大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問6 (世界史B(第1問) 問6)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問6(世界史B(第1問) 問6) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史上の女性の権力者について述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。

中国の西安周辺を観光している菅原さんが、現地のガイドと会話をしている。

ガイド:ここは華清池(かせいち)と言い、古くから知られている温泉保養地です。( イ )と、その寵愛(ちようあい)を受けていた楊貴妃がたびたび訪れたことでも有名です。
菅原:楊貴妃については、その一族が( イ )の晩年に政治の実権を握ったことを世界史の授業で学びました。
ガイド:世界史における有名な女性という点では、b 西太后も清の同治帝時代以降に実権を握りましたね。実は彼女もかつてここに滞在したことがあるのですよ。
菅原:そうですか。なぜ彼女は西安に来たのですか。
ガイド:外国との戦争の際に、一時的に西安に逃れたのです。およそ1年半後に首都に戻り、その後も以前と同様、1908年に亡くなるまで朝廷で実権を握り続けました。なお、その時期は、清朝において光緒新政と呼ばれる改革が実施された時期と重なります。
菅原:西太后というと保守的なイメージを持っていたので、意外です。おや、あの建物には銃弾の跡がありますね。
ガイド:はい。1935年に中国共産党によってc ある宣言が出されましたが、その後( ウ )の率いる部隊があの建物を襲い、そこに滞在していた蔣介石を捕らえました。銃弾の跡はその時のものです。
菅原:共産党と国民党が接近するきっかけになったあの事件の舞台は、まさにここだったのですね。

文章中の空欄( ウ )に入れる人物の名あ・いと、下線部cの内容の一部を示す資料X・Yとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)

( ウ )に入れる人物の名
あ  張作霖
い  張学良

下線部cの内容の一部を示す資料
X  中国人民政治協商会議の第1回全体会議は自らの任務を成功裏に完了した。今回の会議には民主党派(諸党派)なども参加し、全国人民の大団結を表現した。
Y  一切の国力(人力、物力、財力、武力など)を集中させて抗日救国の神聖な事業のために奮闘できるように、まずは内戦を停止させなければならない。
  • あ ― X
  • あ ― Y
  • い ― X
  • い ― Y

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この過去問の解説 (1件)

01

八・一宣言と西安事件について問われた問題です。

選択肢1. あ ― X

張作霖は、東三省(遼寧・吉林・黒竜江)を支配する軍閥でしたが関東軍によって列車を爆破されて死亡しました。(う)にはあてはまりません。Xの宣言は1949年の中国人民政治協商会議で出された中華人民共和国建国に関連する宣言です。下線部cの内容にはあてはまりません。よって誤りです。

選択肢2. あ ― Y

Yは、内戦の停止と抗日民族統一戦線の結成を主張した八・一宣言なので、下線部cにあてはまりますが、(う)に張作霖はあてはまりません。よって誤りです。

選択肢3. い ― X

張学良は張作霖の息子で、1936年に共産党との戦闘を視察するために西安に来た蒋介石を監禁して内戦停止と抗日戦を強く要求しました。この事件を西安事件と呼びます。この事件をきっかけに抗日民族統一戦線が結成されました。(う)は張学良があてはまりますが、下線部cの内容がxになっているので誤りです。

選択肢4. い ― Y

(う)が張学良で、Yが下線部cが第1回中国人民政治協商会議で出された宣言なので、この組み合わせはどちらも正しいです。よってこれが正解です。

まとめ

近現代中国史は、国民党と共産党の関係がよく問われます。国共内戦から国共合作への変化とその契機となるできごとを整理しましょう。

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