大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問18 (世界史B(第3問) 問3)
問題文
朝鮮王朝は、明に対して、1年に3回の定期的な朝貢使節を派遣するとともに、その他にも様々な名目で頻繁に使節を派遣した。その使節派遣の頻度は、a 明の朝貢国の中でも群を抜いていたが、その理由の一つとして、朝鮮王朝の使節が陸路のみで明の都までたどり着くことができたことが挙げられる。朝鮮王朝の使節は、通例、自国の都を出発した後、鴨緑江を越え、遼陽を通り、山海関を抜け、明の都に至った。
しかし、1621年、後に清と国号を改めた( ア )という国によって遼陽が占領されたため、翌年、賀登極使(がとうきょくし)(注)に任じられた呉允謙(オユンギョム)は、自国の都を出発した後、鴨緑江を越えず、海路を使って山東半島に至り、そこから陸路で明の都を目指した。これ以後、海路を利用した朝鮮王朝の明への使節派遣は、1636年まで続けられた。
(注)賀登極使 ― 新たな皇帝の即位(登極)を祝賀するための使節。
図中に示した、賀登極使呉允謙の出発地の都市の位置a~cと、その目的地の都市の歴史について述べた文あ・いとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
目的地の都市の歴史について述べた文
あ 太平天国の都が置かれた。
い 元の都が置かれた。

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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問18(世界史B(第3問) 問3) (訂正依頼・報告はこちら)
朝鮮王朝は、明に対して、1年に3回の定期的な朝貢使節を派遣するとともに、その他にも様々な名目で頻繁に使節を派遣した。その使節派遣の頻度は、a 明の朝貢国の中でも群を抜いていたが、その理由の一つとして、朝鮮王朝の使節が陸路のみで明の都までたどり着くことができたことが挙げられる。朝鮮王朝の使節は、通例、自国の都を出発した後、鴨緑江を越え、遼陽を通り、山海関を抜け、明の都に至った。
しかし、1621年、後に清と国号を改めた( ア )という国によって遼陽が占領されたため、翌年、賀登極使(がとうきょくし)(注)に任じられた呉允謙(オユンギョム)は、自国の都を出発した後、鴨緑江を越えず、海路を使って山東半島に至り、そこから陸路で明の都を目指した。これ以後、海路を利用した朝鮮王朝の明への使節派遣は、1636年まで続けられた。
(注)賀登極使 ― 新たな皇帝の即位(登極)を祝賀するための使節。
図中に示した、賀登極使呉允謙の出発地の都市の位置a~cと、その目的地の都市の歴史について述べた文あ・いとの組合せとして正しいものを、後の選択肢のうちから一つ選べ。
目的地の都市の歴史について述べた文
あ 太平天国の都が置かれた。
い 元の都が置かれた。

- a ― あ
- a ― い
- b ― あ
- b ― い
- c ― あ
- c ― い
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この過去問の解説 (1件)
01
明と朝鮮王朝との関係を問う問題です。
aは平壌で、朝鮮王朝の都ではありません。また、太平天国の都が置かれたのは南京であり、目的地の都市ではありません。よって誤りです。
明の都である北京には元の都が置かれましたので、目的地の歴史は正しいのですが、aは平壌で、朝鮮王朝の都ではありません。よって誤りです。
bは朝鮮王朝の都である漢城(現ソウル)なので、出発地の都市の位置は正しいのですが、太平天国の都が置かれたのは南京であり、目的地の都市ではありません。よって誤りです。
bは朝鮮王朝の都である漢城(現ソウル)なので、出発地の都市の位置は正しく、明の都である北京には元の都が置かれましたので、目的地の歴史も正しいので、これが正解です。
cは釜山で、朝鮮王朝の都ではありません。また、太平天国の都が置かれたのは南京であり、目的地の都市ではありません。よって誤りです。
明の都である北京には元の都が置かれましたので、目的地の歴史は正しいのですが、cは釜山で、朝鮮王朝の都ではありません。よって誤りです。
朝鮮半島を統一した王朝の都の名前と位置を整理しておきましょう。
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