大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問13 (世界史B(第2問) 問7)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問13(世界史B(第2問) 問7) (訂正依頼・報告はこちら)

世界史上の諸地域における、君主を中心とする秩序のあり方について述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。

次の資料は、1439年にシャルル7世によって出された王令の一部である。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)

資料
国王は、全ての者に対して、大逆罪をもって以下のことを禁じる。すなわち、国王の許可、同意、王令ではなかったり、国王の開封勅書によるのでなければ、いかなる身分の者であれ、何人(なんぴと)も騎兵、弓兵、その他の兵士の部隊を敢えて召集、指揮、統率したり、迎え入れたりしてはならない。同様に、国王によって選任されたいずれかの隊長の下でなければ、そして彼に命じられた人数内でなければ、何人も武装したり、いずれかの隊長などの部隊に加わってはならない。
同じく、国王は次のことを禁じる。以後、いかなる身分、資格、条件の者であっても、たとえ国王によって彼に与えられたり、割り当てられたり、また国王が彼に負った負債のためであっても、国王の保護税と御用金の金銭を徴収、押収、保有してはならない。また、国王から与えられた権限や許可もなく、自分の所領に保護税を課してはならない。

この王令は、( エ )のさなかに出された。戦いの初期はイングランド軍が優勢であったが、最終的にはイングランド王の大陸所領はカレーのみとなる。この戦いを経験するなかで、フランスでは、国王と貴族との力関係に変化が生じた。王令では、軍事とそれを支える財政について取り扱われているが、この王令が出された後、シャルル7世は軍事改革を進め、それがe フランスでの絶対王政(絶対主義)を支える組織の発展につながっていくことになる。

文章中の空欄( エ )の戦争がフランスとイングランドとの間で起こった原因について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • フランス東部にあったイングランド王家の所領をめぐって、両国は対立した。
  • 毛織物の産地であるフランドル地方において、両国の利害が対立した。
  • ヴァロワ朝の断絶に伴い、イングランド王がフランス王位の継承を主張した。
  • 両国が掲げる重商主義政策が、争いのきっかけとなった。

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この過去問の解説 (1件)

01

百年戦争に関する出題です。

選択肢1. フランス東部にあったイングランド王家の所領をめぐって、両国は対立した。

フランス国内にあったイングランド王家の所領は、主にフランス南部にありました。よって誤りです。

選択肢2. 毛織物の産地であるフランドル地方において、両国の利害が対立した。

フランドル地方は今日のベルギーを中心とした地域で、毛織物の生産が盛んでしたが、フランスが重税を課したために商工業者の反乱が起こり、有力な商人がイングランドと同盟する動きがあり、両国の利害の対立が激しくなっていました。よってこれが正解です。

選択肢3. ヴァロワ朝の断絶に伴い、イングランド王がフランス王位の継承を主張した。

ヴァロワ朝は、カペー朝の断絶によって1328年からフランスを統治するようになった王朝なので誤りです。

選択肢4. 両国が掲げる重商主義政策が、争いのきっかけとなった。

重商主義政策は16世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパの絶対主義王政諸国で行われた経済政策なので誤りです。

まとめ

百年戦争については、原因を押さえておくことはもちろん重要ですが、その結果、諸侯や騎士が疲弊し、国王の権力が強まって絶対王政に向っていったことも合わせて覚えておきましょう。

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