大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問58 (日本史B(第5問) 問4)
問題文
「旅券」となったパスポート
図2は1891年の「旅券」を、■(黒塗り)で個人情報を伏せて書き写したものです。1878年の「海外旅券規則」以降、パスポートは現在と同じように「旅券」という名称になりました。
「海外旅券規則」の冒頭には、旅券は「日本国民タルヲ証明スルノ具」とあります。国際関係が大きく変化したこの時代、c 日本のパスポートが交付される「国民」の範囲も時期によって大きく変化しました。
下線部cに関連して、1897(明治30)年には日本国籍を持つ「帝国臣民タル台湾住民」に日本のパスポート(旅券)を交付することになった。台湾における日本国籍付与の原則を記した次の史料1・2に関して述べた後の文a~dについて、正しいものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
史料1 「下関条約」(1895年)
第五条 日本国へ割与(かつよ)(注1)せられたる地方の住民にして、右割与せられたる地方の外に住居せむと欲するものは自由に其の所有不動産を売却して退去することを得(う)べし、其の為め本約批准交換の日(注2)より二ヶ年間を猶予すべし。
(『日本外交年表竝主要文書』)
(注1)割与:割譲。
(注2)本約批准交換の日:1895年5月8日。
史料2 「台湾住民分限取扱手続」(1897年)
第二条 明治三十年五月八日前に台湾総督府管轄区域外に退去せざる台湾住民は下ノ関条約第五条第一項に因(よ)り日本帝国臣民と視為(みな)すべし。
(『台湾総督府警察沿革誌』)
a 史料1と史料2によれば、不動産の売却を拒否した台湾住民は、下関条約の批准から2年の間に台湾総督府管轄区域外に退去させられたことが分かる。
b 史料1と史料2によれば、下関条約の批准から2年の間に台湾総督府管轄区域を退去しなかった台湾住民には、日本国籍が付与されたことが分かる。
c 下関条約調印後、台湾では日本の支配に抵抗する運動が見られたが、日本は軍隊を派遣し、抵抗運動を抑え込んだ。
d 下関条約の批准から2年後に、日本政府は、日本帝国臣民の義務として台湾住民にも徴兵制度を施行した。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問58(日本史B(第5問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)
「旅券」となったパスポート
図2は1891年の「旅券」を、■(黒塗り)で個人情報を伏せて書き写したものです。1878年の「海外旅券規則」以降、パスポートは現在と同じように「旅券」という名称になりました。
「海外旅券規則」の冒頭には、旅券は「日本国民タルヲ証明スルノ具」とあります。国際関係が大きく変化したこの時代、c 日本のパスポートが交付される「国民」の範囲も時期によって大きく変化しました。
下線部cに関連して、1897(明治30)年には日本国籍を持つ「帝国臣民タル台湾住民」に日本のパスポート(旅券)を交付することになった。台湾における日本国籍付与の原則を記した次の史料1・2に関して述べた後の文a~dについて、正しいものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
史料1 「下関条約」(1895年)
第五条 日本国へ割与(かつよ)(注1)せられたる地方の住民にして、右割与せられたる地方の外に住居せむと欲するものは自由に其の所有不動産を売却して退去することを得(う)べし、其の為め本約批准交換の日(注2)より二ヶ年間を猶予すべし。
(『日本外交年表竝主要文書』)
(注1)割与:割譲。
(注2)本約批准交換の日:1895年5月8日。
史料2 「台湾住民分限取扱手続」(1897年)
第二条 明治三十年五月八日前に台湾総督府管轄区域外に退去せざる台湾住民は下ノ関条約第五条第一項に因(よ)り日本帝国臣民と視為(みな)すべし。
(『台湾総督府警察沿革誌』)
a 史料1と史料2によれば、不動産の売却を拒否した台湾住民は、下関条約の批准から2年の間に台湾総督府管轄区域外に退去させられたことが分かる。
b 史料1と史料2によれば、下関条約の批准から2年の間に台湾総督府管轄区域を退去しなかった台湾住民には、日本国籍が付与されたことが分かる。
c 下関条約調印後、台湾では日本の支配に抵抗する運動が見られたが、日本は軍隊を派遣し、抵抗運動を抑え込んだ。
d 下関条約の批准から2年後に、日本政府は、日本帝国臣民の義務として台湾住民にも徴兵制度を施行した。

- a・c
- a・d
- b・c
- b・d
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この過去問の解説 (1件)
01
最も適当なのは 「b・c」 です。
条約と内地法令をあわせて読むと、台湾住民は「離脱の自由」と引換えに2年間以内に残留を選べば日本国籍(帝国臣民)が与えられました(b)。
その一方、割譲直後の台湾では日本支配への抵抗が続き、軍隊を派遣して制圧した事実が知られています(c)。
【各文の検討】
a
史料1は「退去を希望すれば売却して自由に退去できる」と規定するだけで、退去を強制したとは書かれていません。
史料2も強制退去を命じていないので誤りです。
b
史料2は「1897年5月8日までに退去しなかった台湾住民は日本帝国臣民とみなす」と明記しています。
これは史料1で示された2年の猶予期間の満了と整合し、日本国籍付与を裏づけます。
正しいです。
c
割譲後、台湾民主国の樹立やゲリラ蜂起が起こり、日本は近衛師団などを派遣して鎮圧しました。
史実に合致し正しいです。
d
徴兵令は台湾には適用されず、実際に台湾人が徴兵対象となるのは太平洋戦争末期(特別志願兵制度など)です。
2年後に即時施行したという記述は誤りです。
誤りです。
誤りです。
正しい組み合わせです。
誤りです。
・史料1(下関条約):台湾住民に2年間の選択猶予を与え、退去は自由意思。
・史料2(台湾住民分限取扱手続):期日までに残留した者を自動的に「帝国臣民」と認定。
これにより、台湾住民の国籍は日本の法体系へ組み込まれ、近代国家の国籍概念が植民地にも及ぶことになりました。
また、割譲直後の軍事行動は新領土支配の現実面を示しています。
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