大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問7 (世界史B(第2問) 問1)
問題文
a ハンガリー王国の王冠は13世紀以降、「聖イシュトヴァーンの王冠」と呼ばれるようになり、b 代々の国王に継承されてきた。16世紀には、オスマン帝国との戦争でハンガリー王が戦死したため、王の義理の兄に当たるハプスブルク家の人物が国王に即位した。しかし、その後、ハプスブルク家は、国のあり方をめぐり、貴族と度々対立することとなる。ハンガリーの王位の継承には、貴族など国内の有力者層が集まる議会の承認が必要であったため、ハプスブルク家は妥協することもあった。例えば、18世紀に、男子の継承者が見込めない状況で、マリア=テレジアがハンガリー王に即位することができたのは、貴族に対して譲歩したからである。彼女の息子である( ア )も、統治に当たって、貴族の激しい抵抗に直面することとなった。
下線部aの歴史について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。
問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問7(世界史B(第2問) 問1) (訂正依頼・報告はこちら)
a ハンガリー王国の王冠は13世紀以降、「聖イシュトヴァーンの王冠」と呼ばれるようになり、b 代々の国王に継承されてきた。16世紀には、オスマン帝国との戦争でハンガリー王が戦死したため、王の義理の兄に当たるハプスブルク家の人物が国王に即位した。しかし、その後、ハプスブルク家は、国のあり方をめぐり、貴族と度々対立することとなる。ハンガリーの王位の継承には、貴族など国内の有力者層が集まる議会の承認が必要であったため、ハプスブルク家は妥協することもあった。例えば、18世紀に、男子の継承者が見込めない状況で、マリア=テレジアがハンガリー王に即位することができたのは、貴族に対して譲歩したからである。彼女の息子である( ア )も、統治に当たって、貴族の激しい抵抗に直面することとなった。
下線部aの歴史について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- 1848年革命の際に、コシューシコの指導の下で独立政府が樹立された。
- 第一次世界大戦の講和条約として、ヌイイ条約が結ばれた。
- ミュンヘン会談の結果、ズデーテン地方がドイツに割譲された。
- 冷戦期に、ナジ=イムレ(ナジ)の政権がソ連軍によって打倒された。
正解!素晴らしいです
残念...
この過去問の解説 (1件)
01
ハンガリー史の概要が問われた問題です。教科書では地域ごとのまとまり(例 東アジア 西ヨーロッパ)で学びますが、入試では国ごとの「タテ」の歴史が問われることがよくあります。
1848年革命に際して自治政府を樹立したのはコシュート・ラヨシュです。コシューシコはポーランド独立運動を指導した軍人です。よって誤りです。
ヌイイ条約は1919年に連合国とブルガリアの間で結ばれた講和条約です。連合国とハンガリーとの講和条約はトリアノン条約です。よって誤りです。
ズデーデン地方は、チェコスロヴァキアとドイツ・ポーランドの国境地帯で、ドイツ人が数多く居住しています。1938年のミュンヘン会談でドイツに割譲されましたが、ハンガリー領ではないので誤りです。
ナジ=イムレは、ハンガリーの首相として、農業集団化政策を緩和したり、宗教に対して寛容な姿勢をとったりしたところからソ連に批判されて失脚しました。1956年に再び首相となり、複数政党制の導入やワルシャワ条約機構からの脱退を図りましたが、ソ連軍の侵入によって再び失脚し、のちに処刑されました。よって正解です。
東ヨーロッパ諸国については、テーマ問題として通史が問われることが多いので各国ごとに簡単にまとめておきましょう。特に、人物名、地名は、国と結びつけて正確に覚える必要があります。
参考になった数0
この解説の修正を提案する
前の問題(問6)へ
令和5年度(2023年度)追・再試験 問題一覧
次の問題(問8)へ