大学入学共通テスト(公民) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問44 (倫理(第2問) 問6)

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問題

大学入学共通テスト(公民)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問44(倫理(第2問) 問6) (訂正依頼・報告はこちら)

以下を読み、後の問いに答えよ。なお、会話と問いのBとCは各々全て同じ人物である。

以下は、倫理の授業で、日本思想を学んだ後に、「役に立つ学びとはどのようなものか」をテーマにクラスで行われた紙上での対話である。

Cの意見
役に立つ学びというと、資格の取得など、学んだことが仕事に活かされ、収入につながるものを思い浮かべがちですが、それだけを一度きりの人生の目的にできるのでしょうか。日本には自らの生き方を考える学びの伝統があり、実利を重視する風潮が強まったe 近代以降であっても、哲学することは真の人間になることだと述べた思想家もいました。自らの生き方を考える学びは、この人生を悔いなく送るために、本当の意味で役に立つ学びだと考えます。

BからCへの質問
確かにそうですね。ただ、私もCも、役に立つという言葉から、自分の役に立つことだけに囚(とら)われていたと気付きました。例えば、f 高野長英の人生を考えてみると、彼は、自身が「有用急務の実学」だと認めた蘭学を究め、その学びが、日本の西洋学術の受容にも寄与し、多くの人々の生活を豊かにしました。このように、役に立つ学びには、他者のために役に立つという面もあると考えられませんか。

CからBへの返答
なるほど。以前授業で、鎌倉時代の僧g 叡尊は、学びを通じて仏教者としての己の生き方を見つめ、そこから利他の実践に向かったと習ったのを思い出しました。彼のように、自分の生き方を省みた先で、他者と共にある具体的な現実に目を向け、学びを目の前の他者のための実践へとつなげられたとき、役に立つ学びは一層深まるのかもしれません。

下線部fに関して、高野長英についての説明として最も適当なものを、次の回答選択肢のうちから一つ選べ。
  • 朱子学における窮理の精神に基づいて、実証的な博物学を探究し、『大和本草』などの本草書を編纂(へんさん)した。
  • 天文学をはじめとした西洋科学と儒学との調和を試み、条理学という独自の自然哲学体系を構築した。
  • 尚歯会を結成して西洋科学の摂取を試みたが、次第に国際情勢の知識の習得にまで関心の幅を広げ、その結果、鎖国政策への批判に及んだ。
  • もともと儒学を学んでいたが、アヘン戦争における清国の敗北をきっかけにして西洋の学術に注目するようになり、和魂洋才の立場をとった。

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この過去問の解説 (2件)

01

高野長英は、江戸時代後期の蘭学者です。シーボルトに師事し、渡辺華山らと共に尚歯会に加わります。

江戸幕府の異国船打払令を批判して開国を説きましたが、幕府の弾圧を受け死去しました。


 

選択肢1. 朱子学における窮理の精神に基づいて、実証的な博物学を探究し、『大和本草』などの本草書を編纂(へんさん)した。

大和本草を編纂したのは、貝原益軒です。

従って、不正解です。

選択肢2. 天文学をはじめとした西洋科学と儒学との調和を試み、条理学という独自の自然哲学体系を構築した。

条理学とは、江戸時代中期に儒学者三浦梅園が唱えた学問体系です。

従って、不正解です。

選択肢3. 尚歯会を結成して西洋科学の摂取を試みたが、次第に国際情勢の知識の習得にまで関心の幅を広げ、その結果、鎖国政策への批判に及んだ。

本選択肢が正解です。

選択肢4. もともと儒学を学んでいたが、アヘン戦争における清国の敗北をきっかけにして西洋の学術に注目するようになり、和魂洋才の立場をとった。

本選択肢は、佐久間象山を指しています。

佐久間象山は、江戸時代後期の朱子学者・洋学者で、幕末当代一の学者の一人として知られ、勝海舟、吉田松陰が師事したことで知られています。

従って、不正解です。

まとめ

この問題に登場する学者は、いずれも江戸時代の学者として有名な人々です。

儒学者、朱子学者、蘭学者、国学者とそれぞれ有名な学者を整理しておくとよいでしょう。

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02

正解は、「尚歯会を結成して西洋科学の摂取を試みたが、次第に国際情勢の知識の習得にまで関心の幅を広げ、その結果、鎖国政策への批判に及んだ。」です。

以下、解説になります。

選択肢1. 朱子学における窮理の精神に基づいて、実証的な博物学を探究し、『大和本草』などの本草書を編纂(へんさん)した。

『大和本草』を編纂したのは、貝原益軒です。

選択肢2. 天文学をはじめとした西洋科学と儒学との調和を試み、条理学という独自の自然哲学体系を構築した。

高野長英は、医学者且つ蘭学者であるため、天文学や条理学に精通していません。

選択肢3. 尚歯会を結成して西洋科学の摂取を試みたが、次第に国際情勢の知識の習得にまで関心の幅を広げ、その結果、鎖国政策への批判に及んだ。

正解は、この肢です。

高野長英は、江戸時代後期の医師であり蘭学者です。

当時の鎖国政策を批判しており、西洋医学の吸収を試みた人物です。

選択肢4. もともと儒学を学んでいたが、アヘン戦争における清国の敗北をきっかけにして西洋の学術に注目するようになり、和魂洋才の立場をとった。

和魂洋才を唱えた人物は、佐久間象山です。

まとめ

日本近代思想や宗教観は、江戸時代から明治時代にかけて活発化しています。

そのため、上記時代の思想や重要人物を暗記しておくとよいでしょう。

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