大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問41 (日本史B(第2問) 問1)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問41(日本史B(第2問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

日本古代の陰陽道の歴史について述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)

a 陰陽道は、中国から伝来した暦学や天文学、陰陽五行思想などに基づき、徐々に形成されていった。
律令制下ではそれらの技術や思想を管轄するb 陰陽寮が設置された。陰陽寮は天文、暦や時刻のことに携わり、異変があった時には、国家的な災害や異変の予兆かどうか判定を行った。地方においても、大宰府には律令制定段階から陰陽師が置かれた。
9世紀以降、情勢が不安定となった東北地方や東国にも陰陽師が置かれるようになった。一方、c 怨霊や疫神をまつって災厄をのがれようとする信仰が広まるなか、陰陽寮に属する陰陽師たちは災害や異変の元凶を取り除く祭祀(さいし)にも従事していった。10世紀になると陰陽師は、天皇や貴族たち個人の要請にも応え、事の吉凶を占ったり、呪術を施したりした。

下線部aに関連して、陰陽道が成立する以前の日本列島の信仰のあり方について述べた文として正しいものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 土偶は男性をかたどったものが多く、災いを避けるために一部が破壊されたものも多い。
  • 邪馬台国の女王卑弥呼は、鬼道(呪術)を操る司祭者的な性格をもっていたとされる。
  • 宗像大社が神としてまつる壱岐島には、古墳時代の祭祀遺物が見られる。
  • 祓とは、身体についた穢を落とし清めるために、鹿の骨を焼く行為をいう。

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この過去問の解説 (1件)

01

正しいのは、

「邪馬台国の女王卑弥呼は、鬼道(呪術)を操る司祭者的な性格をもっていたとされる。」 です。


『魏志倭人伝』には卑弥呼が「鬼道に事え」と記され、祭祀をつかさどる巫女的支配者だったことが示されています。

これは陰陽道が成立する以前から、日本列島に呪術的権威が政治と結び付いていた例として典型的です。

選択肢1. 土偶は男性をかたどったものが多く、災いを避けるために一部が破壊されたものも多い。

縄文土偶の大半は豊穣や再生を象徴する女性像が中心です。

よって記述は誤りです。

選択肢2. 邪馬台国の女王卑弥呼は、鬼道(呪術)を操る司祭者的な性格をもっていたとされる。

中国史書が伝える卑弥呼像と一致し、古代日本の呪術的統治形態を示す内容として適切です。

選択肢3. 宗像大社が神としてまつる壱岐島には、古墳時代の祭祀遺物が見られる。

宗像大社が奉斎するのは沖ノ島(筑前大島の沖合)などで、壱岐島ではありません

祭祀遺物も沖ノ島が中心です。

選択肢4. 祓とは、身体についた穢を落とし清めるために、鹿の骨を焼く行為をいう。

祓は大幣(おおぬさ)や紙・麻などで穢れを払う神道儀礼です。

鹿骨を焼く行為(占い用の骨占)は別の風習であり、記述は誤りです。

まとめ

陰陽道が体系化される以前から、日本列島では呪術を担う人物や行為が政治・祭祀と深く結び付いていました。

卑弥呼の宗教的統治はその早期例であり、後世の陰陽師が宮廷で吉凶を占い国家や個人の安寧を図った姿と連続性を持って理解できます。

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