大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問37 (日本史B(第1問) 問3)
問題文
マリ:私は、鎌倉時代に作られた地図1を持ってきたよ。
ケント:これが日本地図?左に東日本が描かれているよね。
マリ:中国地方の一部と九州地方は残っていないんだけどね。山城国を起点に、畿内・七道を線で結んでいるんだ。
ケント:七道は古代の道路で、a 古代の行政区分でもあるんだよね?諸国の形は大ざっぱだね。
マリ:畿内・七道それぞれに諸国の位置関係が分かれば良かったんじゃない?これと同じくらいの時期に作られた地図で、地図2も持ってきたよ。九州、四国と本州の西側の部分だけが残ってるんだ。
ケント:日本列島の周りを取り囲んでいるのは何だろう?
マリ:龍だという説があるよ。その外側には、b この地図が作製された時点で実在していた国のほかに、すでに存在しない国や、想像上の国も描かれているんだって。
ケント:へえ、面白いね。「羅刹(らせつ)国」や「雁道(かりのみち)」が想像上の国なんだ。
マリ:c 古代や中世の境界に対する意識は、それぞれ異なった特徴がありそうだね。
下線部cに関連して、マリさんは、地図1に書かれている関について、先生に質問した。次の先生の説明を踏まえ、古代・中世の境界に対する意識について述べた後の文X・Yの正誤の組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
先生の説明
地図1の逢坂(おうさか)の関は、山城国と近江国の国境の逢坂山に置かれた関だよ。この関では穢や疫病を外に追いやる祭祀(さいし)が行われたんだ。また古代では国家の非常時に関を封鎖し、都からの交通路を遮断しているよ。平城太上天皇の変(薬子の変)の時には、嵯峨天皇が逢坂の関を守らせたんだ。
白河の関は、陸奥国への入り口だね。古代陸奥国は、北側は蝦夷と境界を接していたんだ。中世になると、外浜(そとのはま)(津軽半島の東側)が日本の東端として意識され、北海道が夷島(えぞがしま)(蝦夷島)と呼ばれるようになるんだよ。地図2の東日本の部分が残っていれば、列島を囲う龍は津軽海峡あたりを通っていただろうね。津軽の安藤(安東)氏が鎌倉幕府からこの境界地域の管轄を任されていて、彼らを通じて、昆布や、アザラシの毛皮などの北方産物が交易されていたんだ。
X 古代の関には、反乱を起こした人物が地方に逃亡するのを防ぐ役割もあったと考えられる。
Y 中世では、境界の外側は隔絶された異域と認識され、その地の産物は忌避されたと考えられる。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問37(日本史B(第1問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
マリ:私は、鎌倉時代に作られた地図1を持ってきたよ。
ケント:これが日本地図?左に東日本が描かれているよね。
マリ:中国地方の一部と九州地方は残っていないんだけどね。山城国を起点に、畿内・七道を線で結んでいるんだ。
ケント:七道は古代の道路で、a 古代の行政区分でもあるんだよね?諸国の形は大ざっぱだね。
マリ:畿内・七道それぞれに諸国の位置関係が分かれば良かったんじゃない?これと同じくらいの時期に作られた地図で、地図2も持ってきたよ。九州、四国と本州の西側の部分だけが残ってるんだ。
ケント:日本列島の周りを取り囲んでいるのは何だろう?
マリ:龍だという説があるよ。その外側には、b この地図が作製された時点で実在していた国のほかに、すでに存在しない国や、想像上の国も描かれているんだって。
ケント:へえ、面白いね。「羅刹(らせつ)国」や「雁道(かりのみち)」が想像上の国なんだ。
マリ:c 古代や中世の境界に対する意識は、それぞれ異なった特徴がありそうだね。
下線部cに関連して、マリさんは、地図1に書かれている関について、先生に質問した。次の先生の説明を踏まえ、古代・中世の境界に対する意識について述べた後の文X・Yの正誤の組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
先生の説明
地図1の逢坂(おうさか)の関は、山城国と近江国の国境の逢坂山に置かれた関だよ。この関では穢や疫病を外に追いやる祭祀(さいし)が行われたんだ。また古代では国家の非常時に関を封鎖し、都からの交通路を遮断しているよ。平城太上天皇の変(薬子の変)の時には、嵯峨天皇が逢坂の関を守らせたんだ。
白河の関は、陸奥国への入り口だね。古代陸奥国は、北側は蝦夷と境界を接していたんだ。中世になると、外浜(そとのはま)(津軽半島の東側)が日本の東端として意識され、北海道が夷島(えぞがしま)(蝦夷島)と呼ばれるようになるんだよ。地図2の東日本の部分が残っていれば、列島を囲う龍は津軽海峡あたりを通っていただろうね。津軽の安藤(安東)氏が鎌倉幕府からこの境界地域の管轄を任されていて、彼らを通じて、昆布や、アザラシの毛皮などの北方産物が交易されていたんだ。
X 古代の関には、反乱を起こした人物が地方に逃亡するのを防ぐ役割もあったと考えられる。
Y 中世では、境界の外側は隔絶された異域と認識され、その地の産物は忌避されたと考えられる。

- X:正 Y:正
- X:正 Y:誤
- X:誤 Y:正
- X:誤 Y:誤
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この過去問の解説 (1件)
01
正しい組み合わせは、「X:正 Y:誤」です。
【X の検討】
逢坂・鈴鹿・不破など古代の関は、非常時に「関を封じる」ことで都と地方との交通を遮断しました。
平城太上天皇の変(810 年)では、嵯峨天皇が逢坂の関を固め、平城上皇側が東国へ逃れて兵を集めるのを防いでいます。
つまり反乱勢力の移動を阻む軍事的機能を果たしていたので、Xは正しいといえます。
【Y の検討】
中世には津軽海峡周辺が「日本の北の境」と意識されましたが、その外側(蝦夷島=北海道)と完全に断絶していたわけではありません。
説明にあるように、津軽の安藤(安東)氏を通じ昆布・アザラシの毛皮など北方産物が盛んに交易されていました。
境界外を忌避して交流しなかった、という見方は当てはまらないためYは誤りになります。
誤りです。
正しい組み合わせです。
誤りです。
誤りです。
古代の関 … 軍事・警備の役割があり、反乱者や不審者の通行を制限した。
中世の北方境界 … 異域としての意識はあったものの、交易は活発で物資は歓迎された。
したがって、正しい選択肢は 「X:正 Y:誤」 となります。
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