大学入学共通テスト(公民) 過去問
令和6年度(2024年度)追・再試験
問40 (倫理(第2問) 問1)
問題文
次の会話は、高校生CとDが、倫理の授業で日本思想について学習した後に交わしたものである。
C:ねぇ、星を見るのは好き?
D:どうしたの、急に。
C:さっきの授業でa 儒教の「天」という言葉があったでしょう。それで連想したのだけれど、私は天体観測が好きなんだ。望遠鏡を覗くのもいいけれど、肉眼で空の全体を眺めるのも好き。あんなふうに人間の手から遠く離れた天上に、美しく秩序立った世界があると思うと、なぜだかほっとするんだ。
D:そうなんだね。休みの日には遠くへ星を見に行ったりもするの?
C:うん、街の中ではなかなか見えづらいから、山へ行くこともあるよ。自然の中を歩いていると、b 自然には何か大きな力があるって感じるんだ。
D:そうか、それは素敵だね。私はね、模型を組み立てたり、自分でパソコンを作ったりしていると楽しくって。自分で整然としたシステムを作り上げていくことにわくわくするんだ。少し前の授業で仏教について習ったときも、c 現実社会の中で理想を実現しようとした仏教者の考えに共感したんだよね。Cさんの言葉を借りれば、自分の手元で美しく秩序立った世界を作ることに、喜びを感じるのかな。
C:なるほどね。私たちの趣味はかなり違うのに、同じように秩序立ったものが好きだという共通点があるんだね。
D:そうだね、話していて初めて気がついたよ。秩序というのは面白いテーマかもしれないね。もう少し一緒に調べて考えてみようか。
下線部aに関して、近世日本の儒学者についての説明として最も適当なものを、次の回答選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(公民)試験 令和6年度(2024年度)追・再試験 問40(倫理(第2問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)
次の会話は、高校生CとDが、倫理の授業で日本思想について学習した後に交わしたものである。
C:ねぇ、星を見るのは好き?
D:どうしたの、急に。
C:さっきの授業でa 儒教の「天」という言葉があったでしょう。それで連想したのだけれど、私は天体観測が好きなんだ。望遠鏡を覗くのもいいけれど、肉眼で空の全体を眺めるのも好き。あんなふうに人間の手から遠く離れた天上に、美しく秩序立った世界があると思うと、なぜだかほっとするんだ。
D:そうなんだね。休みの日には遠くへ星を見に行ったりもするの?
C:うん、街の中ではなかなか見えづらいから、山へ行くこともあるよ。自然の中を歩いていると、b 自然には何か大きな力があるって感じるんだ。
D:そうか、それは素敵だね。私はね、模型を組み立てたり、自分でパソコンを作ったりしていると楽しくって。自分で整然としたシステムを作り上げていくことにわくわくするんだ。少し前の授業で仏教について習ったときも、c 現実社会の中で理想を実現しようとした仏教者の考えに共感したんだよね。Cさんの言葉を借りれば、自分の手元で美しく秩序立った世界を作ることに、喜びを感じるのかな。
C:なるほどね。私たちの趣味はかなり違うのに、同じように秩序立ったものが好きだという共通点があるんだね。
D:そうだね、話していて初めて気がついたよ。秩序というのは面白いテーマかもしれないね。もう少し一緒に調べて考えてみようか。
下線部aに関して、近世日本の儒学者についての説明として最も適当なものを、次の回答選択肢のうちから一つ選べ。
- 初めは僧侶であった藤原惺窩は、儒学者になってもなお、仏教の出世間的な考え方を評価し、身分的な秩序を超えてこそ心の平安があると説いた。
- 熊沢蕃山は、儒教の仁政の観点から、貧しい民衆の救済のために、山林を伐採し、新田開発を積極的に進めた。
- 林羅山は、朱子学の理や敬の考え方が形式的であり、また厳格であると批判して、日常生活での生き生きとした愛を充実させることを説いた。
- 新井白石は、朱子学者として合理性を重んじ、西洋の地理や文化にも関心を示したが、キリスト教の世界創造説は評価できないとした。
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この過去問の解説 (1件)
01
正解は「新井白石は、朱子学者として合理性を重んじ、西洋の地理や文化にも関心を示したが、キリスト教の世界創造説は評価できないとした。」です。
新井白石は将軍家宣・家継に仕えた朱子学者で、自身が書いた「西洋紀聞」では、西洋の地理や文化について述べられています。キリスト教に関しては、受け入れに強く反対していました。
各選択肢の解説は以下の通りです。
不適切
藤原惺窩は江戸時代初期の儒学者で、門人には、日本朱子学の祖と言われる林羅山がいます。惺窩の思想の軸となっていた朱子学では、身分的な秩序を重視していました。
不適切
熊沢蕃山は中江藤樹の門人であり、彼の思想は陽明学を基盤としていました。彼は「治山治水」を説き、岡山藩で治水事業や山林の保護・管理などに貢献しました。
不適切
林羅山は、日本朱子学の祖であり、朱子学の理や敬の考え方を重視していました。
適切
解説は冒頭の通りです。
朱子学、陽明学、古学の特徴や代表的な人物を、もう一度確認しておきましょう🙆♀️
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