大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問19 (世界史B(第3問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問19(世界史B(第3問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

古来、人は果敢に移動することによって、互いに影響を与え合い、歴史が展開されてきた。そうした人の移動の歴史について述べた次の文章を読み、後の問いに答えよ。

あるクラスで、次の図を用いて世界史の授業が行われている。


省略
(フェルナン=ブローデル(濱名優美訳)『地中海』より作成)

先生:歴史家ブローデルは、国境によって分断されがちな各国史や、キリスト教対イスラーム教といった対立軸よりも、地理的環境を共有する「地中海世界」というまとまりを重視し、国を越える人やモノ、情報の流れの重要性を強調しました。実際、海と陸を通じて頻繁に書簡がやり取りされ、様々な情報が伝達されていました。
林:以前の授業では、b 北イタリアの諸都市の商人が、それぞれの都市を拠点に広く活動し、またムスリム商人も、地中海を含め、広範囲に活躍していたことを学びました。
先生:そうでしたね。ブローデルは、彼の著書『地中海』で、北イタリアの都市の一つであるヴェネツィアを取り上げています。図を見てください。c この図は、 15世紀末から16世紀前半までの時期を扱ったもので、図にある実線は、この時期に、各地からヴェネツィアに送られた書簡が、到着するまでに要した平均期間の1週間ごとの広がりを表したものです。
林:図の右隅に「イスタンブル」と記されていますが、この時代、イスタンブルからヴェネツィアまでの所要期間は、平均で5週間余りというわけですね。それにしても、遠方のイスタンブルからヴェネツィアに、書簡が頻繁に送られていたのですか。
先生:はい。実は、図に示された時代の「地中海世界」の多くの部分は、オスマン帝国によって支配されていました。そのような事情もあり、オスマン帝国の都であったイスタンブルにもヴェネツィアの領事が常駐し、頻繁に報告書を送っていたのです。
林:ヴェネツィアとオスマン帝国との間にはそのような交流があったのですか。両国はある程度共存していたのですね。ただ授業では、この時代にオスマン帝国とヨーロッパ諸国との間で、覇権を争う戦いが行われ、時にヨーロッパ諸国が勝利したこともあったと学びました。
先生:そうですね。例えば、ブローデルも『地中海』の後半部分において大きく取り上げている( イ )の海戦は、スペインとヴェネツィアなどからなるヨーロッパ諸国の連合艦隊がオスマン帝国の艦隊を打ち破った戦いとして知られています。( ウ )。

下線部bについて述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
  • イタリアの諸都市は、東方貿易によって主に木材などの生活必需品を取引した。
  • 第4回十字軍は、ジェノヴァ商人の要求により、コンスタンティノープルを攻撃した。
  • ザンベジ川流域のトンブクトゥは、交易都市として繁栄した。
  • アフリカ東岸のマリンディやザンジバルは、ムスリム商人によるインド洋交易の拠点となっていた。

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