大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問92 (地理B(第5問) 問3)
問題文
ニホンカワウソが絶滅種に認定されていることを知ったセイラさんたちは、絶滅の主な要因を次の資料1にまとめ、人間活動の影響について調べることにした。まずセイラさんたちは、資料1に示した「市街地の拡大」に着目した。後の文章は、図4で示した須崎市中心部の1936年と2017年に発行された2万5千分の1地形図(原寸、一部改変)に関することがらを、セイラさんたちがまとめたものである。図4に関することがらについて述べた文章中の下線部①~④のうちから、最も適当なものを一つ選べ。
1936年から2017年の間に、須崎市中心部では大きく土地利用が変化した。この間に沿岸部では、① 富士ヶ浜(ふじがはま)が埋め立てられ、その埋立地上に鉄道が延伸された。須崎港の沿岸は埋め立てられたほか、湾奥部には、② 斜面に盛土してセメント工場が建てられた。内陸部では、市街地が須崎駅の西側に拡大し、③ 池ノ内(いけのうち)の水田地帯では、ため池が完全に埋め立てられ、道路がつくられた。④ 池山(いけやま)の北側には、いくつかの公共施設が建てられ、新たな住宅地が広がった。

このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。
問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問92(地理B(第5問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
ニホンカワウソが絶滅種に認定されていることを知ったセイラさんたちは、絶滅の主な要因を次の資料1にまとめ、人間活動の影響について調べることにした。まずセイラさんたちは、資料1に示した「市街地の拡大」に着目した。後の文章は、図4で示した須崎市中心部の1936年と2017年に発行された2万5千分の1地形図(原寸、一部改変)に関することがらを、セイラさんたちがまとめたものである。図4に関することがらについて述べた文章中の下線部①~④のうちから、最も適当なものを一つ選べ。
1936年から2017年の間に、須崎市中心部では大きく土地利用が変化した。この間に沿岸部では、① 富士ヶ浜(ふじがはま)が埋め立てられ、その埋立地上に鉄道が延伸された。須崎港の沿岸は埋め立てられたほか、湾奥部には、② 斜面に盛土してセメント工場が建てられた。内陸部では、市街地が須崎駅の西側に拡大し、③ 池ノ内(いけのうち)の水田地帯では、ため池が完全に埋め立てられ、道路がつくられた。④ 池山(いけやま)の北側には、いくつかの公共施設が建てられ、新たな住宅地が広がった。

- ①
- ②
- ③
- ④
正解!素晴らしいです
残念...
この過去問の解説 (1件)
01
最も適当なのは、下線部④です。
1936年図では池山北側はほぼ斜面と山林だけですが、2017年図では学校や公民館を示す記号、グラウンド、碁盤目状の街路と家屋記号がまとまって描かれ、市街地が新たに形成されたことが確認できます。
2017年図でも富士ヶ浜の海岸線はほぼそのまま残り、鉄道は埋立地ではなく内陸側を通ります。
埋立と鉄道延伸が同じ場所で起こったという説明は当てはまりません。
セメント工場は湾奥ではなく、湾口寄りの海岸を埋め立てて造成した平地に立地しています。
「斜面に盛土」という表現は位置・造成方法の両面で正確ではありません。
1936年図にあったため池は2017年図でも一部が残り、周囲は水田のままです。
道路は周辺を囲むだけで、ため池跡を全面的な道路用地に転用したわけではありません。
2017年図には学校・体育館・グラウンドなどの公共施設記号が複数描かれ、家屋記号が密集して新興住宅地を形成しています。
1936年図にはこれらが見当たらず、戦後の市街地拡大を示す変化として最も妥当です。
須崎市中心部では、沿岸部は工業用地と港湾施設、山側は住宅地と公共施設という形で拡大しました。
とくに池山北側の宅地造成は、山麓を切り開いて平坦地を確保した典型例です。
一方、富士ヶ浜や池ノ内のため池のように、自然地形や水域が完全には失われていない場所もあることが、図面の比較から読み取れます。
参考になった数0
この解説の修正を提案する
前の問題(問91)へ
令和5年度(2023年度)追・再試験 問題一覧
次の問題(問93)へ