大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問45 (日本史B(第2問) 問5)
問題文
a 陰陽道は、中国から伝来した暦学や天文学、陰陽五行思想などに基づき、徐々に形成されていった。
律令制下ではそれらの技術や思想を管轄するb 陰陽寮が設置された。陰陽寮は天文、暦や時刻のことに携わり、異変があった時には、国家的な災害や異変の予兆かどうか判定を行った。地方においても、大宰府には律令制定段階から陰陽師が置かれた。
9世紀以降、情勢が不安定となった東北地方や東国にも陰陽師が置かれるようになった。一方、c 怨霊や疫神をまつって災厄をのがれようとする信仰が広まるなか、陰陽寮に属する陰陽師たちは災害や異変の元凶を取り除く祭祀(さいし)にも従事していった。10世紀になると陰陽師は、天皇や貴族たち個人の要請にも応え、事の吉凶を占ったり、呪術を施したりした。
陰陽寮の重要な仕事の一つに、暦の作成があった。古代の暦のなかには、d 日の吉凶(暦注)を記した具注暦と呼ばれるものがあった。作成された具注暦は、まず天皇に奏上され、天皇から太政官を通じて各官司などに下賜され、下級官司や地方官衙などでも書き写して備えられた。具注暦は行政の現場で文書行政や徴税納期の管理などに用いられた。
具注暦は、役所だけではなく個人でも利用された。平安時代になると、摂関家や上級貴族たちは、具注暦を入手し、それを利用して日記を書き残すこともあった。それらを見ると、その日に行われた政務や儀式、日常の行動が細かく記されている。
史料1
国務条事
一、任国に赴く吉日時の事
新任の吏(注1)、任国に赴くの時、必ず吉日時を択(えら)び、下向(げこう)(注2)すべし。
一、吉日時を択びて、館(たち)(注3)に入る事
着 館(ちゃくかん)の日時は、在京の間、陰陽家において撰定(せんてい)せしむ。
一、吉日を択びて、交替政(こうたいせい)(注4)を始め行う事
(『朝野群載』)
(注1)新任の吏:新たに任命された国司。
(注2)下向:京から任国へ下ること。
(注3)館:任国に設けられた国司の居館。
(注4)交替政:新任国司が前任国司と交代する手続き。行政事務の一つ。
史料2
遺誡(ゆいかい)(注5)幷(ならび)に日中行事
先(ま)ず起きて、(中略)次に鏡を取りて面(おもて)を見、暦を見て日の吉凶を知る。(中略)次に昨日のことを記せ。次に粥(かゆ)を服す。次に頭を梳(けず)り(注6)、次に手足の甲(つめ)を除け。次に日を択びて沐浴(もくよく)せよ。(中略)年中の行事は、ほぼ件(くだん)の暦に注し付け、日ごとに視(み)るの次(ついで)に先ずその事を知り、兼ねてもって用意せよ。
(「九条殿遺誡」)
(注5)遺誡:ここでは藤原師輔(道長の祖父)が子孫に残した訓戒。
(注6)頭を梳る:髪をとかす。
前の文章や史料1・2を踏まえて、古代の陰陽道や貴族の生活について説明した次の文a~dについて、最も適当なものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
a 天皇が暦を下賜したのは、天皇が時間を支配していることを示す意味があったと考えられる。
b 地方の役所には陰陽師が置かれ、暦を独自に作成していたと考えられる。
c 貴族にとって重要な年中行事は、具注暦を利用した日記に書き込まれ、前々から準備を始めていたと考えられる。
d 陰陽師は、物忌・方違や穢の発生など、貴族の個人的な吉凶は占わなかったと考えられる。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問45(日本史B(第2問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)
a 陰陽道は、中国から伝来した暦学や天文学、陰陽五行思想などに基づき、徐々に形成されていった。
律令制下ではそれらの技術や思想を管轄するb 陰陽寮が設置された。陰陽寮は天文、暦や時刻のことに携わり、異変があった時には、国家的な災害や異変の予兆かどうか判定を行った。地方においても、大宰府には律令制定段階から陰陽師が置かれた。
9世紀以降、情勢が不安定となった東北地方や東国にも陰陽師が置かれるようになった。一方、c 怨霊や疫神をまつって災厄をのがれようとする信仰が広まるなか、陰陽寮に属する陰陽師たちは災害や異変の元凶を取り除く祭祀(さいし)にも従事していった。10世紀になると陰陽師は、天皇や貴族たち個人の要請にも応え、事の吉凶を占ったり、呪術を施したりした。
陰陽寮の重要な仕事の一つに、暦の作成があった。古代の暦のなかには、d 日の吉凶(暦注)を記した具注暦と呼ばれるものがあった。作成された具注暦は、まず天皇に奏上され、天皇から太政官を通じて各官司などに下賜され、下級官司や地方官衙などでも書き写して備えられた。具注暦は行政の現場で文書行政や徴税納期の管理などに用いられた。
具注暦は、役所だけではなく個人でも利用された。平安時代になると、摂関家や上級貴族たちは、具注暦を入手し、それを利用して日記を書き残すこともあった。それらを見ると、その日に行われた政務や儀式、日常の行動が細かく記されている。
史料1
国務条事
一、任国に赴く吉日時の事
新任の吏(注1)、任国に赴くの時、必ず吉日時を択(えら)び、下向(げこう)(注2)すべし。
一、吉日時を択びて、館(たち)(注3)に入る事
着 館(ちゃくかん)の日時は、在京の間、陰陽家において撰定(せんてい)せしむ。
一、吉日を択びて、交替政(こうたいせい)(注4)を始め行う事
(『朝野群載』)
(注1)新任の吏:新たに任命された国司。
(注2)下向:京から任国へ下ること。
(注3)館:任国に設けられた国司の居館。
(注4)交替政:新任国司が前任国司と交代する手続き。行政事務の一つ。
史料2
遺誡(ゆいかい)(注5)幷(ならび)に日中行事
先(ま)ず起きて、(中略)次に鏡を取りて面(おもて)を見、暦を見て日の吉凶を知る。(中略)次に昨日のことを記せ。次に粥(かゆ)を服す。次に頭を梳(けず)り(注6)、次に手足の甲(つめ)を除け。次に日を択びて沐浴(もくよく)せよ。(中略)年中の行事は、ほぼ件(くだん)の暦に注し付け、日ごとに視(み)るの次(ついで)に先ずその事を知り、兼ねてもって用意せよ。
(「九条殿遺誡」)
(注5)遺誡:ここでは藤原師輔(道長の祖父)が子孫に残した訓戒。
(注6)頭を梳る:髪をとかす。
前の文章や史料1・2を踏まえて、古代の陰陽道や貴族の生活について説明した次の文a~dについて、最も適当なものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
a 天皇が暦を下賜したのは、天皇が時間を支配していることを示す意味があったと考えられる。
b 地方の役所には陰陽師が置かれ、暦を独自に作成していたと考えられる。
c 貴族にとって重要な年中行事は、具注暦を利用した日記に書き込まれ、前々から準備を始めていたと考えられる。
d 陰陽師は、物忌・方違や穢の発生など、貴族の個人的な吉凶は占わなかったと考えられる。
- a・c
- a・d
- b・c
- b・d
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この過去問の解説 (1件)
01
最も適当な組み合わせは、「a・c」です。
【各文の検討】
a:正しい
具注暦は「まず天皇に奏上され、天皇から下賜」とあります。
暦(時間)を授ける行為で、天皇が時間=天下の秩序を統率する権威を示したと理解できます。
b:誤り
大宰府などに陰陽師は配置されましたが、本文には「地方官衙などでも書き写して備えられた」とあり、地方が独自に暦を作成したとは読めません。
c:正しい
史料2には「年中の行事は件の暦に注し付け、日ごとに視る…兼ねてもって用意せよ」と記されます。
貴族は具注暦を日記に転記し、重要行事を前もって準備していたと解釈できます。
d:誤り
本文は「10世紀になると陰陽師は、天皇や貴族個人の要請にも応え、事の吉凶を占った」と述べます。
物忌・方違い等を占わなかったという記述は事実と逆です。
最も適当な組み合わせです。
誤りです。
誤りです。
誤りです。
天皇による暦下賜は支配権の象徴でした。
貴族は具注暦を日記・年中行事の計画に活用しました。
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