大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)本試験
問55 (日本史B(第4問) 問5)
問題文
ナツ:江戸時代の武士たちの結びつきってどんなものだったのかな?
アキ:例えば彦根藩士や対馬藩士は、自分たちを「井伊掃部頭(かもんのかみ)家中」「宗対馬守家中」と称しているよね。
ナツ:同じ主君に仕える家臣たちは、主君の家の一員とみなされ、一体感があったようだね。庶民はどうだったのかな?
アキ:人口の大半を占める百姓たちは、日頃は村で過ごして、村や地域の中で深い結びつきをもっていたんじゃないかな。
ナツ:電車やインターネットもない時代だから、遠くにいる人との結びつきは限られていただろうね。
アキ:でも、17世紀前半に、( ア )ことなどによって、江戸と全国を結ぶ陸上交通が発達したんだよね。
ナツ:17世紀中頃までには、( イ )ために、水上交通も発達したんだね。
アキ:特に都市ではa 商人や職人が仲間・組合をつくるようになり、幕府も物価統制などにそれを活用したことも知られているね。
ナツ:町内のつながりや商人・職人の仲間以外にも、都市では緩やかな結びつきがあったんじゃないかな。b 文化的な結びつきも広がっていったみたいだね。
アキ:水上交通といえば、船が漂流して、外国に漂着することもあったみたい。c 近隣諸国との間で、漂流した人々を送り返すことも行われていたようだよ。海外ともいろいろな形で結びついていたことが分かるね。
ナツさんとアキさんは、話し合いと授業の内容を踏まえて、調べたことをまとめた。江戸時代における人々の結びつきについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)本試験 問55(日本史B(第4問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)
ナツ:江戸時代の武士たちの結びつきってどんなものだったのかな?
アキ:例えば彦根藩士や対馬藩士は、自分たちを「井伊掃部頭(かもんのかみ)家中」「宗対馬守家中」と称しているよね。
ナツ:同じ主君に仕える家臣たちは、主君の家の一員とみなされ、一体感があったようだね。庶民はどうだったのかな?
アキ:人口の大半を占める百姓たちは、日頃は村で過ごして、村や地域の中で深い結びつきをもっていたんじゃないかな。
ナツ:電車やインターネットもない時代だから、遠くにいる人との結びつきは限られていただろうね。
アキ:でも、17世紀前半に、( ア )ことなどによって、江戸と全国を結ぶ陸上交通が発達したんだよね。
ナツ:17世紀中頃までには、( イ )ために、水上交通も発達したんだね。
アキ:特に都市ではa 商人や職人が仲間・組合をつくるようになり、幕府も物価統制などにそれを活用したことも知られているね。
ナツ:町内のつながりや商人・職人の仲間以外にも、都市では緩やかな結びつきがあったんじゃないかな。b 文化的な結びつきも広がっていったみたいだね。
アキ:水上交通といえば、船が漂流して、外国に漂着することもあったみたい。c 近隣諸国との間で、漂流した人々を送り返すことも行われていたようだよ。海外ともいろいろな形で結びついていたことが分かるね。
ナツさんとアキさんは、話し合いと授業の内容を踏まえて、調べたことをまとめた。江戸時代における人々の結びつきについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- 彦根藩井伊家のような大名の家臣団は、主君と家臣が血縁によって結びついている集団だと考えられる。
- 江戸時代における村民の結びつきは強く、幕府もそれに依拠して年貢などの諸負担を村全体の責任で請け負わせたと考えられる。
- 江戸では、武士と町人の居住地が分けられており、武士の文化である俳諧や川柳を町人がたしなむことも許されなかったと考えられる。
- 江戸時代後期には奉公人や出稼ぎ人が多くなったので、幕府は彼らに寄場組合(改革組合村)をつくらせ風俗を取り締まらせたと考えられる。
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この過去問の解説 (1件)
01
単純に例文のナツとアキのやり取りだけでは判断できず、江戸時代における人々の結びつきについての知識が必要となる問題です。
以下、選択肢ごとに見ていきましょう。
ナツとアキの会話では、藩における主君と家臣の一体感があったと会話していますが、「主君と家臣が血縁によって結びついて」とは言っていません。現実的に血縁関係にある人もいたでしょうが、「井伊掃部頭(かもんのかみ)家中」と称していたということは、地縁によって結びついていたと考える方が妥当でしょう。
よって、不適切です。
ナツとアキの会話では、「人口の大半を占める百姓たちは、日頃は村で過ごして、村や地域の中で深い結びつきをもっていた」とあります。
ということは、幕府が「それに依拠して年貢などの諸負担を村全体の責任で請け負わせ」るのが、最も合理的なやり方です。
庄屋(名主)・五人組制度は、そのために制度化されたといっても良いでしょう。
従って、適切です。
ナツとアキの会話では、武士や町人の居住や文化について直接触れてはいません。しかしながら、江戸では武士と町人の居住地が分けられていたのは事実です。浪人は武士ですが、主君を持たないため例外といえます。
徘徊や川柳は武士もたしなみますが、町人がたしなむことを禁じてはいませんでした。
江戸時代の代表的俳人の与謝蕪村や小林一茶は武士ではありません。
従って、不適切です。
幕府が、寄場組合(改革組合村)をつくらせたのは事実ですが、文中の彼ら(=奉公人や出稼ぎ人)につくらせたわけではありません。
幕府が指導して、村々につくられたもので、治安維持が目的でしたが、基本的に自治組織です。
従って、不適切です。
繰り返しになりますが、単純に例文のナツとアキのやり取りだけでは判断できず、江戸時代における人々の結びつきについての知識が必要となる問題です。
文章をよく読んで、少しの違和感を大事にしましょう。
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