大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問38 (日本史B(第1問) 問4)
問題文
マリ:私は、鎌倉時代に作られた地図1を持ってきたよ。
ケント:これが日本地図?左に東日本が描かれているよね。
マリ:中国地方の一部と九州地方は残っていないんだけどね。山城国を起点に、畿内・七道を線で結んでいるんだ。
ケント:七道は古代の道路で、a 古代の行政区分でもあるんだよね?諸国の形は大ざっぱだね。
マリ:畿内・七道それぞれに諸国の位置関係が分かれば良かったんじゃない?これと同じくらいの時期に作られた地図で、地図2も持ってきたよ。九州、四国と本州の西側の部分だけが残ってるんだ。
ケント:日本列島の周りを取り囲んでいるのは何だろう?
マリ:龍だという説があるよ。その外側には、b この地図が作製された時点で実在していた国のほかに、すでに存在しない国や、想像上の国も描かれているんだって。
ケント:へえ、面白いね。「羅刹(らせつ)国」や「雁道(かりのみち)」が想像上の国なんだ。
マリ:c 古代や中世の境界に対する意識は、それぞれ異なった特徴がありそうだね。
ケント:次は私の番だね。地図3は、江戸幕府が諸藩などに命じて作らせた国絵図だよ。江戸時代を通じて、幕府はこのような国絵図を何度も作らせたんだ。
マリ:拡大してみると、国内の代表的な山や寺社も描かれているのが分かるね。小判型に描かれているのは村だね。
ケント:地図3は元禄期に作られたもので、幕府は国絵図を提出させて、( ア )を確認していたんだ。
マリ:へえ、そうなんだ。江戸時代の地図と言えば、西洋天文学に基づいて海岸測量で日本全図の作製に取り組んだのは、伊能忠敬だったよね?
ケント:彼は蝦夷地の測量をまず行ったんだけど、それは( イ )に関係していたんだ。幕府は彼の地図の正確さを認めて、それが日本全図の作製につながったんだよ。
マリ:そうか、正確な地図が必要とされたんだね。
ケント:うん。伊能忠敬の地図は、幕末に日本に来航した外国船が日本近海を測量して海図を作製した際にも利用されたんだよ。
マリ:陸地の地図ばかり考えていたけど、海の地図もあったよね。
ケント:海図は、軍事的な目的だけではなく、d 大型商船や客船が座礁しないようにするためにも必要だったんだね。
マリ:地図からはいろいろなことが分かるんだね。これでうまく課題をまとめられそうだ。
空欄ア・イに入る文の組合せとして正しいものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問38(日本史B(第1問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)
マリ:私は、鎌倉時代に作られた地図1を持ってきたよ。
ケント:これが日本地図?左に東日本が描かれているよね。
マリ:中国地方の一部と九州地方は残っていないんだけどね。山城国を起点に、畿内・七道を線で結んでいるんだ。
ケント:七道は古代の道路で、a 古代の行政区分でもあるんだよね?諸国の形は大ざっぱだね。
マリ:畿内・七道それぞれに諸国の位置関係が分かれば良かったんじゃない?これと同じくらいの時期に作られた地図で、地図2も持ってきたよ。九州、四国と本州の西側の部分だけが残ってるんだ。
ケント:日本列島の周りを取り囲んでいるのは何だろう?
マリ:龍だという説があるよ。その外側には、b この地図が作製された時点で実在していた国のほかに、すでに存在しない国や、想像上の国も描かれているんだって。
ケント:へえ、面白いね。「羅刹(らせつ)国」や「雁道(かりのみち)」が想像上の国なんだ。
マリ:c 古代や中世の境界に対する意識は、それぞれ異なった特徴がありそうだね。
ケント:次は私の番だね。地図3は、江戸幕府が諸藩などに命じて作らせた国絵図だよ。江戸時代を通じて、幕府はこのような国絵図を何度も作らせたんだ。
マリ:拡大してみると、国内の代表的な山や寺社も描かれているのが分かるね。小判型に描かれているのは村だね。
ケント:地図3は元禄期に作られたもので、幕府は国絵図を提出させて、( ア )を確認していたんだ。
マリ:へえ、そうなんだ。江戸時代の地図と言えば、西洋天文学に基づいて海岸測量で日本全図の作製に取り組んだのは、伊能忠敬だったよね?
ケント:彼は蝦夷地の測量をまず行ったんだけど、それは( イ )に関係していたんだ。幕府は彼の地図の正確さを認めて、それが日本全図の作製につながったんだよ。
マリ:そうか、正確な地図が必要とされたんだね。
ケント:うん。伊能忠敬の地図は、幕末に日本に来航した外国船が日本近海を測量して海図を作製した際にも利用されたんだよ。
マリ:陸地の地図ばかり考えていたけど、海の地図もあったよね。
ケント:海図は、軍事的な目的だけではなく、d 大型商船や客船が座礁しないようにするためにも必要だったんだね。
マリ:地図からはいろいろなことが分かるんだね。これでうまく課題をまとめられそうだ。
空欄ア・イに入る文の組合せとして正しいものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。

- ア:各地の村高 イ:幕府が東蝦夷地を直轄地としたこと
- ア:各地の村高 イ:ロシアとの間で国境が定められたこと
- ア:各地の田畑の耕作者 イ:幕府が東蝦夷地を直轄地としたこと
- ア:各地の田畑の耕作者 イ:ロシアとの間で国境が定められたこと
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この過去問の解説 (1件)
01
正しい組合せは、
「ア:各地の村高 イ:幕府が東蝦夷地を直轄地としたこと」 です。
国絵図(地図3)は、村ごとの石高を記して領域を把握し、年貢・軍役を正確に管理する目的で作られました。
また伊能忠敬が最初に蝦夷地を測量した背景には、ロシア船来航を受けて幕府が1799年に東蝦夷地を直轄地とし、防備と開発のために正確な地理情報を求めた事情があります。
【各選択肢の検討】
ア:
各地の村高
国絵図には村名とともに「○○村 八百八十一石余」のように石高が明示され、幕府は提出図で諸藩の領域・収穫量を再点検しました。
→地図3の記載内容と一致し、適切です。
各地の田畑の耕作者
国絵図は集落・石高・道路などを描くもので、個々の耕作者を確認する性格はありません。
→不適切です。
イ:
幕府が東蝦夷地を直轄地としたこと
1799年(寛政11)以降、幕府はロシア南下に備えて東蝦夷地を直轄化し、伊能忠敬らに実測を命じました。
彼の測量はこの政策と密接に結び付いています。
→適切です。
ロシアとの間で国境が定められたこと
日露和親条約で国境が画定するのは1855年で、伊能忠敬(没1818)より後の出来事です。
→時期が合わず不適切です。
正しい組み合わせです。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
江戸幕府は国絵図と郷帳を再三提出させ、石高・道筋・寺社・山川を比較・修正しながら全国統治の基礎資料としました。
一方、18世紀末の蝦夷地直轄化は北方警備を急ぐ施策で、伊能忠敬の高精度測量が政策判断や海防計画に活用されました。
このように、近世の地図は年貢・軍事・外交など多面的ニーズに応えて作成され、領域認識と国家運営の要となっていったことが読み取れます。
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