大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問12 (世界史B(第2問) 問6)

このページは閲覧用ページです。
履歴を残すには、 「新しく出題する(ここをクリック)」 をご利用ください。

問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問12(世界史B(第2問) 問6) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史上の諸地域における、君主を中心とする秩序のあり方について述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。

ヒンドゥー教徒の王家が君臨したヴィジャヤナガル王国は、近隣の王国を従属させて広い地域を支配した。また、主にc インド洋の海路を通じて、他地域のムスリム君主やその支配下の社会と活発に交流した。ティムール朝の創始者の子で、ウルグ=ベクの父であるシャー=ルフが派遣した使節を、ヴィジャヤナガル王が都に迎え入れたことはよく知られている。
鄭和の遠征を経て交易拠点として発展した東南アジアの( イ )では、君主がイスラーム教に改宗したが、ヴィジャヤナガル王が改宗したことは確認できない。それでもヴィジャヤナガル王国では、d イクター制に類似した制度が施行されたり、西アジアの衣服を模倣した装束が王国支配層の間で着用されたりした。歴代の王たちは、ムスリム中心の地域から文化や制度を選択的に取り入れ、独自のやり方で用いる方針を採っていたのである。
君主の称号には、君主の事績や政治的な方針、姿勢などが反映されている。ヴィジャヤナガル王の称号の一つに「ヒンドゥー王たちの中のスルタン」と訳せるものがある。上記のような方針を踏まえると、この称号はヴィジャヤナガル王が、( ウ )と推測できる。

文章中の空欄( ウ )に入れる語句として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • 最後のデリー=スルタン朝を滅ぼしたことを記念し、それを誇るためのもの
  • インドの諸王の中での卓越した地位を、ムスリム君主の称号を利用して表現したもの
  • 交流があったバグダードのアッバース朝君主から与えられたもの
  • ヒンドゥー教の権威を借りて、王権を強化しようとするもの

次の問題へ

正解!素晴らしいです

残念...

この過去問の解説 (1件)

01

ヴィジャヤナガル王国の歴史に関する出題です。ヴィジャヤナガル王国は14世紀から17世紀にかけてデカン高原中央部からインド南部を支配したヒンドゥー教の国です。

選択肢1. 最後のデリー=スルタン朝を滅ぼしたことを記念し、それを誇るためのもの

最後のデリー=スルタン朝であるロディー朝を滅ぼしたのは、ムガル帝国初代皇帝のバーブルなので誤りです。

選択肢2. インドの諸王の中での卓越した地位を、ムスリム君主の称号を利用して表現したもの

ヴィジャヤナガル王が「ヒンドゥー王たちの中のスルタン」という意味の称号を名乗ったのは、ムスリムの文化や制度を選択的ながらも採り入れる中で、周囲の王たちよりもより上位の王であることを示そうとしていたと考えられるので正解です。

選択肢3. 交流があったバグダードのアッバース朝君主から与えられたもの

アッバース朝はヴィジャヤナガル王国が成立する前の1258年に滅亡しているので誤りです。

選択肢4. ヒンドゥー教の権威を借りて、王権を強化しようとするもの

「スルタン」は、イスラム教スンニ派の政治権力者の称号です。「スルタン」を称することはヒンドゥー教の権威を借りることに結びつきません。よって誤りです。

まとめ

インドはさまざまな王朝が入れ替わり現れます。王朝の名前と主な君主の名前を年代別に整理しておきましょう。

参考になった数0