大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問59 (日本史B(第6問) 問1)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問59(日本史B(第6問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)

日本の漁業と対外関係について述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。(資料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)

四方を海に囲まれた日本では、漁業が発展し、魚介類(甲殻類も含む)が盛んに消費されてきた。近海の漁獲量だけでは消費を支えられなくなった明治以降、日本の漁場は拡大した。その過程でロシア沿海に着目した日本は、a 日露戦争の勝利を受けてロシアと漁業協約を締結して漁場を確保した
b 既存の塩干しや新たに登場した缶詰などの保存技術に支えられて日本の漁場が拡大するなか、1920~1930年代に漁業紛争が発生した。北太平洋ではc アメリカと漁場を巡って外交問題が生じた。また、d 東シナ海・黄海でも、中国との間で、漁場を巡る紛争が頻発した

下線部aに関して、次の史料1を参考にしながら、後のグラフ1に表れた特徴の解釈として最も適当なものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

史料1 日露漁業協約(1907年9月11日公布)
第一条 露西亜(ろしあ)帝国政府は本協約の規定に依り(中略)露西亜国沿岸に於(おい)て(中略)魚類及(および)水産物を捕獲、採取及製造するの権利を日本国臣民に認む。
第二条 日本国臣民は(中略)水陸両面に亘(わた)る漁区(注)に於て魚類及水産物の捕獲及製造に従事することを得べし。(中略)該事項に関し日本国臣民は(中略)露西亜国臣民と同一の権利を享有すべし。
第十三条 本協約は十二箇(か)年間効力を有す。
(『北洋漁業関係法規』)
(注)漁区:漁獲が許可された区域。
問題文の画像
  • 1908~1915年の漁獲量の推移には、日露漁業協約によってロシア沿岸の漁業権が日本の漁業者にも対等に認められた影響が表れていると考えられる。
  • 1916~1918年の漁獲量の推移には、日本国内の不況による需要の減退の影響が表れていると考えられる。
  • 1919~1921年の漁獲量の推移には、日露漁業協約の期限切れにともなうロシア沿岸の漁場からの日本の漁業者の締め出しの影響が表れていると考えられる。
  • 1922~1928年の漁獲量の推移には、浜口雄幸内閣による産業合理化政策の漁業への波及の影響が表れていると考えられる。

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この過去問の解説 (1件)

01

最も適当な選択肢は、

「1908~1915年の漁獲量の推移には、日露漁業協約によってロシア沿岸の漁業権が日本の漁業者にも対等に認められた影響が表れていると考えられる。」 です。

選択肢1. 1908~1915年の漁獲量の推移には、日露漁業協約によってロシア沿岸の漁業権が日本の漁業者にも対等に認められた影響が表れていると考えられる。

1907年に締結された日露漁業協約(史料1)は、日本人にもロシア人と同じ条件でロシア沿岸漁場の利用を認め、12年間(1907~1919)の効力を持ちました。

グラフ1では、協約発効直後の1908年に約2万トンだった漁獲量が、1915年までにおよそ3倍の6万トン強へ継続的に増加しています。

これは、日本漁船が新たに安全かつ合法にロシア沿岸へ進出できるようになり、漁場拡大と設備投資が進んだ結果と解釈できます。

選択肢2. 1916~1918年の漁獲量の推移には、日本国内の不況による需要の減退の影響が表れていると考えられる。

グラフではこの期間も6万トン前後で大きな落ち込みは見られず、「需要減退」と結び付ける根拠に乏しいです。

選択肢3. 1919~1921年の漁獲量の推移には、日露漁業協約の期限切れにともなうロシア沿岸の漁場からの日本の漁業者の締め出しの影響が表れていると考えられる。

協約は確かに1919年で満了しますが、漁獲量はむしろ横ばいから上昇傾向を示しており、「締め出し」の影響とは合致しません。

選択肢4. 1922~1928年の漁獲量の推移には、浜口雄幸内閣による産業合理化政策の漁業への波及の影響が表れていると考えられる。

浜口雄幸内閣は1929年成立で時期が合わず、グラフの1922~28年の変動を説明できません。

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