大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和4年度(2022年度)追・再試験
問44 (日本史B(第2問) 問5)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和4年度(2022年度)追・再試験 問44(日本史B(第2問) 問5) (訂正依頼・報告はこちら)

リョウタさんとリツコさんは、歴史の授業で、古代には様々な雑穀が栽培され、食べられていたことを知った。そこで、粟(あわ)と麦についてそれぞれ調べ、授業で発表することにした。二人の発表要旨A・Bを読み、後の問いに答えよ。

A リョウタさんの発表要旨
日本の主要な穀物栽培と言えば、稲作を思い浮かべる人が多い。確かに、日本のことを「瑞穂(みずほ)(水穂)国」とも呼ぶように、水田稲作が重要な位置を占めていた。
しかし実際には、稲以外にも、様々なa 穀物が栽培されていた。特に、粟は縄文時代には一部で栽培が始まっていたという説もある。粟は古代の人々にとって身近な作物だったようで、蒸したり粥にしたりして食べられていた。
粟はやせた土地でも育つのに対し、稲は旱(かん)ばつや風水害・虫害などの影響を受けやすく、秋に不作になると食糧不足や飢饉に結びついた。それもあって、b 古代国家は飢饉に備えて、粟を貯えさせた。また、国司を通じて百姓に粟の栽培を奨励し、稲の代わりに粟を税として出すことを許可する法令を出した。

B リツコさんの発表要旨
小麦は、飢饉や夏の食糧不足を補うだけではなく、日常の食料や調味料の原材料としての需要もあった。古代国家は、c 諸国の百姓から調・庸として様々な物資を都へ納入させたが、それ以外にも、必要な物資を諸国で調達させて、都へ納入させていた。小麦が諸国から都へ納入されたことは、木簡や『延喜式』から分かる。小麦の加工品には、ヒヤムギのようなものや、縄状の団子を胡麻油で揚げたものなどがあった。
古代国家はd 農業政策の一環として麦の栽培を奨励したが、百姓が収穫前に刈り取り、馬の飼料として売却してしまうこともあった。そのため国家は、収穫前の麦を売買することを禁止し、雑穀として食用とすることの利点を国司が百姓に教え諭す法令を出した。こうして国家は、農業に基盤を置いていた百姓の生活を維持することに努めたのである。

リョウタさんとリツコさんの発表を踏まえ、クラス全員で古代の雑穀栽培についてまとめ、それぞれ意見を発表した。出された次の意見a~dについて、正しいものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

a  雑穀は飢饉対策として栽培されたので、日常的な食用は禁止された。
b  古代国家は、雑穀栽培について、国司の勧農(農業の奨励)に期待した。
c  古代の百姓は、国家が麦の栽培を奨励した意図を理解し遵守していた。
d  古代の百姓は、租を粟で納めることを認められるようになった。
  • a・c
  • a・d
  • b・c
  • b・d

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