大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問10 (世界史B(第2問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問10(世界史B(第2問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史上の諸地域における、君主を中心とする秩序のあり方について述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。

ヒンドゥー教徒の王家が君臨したヴィジャヤナガル王国は、近隣の王国を従属させて広い地域を支配した。また、主にc インド洋の海路を通じて、他地域のムスリム君主やその支配下の社会と活発に交流した。ティムール朝の創始者の子で、ウルグ=ベクの父であるシャー=ルフが派遣した使節を、ヴィジャヤナガル王が都に迎え入れたことはよく知られている。
鄭和の遠征を経て交易拠点として発展した東南アジアの( イ )では、君主がイスラーム教に改宗したが、ヴィジャヤナガル王が改宗したことは確認できない。それでもヴィジャヤナガル王国では、d イクター制に類似した制度が施行されたり、西アジアの衣服を模倣した装束が王国支配層の間で着用されたりした。歴代の王たちは、ムスリム中心の地域から文化や制度を選択的に取り入れ、独自のやり方で用いる方針を採っていたのである。
君主の称号には、君主の事績や政治的な方針、姿勢などが反映されている。ヴィジャヤナガル王の称号の一つに「ヒンドゥー王たちの中のスルタン」と訳せるものがある。上記のような方針を踏まえると、この称号はヴィジャヤナガル王が、( ウ )と推測できる。

下線部cに関連して、次の文あ・いは、インド洋の海路を用いた人の移動や交流に関する事柄である。前の文章で言及されているシャー=ルフによる使節派遣を含めて、これらが年代の古いものから順に正しく配列されているものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

あ  ヴァスコ=ダ=ガマが、カリカットに到達した。
い  チョーラ朝が、東南アジアに遠征した。
  • あ → い → シャー=ルフによる使節派遣
  • あ → シャー=ルフによる使節派遣 → い
  • い → あ → シャー=ルフによる使節派遣
  • い → シャー=ルフによる使節派遣 → あ
  • シャー=ルフによる使節派遣 → あ → い
  • シャー=ルフによる使節派遣 → い → あ

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この過去問の解説 (1件)

01

インドから東南アジアにかけての歴史知識を問う問題でした。

選択肢1. あ → い → シャー=ルフによる使節派遣

ヴァスコ=ダ=ガマが、カリカットに到達したのは1498年であり、チョーラ朝が、東南アジアに遠征したのは1017年と1025年のことであり、順番が誤っています。

選択肢2. あ → シャー=ルフによる使節派遣 → い

シャー=ルフによる使節派遣が行われたのは15世紀の前半のことなので、ヴァスコ=ダ=ガマが、カリカットに到達した時期よりは年代が前になります。よって誤りです。

選択肢3. い → あ → シャー=ルフによる使節派遣

チョーラ朝が、東南アジアに遠征したことが最初に来るのは正しいのですが、その後の順番が正しくないので誤りです。

選択肢4. い → シャー=ルフによる使節派遣 → あ

3つの歴史的な事柄が正しく並べられているので正解です。

選択肢5. シャー=ルフによる使節派遣 → あ → い

シャー=ルフによる使節派遣は最初ではなく、2番目に来なければなりません。また、その後の順番も正しくないので誤りです。

選択肢6. シャー=ルフによる使節派遣 → い → あ

シャー=ルフによる使節派遣が最初に来ているのが誤りです。

まとめ

チョーラ朝が11世紀に全盛期を迎えていたこと、シャー=ルフがティムール朝の君主であり、ティムール朝が15世紀中頃に全盛期を迎えていたこと、ヴァスコ=ダ=ガマが大航海時代の人物であることが知識としてあれば解けた問題です。インド、中央アジア、東南アジアの王朝と主な君主について整理しておきましょう。

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