大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問8 (世界史B(第2問) 問2)
問題文
a ハンガリー王国の王冠は13世紀以降、「聖イシュトヴァーンの王冠」と呼ばれるようになり、b 代々の国王に継承されてきた。16世紀には、オスマン帝国との戦争でハンガリー王が戦死したため、王の義理の兄に当たるハプスブルク家の人物が国王に即位した。しかし、その後、ハプスブルク家は、国のあり方をめぐり、貴族と度々対立することとなる。ハンガリーの王位の継承には、貴族など国内の有力者層が集まる議会の承認が必要であったため、ハプスブルク家は妥協することもあった。例えば、18世紀に、男子の継承者が見込めない状況で、マリア=テレジアがハンガリー王に即位することができたのは、貴族に対して譲歩したからである。彼女の息子である( ア )も、統治に当たって、貴族の激しい抵抗に直面することとなった。
下線部bに関連して、ヨーロッパにおける君主について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問8(世界史B(第2問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
a ハンガリー王国の王冠は13世紀以降、「聖イシュトヴァーンの王冠」と呼ばれるようになり、b 代々の国王に継承されてきた。16世紀には、オスマン帝国との戦争でハンガリー王が戦死したため、王の義理の兄に当たるハプスブルク家の人物が国王に即位した。しかし、その後、ハプスブルク家は、国のあり方をめぐり、貴族と度々対立することとなる。ハンガリーの王位の継承には、貴族など国内の有力者層が集まる議会の承認が必要であったため、ハプスブルク家は妥協することもあった。例えば、18世紀に、男子の継承者が見込めない状況で、マリア=テレジアがハンガリー王に即位することができたのは、貴族に対して譲歩したからである。彼女の息子である( ア )も、統治に当たって、貴族の激しい抵抗に直面することとなった。
下線部bに関連して、ヨーロッパにおける君主について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- ルイ=ナポレオンが、国民投票(人民投票)によって、フランス皇帝となった。
- カール=マルテルの子であるピピンが、メロヴィング朝を開いた。
- 神聖ローマ皇帝カール4世が金印勅書を発し、皇帝選挙の手続きを廃止した。
- ザクセン選帝侯が、プロイセン=フランス戦争(普仏戦争)によって成立したドイツ帝国の皇帝位を兼ねた。
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この過去問の解説 (1件)
01
ヨーロッパの君主について問われた問題です。
ルイ=ナポレオンは、1848年に大統領選挙に圧勝して大統領になり権力を握りました。そして、1852年に新憲法を制定し、帝政復活が国民投票で承認されて皇帝となり、ナポレオン3世と称しました。ナポレオン3世による帝政を第二帝政と呼びます。よってこれが正解です。
メロヴィング朝を開いたのはクローヴィスであり、カール=マルテルの子であるピピンが開いたのはカロリング朝です。よって誤りです。
カール4世が発した金印勅書は皇帝選挙の慣習を整理して成文化したものでした。皇帝選挙の手続きを廃止したわけではありません。よって誤りです。
1871年に成立したドイツ帝国は、プロシア国王であるヴィルヘルム1世がドイツ皇帝位を兼ねました。ザクセン選帝侯がドイツ皇帝位を兼ねたわけではないので誤りです。
古代から近代までのヨーロッパの君主に関する知識が問われました。重要な君主については、国名・称号と主な業績をセットで覚えるようにしましょう。
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