大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問23 (世界史B(第4問) 問2)
問題文
次の資料は、後のインド総督カーゾンの著作(1889年)の一部である。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
資料
アフガニスタンが、「東洋」の他の部分と同じくa 「ロシアのくびき」を欲していることを、ロシア人の側では、傲慢な自己満足とともに確信している。アフガン人は、自身の独立と部族組織の保持を自分たちの目的としているため、現在の状況はさておいても、二大帝国から得られる利益の違いはほとんどないと考えている。しかしながら、ロシアの進出が併合そのものを意味するのに対して、イギリスはアフガンの自由に干渉しようと望んでいないことをはっきり示してきたので、イギリスにとっての明白な強みがある。
19世紀のグレートゲームと呼ばれる大国の覇権争いのなかで、インドから北上するイギリスと、南下して中央アジアへの支配を進めるロシアとは、アフガニスタンをめぐって対抗していた。この資料は、14世紀にロシアが( ア )に支配されていた歴史を揶揄(やゆ)しつつ、1886年前後の状況を示していると考えられる。この時アフガニスタンはイギリスの保護国となっていたが、ロシアも引き続き介入を模索し、両国の緊張関係は東アジアにも及んでいった。なお、資料がイギリス本位の記述になっていることには注意を要する。例えば資料中の「ロシアの進出」について、ロシアが実際にアフガニスタンを併合しようとしていたとは考えにくいが、イギリス側が過度に警戒していたことがうかがえる。当事者であるアフガニスタン、またイギリスと対抗するロシアの立場からは、同じ出来事について異なった解釈があり得ることに留意しなければならない。
上記の文章に見られる、イギリスのロシアに対する態度の背景になったと考えられる19世紀の出来事について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
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問題
大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問23(世界史B(第4問) 問2) (訂正依頼・報告はこちら)
次の資料は、後のインド総督カーゾンの著作(1889年)の一部である。(引用文には、省略したり、改めたりしたところがある。)
資料
アフガニスタンが、「東洋」の他の部分と同じくa 「ロシアのくびき」を欲していることを、ロシア人の側では、傲慢な自己満足とともに確信している。アフガン人は、自身の独立と部族組織の保持を自分たちの目的としているため、現在の状況はさておいても、二大帝国から得られる利益の違いはほとんどないと考えている。しかしながら、ロシアの進出が併合そのものを意味するのに対して、イギリスはアフガンの自由に干渉しようと望んでいないことをはっきり示してきたので、イギリスにとっての明白な強みがある。
19世紀のグレートゲームと呼ばれる大国の覇権争いのなかで、インドから北上するイギリスと、南下して中央アジアへの支配を進めるロシアとは、アフガニスタンをめぐって対抗していた。この資料は、14世紀にロシアが( ア )に支配されていた歴史を揶揄(やゆ)しつつ、1886年前後の状況を示していると考えられる。この時アフガニスタンはイギリスの保護国となっていたが、ロシアも引き続き介入を模索し、両国の緊張関係は東アジアにも及んでいった。なお、資料がイギリス本位の記述になっていることには注意を要する。例えば資料中の「ロシアの進出」について、ロシアが実際にアフガニスタンを併合しようとしていたとは考えにくいが、イギリス側が過度に警戒していたことがうかがえる。当事者であるアフガニスタン、またイギリスと対抗するロシアの立場からは、同じ出来事について異なった解釈があり得ることに留意しなければならない。
上記の文章に見られる、イギリスのロシアに対する態度の背景になったと考えられる19世紀の出来事について述べた文として最も適当なものを、次の選択肢のうちから一つ選べ。
- ロシアが、日本に遼東半島返還を求めた。
- ロシアが、コーカンド=ハン国を併合した。
- ロシアが、バルト海に進出し新首都を建設した。
- ロシアが、クリミア半島をオスマン帝国から奪った。
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この過去問の解説 (1件)
01
中央アジアにおけるロシアの南下に関する問題です。
ロシアが日本に遼東半島返還を求めたことは、日本の大きな反発を招き、日露戦争の原因となりますが、イギリスは遼東半島に権益を持っていないため、このできごとによってイギリスのロシアに対する態度に大きな変化は生じませんでした。よって誤りです。
コーカンド=ハン国は、18世紀後半から19世紀前半にかけて、現在のウズベキスタン周辺で栄えていた国ですが、ロシアの侵攻を受けて1867年にロシアに併合されました。ロシアによる中央アジアへの進出に対して、イギリスは、自国のインド支配を脅かすものと考え、ロシアへの警戒を強めました。よって正解です。
ロシアがバルト海に進出して新首都サンクトペテルブルクを建設したのは18世紀初期のことなので、19世紀の出来事ではありません。よって誤りです。
ロシアがクリミア半島にあったクリム=ハン国を併合したのは18世紀後半のことです。19世紀の出来事ではありませんので、正しくありません。クリム=ハン国を併合したときのロシア皇帝は、啓蒙専制君主であるとともに、領土拡大を推し進めたエカチェリーナ2世です。覚えておきましょう。
ロシアの南下政策は主としてヨーロッパ、中央アジア、東アジアに対して行われました。19世紀前半まではヨーロッパに対する働きかけが中心でしたが、19世紀中頃にクリミア戦争で敗れてからは中央アジアや東アジアへの進出が目立つようになりました。
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