大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問44 (日本史B(第2問) 問4)
問題文
a 陰陽道は、中国から伝来した暦学や天文学、陰陽五行思想などに基づき、徐々に形成されていった。
律令制下ではそれらの技術や思想を管轄するb 陰陽寮が設置された。陰陽寮は天文、暦や時刻のことに携わり、異変があった時には、国家的な災害や異変の予兆かどうか判定を行った。地方においても、大宰府には律令制定段階から陰陽師が置かれた。
9世紀以降、情勢が不安定となった東北地方や東国にも陰陽師が置かれるようになった。一方、c 怨霊や疫神をまつって災厄をのがれようとする信仰が広まるなか、陰陽寮に属する陰陽師たちは災害や異変の元凶を取り除く祭祀(さいし)にも従事していった。10世紀になると陰陽師は、天皇や貴族たち個人の要請にも応え、事の吉凶を占ったり、呪術を施したりした。
陰陽寮の重要な仕事の一つに、暦の作成があった。古代の暦のなかには、d 日の吉凶(暦注)を記した具注暦と呼ばれるものがあった。作成された具注暦は、まず天皇に奏上され、天皇から太政官を通じて各官司などに下賜され、下級官司や地方官衙などでも書き写して備えられた。具注暦は行政の現場で文書行政や徴税納期の管理などに用いられた。
具注暦は、役所だけではなく個人でも利用された。平安時代になると、摂関家や上級貴族たちは、具注暦を入手し、それを利用して日記を書き残すこともあった。それらを見ると、その日に行われた政務や儀式、日常の行動が細かく記されている。
下線部dに関連して、次の史料1・2を踏まえ、古代社会における暦の影響に関して説明した後の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
史料1
国務条事
一、任国に赴く吉日時の事
新任の吏(注1)、任国に赴くの時、必ず吉日時を択(えら)び、下向(げこう)(注2)すべし。
一、吉日時を択びて、館(たち)(注3)に入る事
着館(ちゃくかん)の日時は、在京の間、陰陽家において撰定(せんてい)せしむ。
一、吉日を択びて、交替政(こうたいせい)(注4)を始め行う事
(『朝野群載』)
(注1)新任の吏:新たに任命された国司。
(注2)下向:京から任国へ下ること。
(注3)館:任国に設けられた国司の居館。
(注4)交替政:新任国司が前任国司と交代する手続き。行政事務の一つ。
史料2
遺誡(ゆいかい)(注5)幷(ならび)に日中行事
先(ま)ず起きて、(中略)次に鏡を取りて面(おもて)を見、暦を見て日の吉凶を知る。(中略)次に昨日のことを記せ。次に粥(かゆ)を服す。次に頭を梳(けず)り(注6)、次に手足の甲(つめ)を除け。次に日を択びて沐浴(もくよく)せよ。(中略)年中の行事は、ほぼ件(くだん)の暦に注し付け、日ごとに視(み)るの次(ついで)に先ずその事を知り、兼ねてもって用意せよ。
(「九条殿遺誡」)
(注5)遺誡:ここでは藤原師輔(道長の祖父)が子孫に残した訓戒。
(注6)頭を梳る:髪をとかす。
X 中央や地方の政務には、暦に書かれたその日の吉凶が利用されていた。
Y 貴族の日常生活は、具注暦に記入された暦注に影響を受けていた。
このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。
問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問44(日本史B(第2問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)
a 陰陽道は、中国から伝来した暦学や天文学、陰陽五行思想などに基づき、徐々に形成されていった。
律令制下ではそれらの技術や思想を管轄するb 陰陽寮が設置された。陰陽寮は天文、暦や時刻のことに携わり、異変があった時には、国家的な災害や異変の予兆かどうか判定を行った。地方においても、大宰府には律令制定段階から陰陽師が置かれた。
9世紀以降、情勢が不安定となった東北地方や東国にも陰陽師が置かれるようになった。一方、c 怨霊や疫神をまつって災厄をのがれようとする信仰が広まるなか、陰陽寮に属する陰陽師たちは災害や異変の元凶を取り除く祭祀(さいし)にも従事していった。10世紀になると陰陽師は、天皇や貴族たち個人の要請にも応え、事の吉凶を占ったり、呪術を施したりした。
陰陽寮の重要な仕事の一つに、暦の作成があった。古代の暦のなかには、d 日の吉凶(暦注)を記した具注暦と呼ばれるものがあった。作成された具注暦は、まず天皇に奏上され、天皇から太政官を通じて各官司などに下賜され、下級官司や地方官衙などでも書き写して備えられた。具注暦は行政の現場で文書行政や徴税納期の管理などに用いられた。
具注暦は、役所だけではなく個人でも利用された。平安時代になると、摂関家や上級貴族たちは、具注暦を入手し、それを利用して日記を書き残すこともあった。それらを見ると、その日に行われた政務や儀式、日常の行動が細かく記されている。
下線部dに関連して、次の史料1・2を踏まえ、古代社会における暦の影響に関して説明した後の文X・Yについて、その正誤の組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
史料1
国務条事
一、任国に赴く吉日時の事
新任の吏(注1)、任国に赴くの時、必ず吉日時を択(えら)び、下向(げこう)(注2)すべし。
一、吉日時を択びて、館(たち)(注3)に入る事
着館(ちゃくかん)の日時は、在京の間、陰陽家において撰定(せんてい)せしむ。
一、吉日を択びて、交替政(こうたいせい)(注4)を始め行う事
(『朝野群載』)
(注1)新任の吏:新たに任命された国司。
(注2)下向:京から任国へ下ること。
(注3)館:任国に設けられた国司の居館。
(注4)交替政:新任国司が前任国司と交代する手続き。行政事務の一つ。
史料2
遺誡(ゆいかい)(注5)幷(ならび)に日中行事
先(ま)ず起きて、(中略)次に鏡を取りて面(おもて)を見、暦を見て日の吉凶を知る。(中略)次に昨日のことを記せ。次に粥(かゆ)を服す。次に頭を梳(けず)り(注6)、次に手足の甲(つめ)を除け。次に日を択びて沐浴(もくよく)せよ。(中略)年中の行事は、ほぼ件(くだん)の暦に注し付け、日ごとに視(み)るの次(ついで)に先ずその事を知り、兼ねてもって用意せよ。
(「九条殿遺誡」)
(注5)遺誡:ここでは藤原師輔(道長の祖父)が子孫に残した訓戒。
(注6)頭を梳る:髪をとかす。
X 中央や地方の政務には、暦に書かれたその日の吉凶が利用されていた。
Y 貴族の日常生活は、具注暦に記入された暦注に影響を受けていた。
- X:正 Y:正
- X:正 Y:誤
- X:誤 Y:正
- X:誤 Y:誤
正解!素晴らしいです
残念...
この過去問の解説 (1件)
01
正しい組み合わせは、「X:正 Y:正」 です。
具注暦に書かれた日の吉凶(暦注)は、政治の場でも貴族の日常生活でも重視され、行動を決める基準になっていました。
【各選択肢の検討】
X:中央や地方の政務には、暦に書かれたその日の吉凶が利用されていた。
史料1では、国司が任国へ下向する日時・館に入る日時・前任者との交替事務を始める日時を「陰陽家において撰定せしむ」とあります。
これは陰陽寮で作成された具注暦の吉日時を参考に決めたことを示します。
行政上の重要儀礼や手続きが暦注に従って行われたため、Xは正しいといえます。
Y:貴族の日常生活は、具注暦に記入された暦注に影響を受けていた。
史料2の「九条殿遺誡」には、朝起きてまず鏡で顔を見た後「暦を見て日の吉凶を知る」と記され、さらに入浴や爪切りなどの家事も日をえらんで行うよう説いています。
具注暦の吉凶を確認しながら日常の行動を決めていたことが分かるため、Yも正しい内容です。
正しい組み合わせです。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
具注暦は、
・公的領域…任官・儀式などの吉日時選定に活用
・私的領域…貴族の起居や身辺整理、年中行事の準備に活用
と、古代社会のあらゆる場面に影響を与えました。
参考になった数0
この解説の修正を提案する
前の問題(問43)へ
令和5年度(2023年度)本試験 問題一覧
次の問題(問45)へ