先生:インドシナの主要な輸出品は米でした。アジア地域の開発による人口増加に伴い、食糧として米の需要が大きかったと考えられます。
石田:この時期の東南アジアは植民地として政治的に分割されましたが、経済的には近隣の諸地域との関係が強かったのですね。他の地域でも同じことが言えるのでしょうか。
先生:それはまた調べてみましょう。東南アジアにおいても、ちょうどこの年にニューヨークで起こった株価暴落を契機として、この構造は変化していくことになります。
文章中の空欄アに入れる国の名あ・いと、下線部bの背景として最も適当な文X・Yとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
(ア)に入れる国の名
あ ドイツ
い アメリカ合衆国
下線部bの背景として最も適当な文
X 大量生産方式により、自動車の普及が進んだ。
Y アウトバーンの建設が進められた。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問30(世界史B(第5問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
あるクラスで、世界史の授業が行われている。
先生:次の表は、1929年の東南アジアにおける4つの植民地の主要な輸出先とその比率を示しています。表中のインドネシアは、現在のインドネシアに当たる植民地を指します。マラヤ(マレー)には、海峡植民地が含まれています。ここからどのようなことが分かりますか。
石田:植民地は、宗主国としか貿易できないと思っていましたが、そうでもないですね。4地域の中で宗主国がトップなのは一つだけです。
先生:そのとおりです。宗主国との貿易の比率が高い地域とそうでない地域があり、輸出品や宗主国によって事情が異なります。a マラヤの宗主国が進めた自由貿易政策は東南アジア全体に影響を与えました。
佐藤:マラヤは、( ア )への輸出の比率が高いですね。なぜですか。
先生:マラヤの主要な輸出品はゴムでした。b 統計が取られた時点で、( ア )において、ゴムの需要が高まっていたのです。
工藤:インドシナも特徴的ですね。香港、中国といった東アジアの諸地域や、同じ東南アジアの植民地が上位に名を連ねています。
先生:インドシナの主要な輸出品は米でした。アジア地域の開発による人口増加に伴い、食糧として米の需要が大きかったと考えられます。
石田:この時期の東南アジアは植民地として政治的に分割されましたが、経済的には近隣の諸地域との関係が強かったのですね。他の地域でも同じことが言えるのでしょうか。
先生:それはまた調べてみましょう。東南アジアにおいても、ちょうどこの年にニューヨークで起こった株価暴落を契機として、この構造は変化していくことになります。
文章中の空欄アに入れる国の名あ・いと、下線部bの背景として最も適当な文X・Yとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
(ア)に入れる国の名
あ ドイツ
い アメリカ合衆国
下線部bの背景として最も適当な文
X 大量生産方式により、自動車の普及が進んだ。
Y アウトバーンの建設が進められた。

- あ ― X
- あ ― Y
- い ― X
- い ― Y
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この過去問の解説 (1件)
01
正しい組合せは、「い―X」 です。
1920年代末のアメリカはフォードを中心に自動車が急増し、タイヤ用天然ゴムの需要が膨らみました。
マラヤはゴムの一大産地だったため、アメリカ向け輸出比率が突出しています。
ドイツでは自動車工業の本格的な大量生産は1930年代以降で、1929年時点のゴム需要は限定的です。
マラヤ・フィリピンへの輸入比率も低いので不適当です。
アウトバーン建設が始動するのは1930年代半ばで、この時期のゴム需要とは直結しません。
フィリピン向け輸入も説明できません。
1920年代のアメリカはT型フォードの大量生産が頂点に達し、自家用車が爆発的に増加しました。
その結果、タイヤ原料の天然ゴムを東南アジアから大量輸入しています。
表でマラヤ42.2%、フィリピン75.7%を占める相手として首尾一貫しています。
アウトバーンはドイツの道路網であり、アメリカとは無関係です。
ゴム需要の説明になりません。
1920年代の世界経済はアメリカの自動車ブームがけん引役でした。
タイヤ製造に欠かせない天然ゴムは、主要産地のマラヤ(現在のマレーシア)から大量に輸出され、統計表でも最上位の取引相手としてアメリカが現れます。
東南アジアの植民地経済は宗主国だけでなく、世界市場の需要構造に強く組み込まれていたことが読み取れます。
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