大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問9 (世界史B(第2問) 問3)
問題文
a ハンガリー王国の王冠は13世紀以降、「聖イシュトヴァーンの王冠」と呼ばれるようになり、b 代々の国王に継承されてきた。16世紀には、オスマン帝国との戦争でハンガリー王が戦死したため、王の義理の兄に当たるハプスブルク家の人物が国王に即位した。しかし、その後、ハプスブルク家は、国のあり方をめぐり、貴族と度々対立することとなる。ハンガリーの王位の継承には、貴族など国内の有力者層が集まる議会の承認が必要であったため、ハプスブルク家は妥協することもあった。例えば、18世紀に、男子の継承者が見込めない状況で、マリア=テレジアがハンガリー王に即位することができたのは、貴族に対して譲歩したからである。彼女の息子である( ア )も、統治に当たって、貴族の激しい抵抗に直面することとなった。
前の文章から読み取れる内容あ・いと、空欄( ア )に入れる人物について述べた文X・Yとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
文章から読み取れる内容
あ 18世紀に「聖イシュトヴァーンの王冠」を女性が継承することがあった。
い ハプスブルク家は、13世紀に「聖イシュトヴァーンの王冠」を継承した。
空欄( ア )に入れる人物について述べた文
X この人物は、宗教寛容令を発した。
Y この人物は、フランス王フランソワ1世と対立した。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問9(世界史B(第2問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
a ハンガリー王国の王冠は13世紀以降、「聖イシュトヴァーンの王冠」と呼ばれるようになり、b 代々の国王に継承されてきた。16世紀には、オスマン帝国との戦争でハンガリー王が戦死したため、王の義理の兄に当たるハプスブルク家の人物が国王に即位した。しかし、その後、ハプスブルク家は、国のあり方をめぐり、貴族と度々対立することとなる。ハンガリーの王位の継承には、貴族など国内の有力者層が集まる議会の承認が必要であったため、ハプスブルク家は妥協することもあった。例えば、18世紀に、男子の継承者が見込めない状況で、マリア=テレジアがハンガリー王に即位することができたのは、貴族に対して譲歩したからである。彼女の息子である( ア )も、統治に当たって、貴族の激しい抵抗に直面することとなった。
前の文章から読み取れる内容あ・いと、空欄( ア )に入れる人物について述べた文X・Yとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
文章から読み取れる内容
あ 18世紀に「聖イシュトヴァーンの王冠」を女性が継承することがあった。
い ハプスブルク家は、13世紀に「聖イシュトヴァーンの王冠」を継承した。
空欄( ア )に入れる人物について述べた文
X この人物は、宗教寛容令を発した。
Y この人物は、フランス王フランソワ1世と対立した。
- あ ― X
- あ ― Y
- い ― X
- い ― Y
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この過去問の解説 (1件)
01
オーストリアとハンガリーの関係に関する知識が問われました。
文章から読みとれる内容について、聖イシュトヴァーンの王冠は正統なハンガリー王の証となる王冠であり、マリア=テレジアは1741年にハンガリー国王になっているので聖イシュトヴァーンの王冠を継承しています。空欄(ア)にあてはまる人物はヨーゼフ2世であり、この人物は宗教寛容令を発しました。よって正解です。
文章から読みとれる内容については正しいのですが、Yのフランソワ1世は15世紀から16世紀にかけてのフランス国王なので、ヨーゼフ2世と対立することはありませんでした。よって誤りです。
1699年にオスマン帝国との間に結ばれたカルロヴィッツ条約によって、ハプスブルグ家はハンガリーを領有するようになり、聖イシュトヴァーンの王冠を継承しました。13世紀には継承していません。よって誤りです。
文章から読みとれる内容も、空欄(ア)にあてはまる人物についての説明も正しくありません。よって誤りです。
いきなり「聖イシュトヴァーンの王冠」という語句が登場して驚いたかもしれませんが、この言葉を知らなくても、オーストリアがいつからハンガリーを支配下に置いたのかがわかれば解ける問題でした。オーストリアとハンガリーの関係を整理しておくといいでしょう。
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