大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問48 (日本史B(第3問) 問3)

このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。

問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問48(日本史B(第3問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)

次の文章は、中世の京都について調べている高校生のユウカさんとキョウさんとの会話である。この文章を読み、後の問いに答えよ。(資料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)

ユウカ:中世の京都の特徴って何だろう。中世にも政治を担う権力者たちが多く住んでいたと思うんだけど、なんだか印象が薄い気がする。
キョウ:でも実際に、a 平安時代後期から鎌倉時代に政治を担った権力者たちが新しい仏教の流行に乗って平安京周辺に多くのお寺を造らせているよ
ユウカ:中世は仏教が栄えた時代と教わったけど、中国から最先端の教えがいち早く京都に伝わったのは、権力者が深く関わっていたからかな。政治の中心であったからこそ、京都に最先端の文化が伝わったってことだね。
キョウ:いくつか本を読んでみると、京都に住む権力者たちに物資が集まったことによって、京都の経済がどんどん発達していったことが強調されているよ。
ユウカ:b 室町幕府が京都の経済活動に深く関わっていたことはよく聞くなあ。
キョウ:そういえば、経済が発達したことによってc 様々な芸術や文化が発達したと書いている本もあったよ。戦乱によって荒廃した京都が富裕な商工業者たちによって復興されたように、京都の経済活動は活発だったみたい。
ユウカ:この図1は戦国時代の京都の地図だよね。黒い丸が集まっているけど、何を示しているんだろう。
キョウ:黒い丸は、戦国時代の酒屋の位置を示していて、丸の大きさによって、酒屋が負担した税の額を表しているんだよ。大きな丸が多いから、この頃の酒屋にはたくさんの銭が集まっていたんだろうね。もしかすると、黒い丸の場所の地中にはものすごい量の銭の入った容器が眠っているかもよ。
ユウカ:史料だけではなくて、発掘調査の報告書や当時の様子を描いた絵画を見ることも、中世の京都について詳しく知るための参考になりそうだね。

下線部bに関連して、次の史料1は1500年に室町幕府が京都で発布した撰銭令である。また、後の史料2は1485年に大内氏が山口で発布し、1500年においても有効だった撰銭令である。史料1・2によって分かることに関して述べた後の文a~dについて、最も適当なものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

史料1
商売人等による撰銭の事について
近年、自分勝手に撰銭を行っていることは、まったくもってけしからんことである。日本で偽造された私鋳銭については、厳密にこれを選別して排除しなさい。永楽銭・洪武銭・宣徳銭は取引に使用しなさい。
(『建武以来追加』大意)

史料2
利息付きの貸借や売買の際の銭の事について
永楽銭・宣徳銭については選別して排除してはならない。さかい銭(注1)・洪武銭・うちひらめ(注2)の三種類のみを選んで排除しなさい。
(『大内氏掟書』大意)

(注1)さかい銭:私鋳銭の一種。
(注2)うちひらめ:私鋳銭の一種。

a  使用禁止の対象とされた銭の種類が一致していることから、大内氏は室町幕府の規制に従っていたことが分かる。
b  使用禁止の対象とされた銭の種類が一致していないことから、大内氏は室町幕府の規制に従ってはいなかったことが分かる。
c  永楽通宝は京都と山口でともに好んで受け取ってもらえ、市中での需要が高かったことが分かる。
d  永楽通宝は京都と山口でともに好んで受け取ってもらえず、市中での需要が低かったことが分かる。
問題文の画像
  • a・c
  • a・d
  • b・c
  • b・d

次の問題へ

正解!素晴らしいです

残念...

この過去問の解説 (1件)

01

最も適当な選択肢は、「b・d」です。

 

まず、幕府の撰銭令では「洪武銭」は使用できますが、大内氏の撰銭令では「洪武銭」は排除されます。

また、戦国時代の当時において、室町幕府の統制力は弱く、大内氏ら諸国の大名は自立して、群雄割拠の様相を見せていました。

したがって、「b  使用禁止の対象とされた銭の種類が一致していないことから、大内氏は室町幕府の規制に従ってはいなかったことが分かる。」が正しいです。

 

そして、幕府の撰銭令・大内氏の撰銭令ともに、「永楽銭」使用をわざわざ命じ、特に幕府方は私鋳銭に苦言を呈しているので、当時の京都と山口では永楽通宝の需要が低く、私鋳銭発行が横行していたと考えられます。

したがって、「d  永楽通宝は京都と山口でともに好んで受け取ってもらえず、市中での需要が低かったことが分かる。」は正しいです。
 

選択肢1. a・c

誤りです。

選択肢2. a・d

誤りです。

選択肢3. b・c

誤りです。

選択肢4. b・d

正解です。

まとめ

中世の日本において、朝廷によって貨幣鋳造は行われず、永楽銭・洪武銭・宣徳銭などの明銭とともに、それらを模倣して私的に鋳造された私鋳銭が盛んに用いられました。

これら中国銭と私鋳銭は、混用して用いられ、その中から良銭と悪銭を選別する撰銭がしばしば行われました。

こうした状況の中、室町幕府は私鋳銭を規制する撰銭令を1500年に発布し、大名の大内氏も独自に撰銭令を発布しました。

参考になった数0