大学入学共通テスト(地理歴史) 過去問
令和5年度(2023年度)追・再試験
問48 (日本史B(第3問) 問4)

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問題

大学入学共通テスト(地理歴史)試験 令和5年度(2023年度)追・再試験 問48(日本史B(第3問) 問4) (訂正依頼・報告はこちら)

高校生のアユムさんとリョウさんは、所属する日本史探究部で、「中世の人々の暮らしと考え方」について研究発表することになった。発表について相談する二人の会話を読み、後の問いに答えよ。(史料は、一部省略したり、書き改めたりしたところもある。)

アユム:中世の人々の暮らしって、現在の私たちとは大きく異なるところがあるよね。家の造りや生活様式など、目に見える部分だけじゃなくて、様々な単位なんかも、今とは全く違っているし。
リョウ:そうそう。以前に荘園の現地で年貢の収納などに使われていた枡(ます)について触れた文章を読んだけど、播磨国にある矢野荘っていう荘園には、年貢収納のための枡が複数あって、それぞれ容量が違うんだって。
アユム:それはびっくりだよね。せっかく、後三条天皇がa 延久の荘園整理令の時に新しい枡を作って容量の統一を試みたのにね。同じ大きさの枡で量った方が便利だし、合理的だと思うんだけど。そういえば、豊臣秀吉も枡を統一しようとしてなかったっけ。
リョウ:b 太閤検地を実施する際に使った枡のことだよね。太閤検地では統一的な枡や尺度を定めて実施したところが新しいよね。とはいえ、その後も各地では独自の枡や尺度を用いていたところもあったみたいだけど。
アユム:中世では様々な大きさの枡が使われたけど、統一政権ができたことで、だんだんと統一される方向に進んでいったのかな。
リョウ:そうなのかもね。でもやっぱり、c 容量の違う枡が同じ荘園で使われていたり、容量が違う枡を使って年貢を量っていたりする理由が気になるよね
アユム:本当に、中世の人々の考え方って不思議だよね。
リョウ:面白い研究発表のテーマだから、中世の枡についてもっと調べてみようよ。

下線部cに関連して、次の問いに答えよ。

リョウさんは、室町時代の播磨国矢野荘の枡に関する表を作成した。矢野荘では、公田と重藤十六名(みょう)で異なる容量の枡を使って年貢が収納されていた。また、荘園領主の東寺は、収納した年貢を「下行(げぎょう)枡」という別の枡で寺僧たちに配分していた。アユムさんは、荘園領主の東寺が矢野荘の代官(荘官)に指示している史料1と、代官が荘園領主に返答している史料2を見つけた。次の表と後の史料1・2に関して述べた後の文a~dについて、正しいものの組合せを、後の選択肢のうちから一つ選べ。

史料1 東寺の指示
公田の枡と重藤十六名の枡とは、大きさが違うという。それなのに、重藤十六名で公田の枡を用いるのはけしからんことである。今後は、公田と重藤十六名とで、それぞれの枡を使って年貢を勘定しなさい。
(「東寺百合文書」大意)

史料2 代官の返答
公田の枡と重藤十六名の枡との大きさの違いはわずかにすぎませんが、その差額は先年より代官の得分となっていたはずです。この先例の通りにしてください。
(「東寺百合文書」大意)

a  東寺が重藤十六名の枡で収納した年貢米を下行枡で支給すると、東寺のもとに余分の米が残ったと考えられる。
b  公田で重藤十六名の枡が使われたのは、百姓たちの年貢負担が公田の枡を使うよりも少ないからと考えられる。
c  東寺は、枡の容量の違いによって生じた差額は代官の支払いとするのが先例であると主張している。
d  代官は、枡の容量の違いによって生じた差額は代官の収益とするのが先例であると主張している。
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  • a・c
  • a・d
  • b・c
  • b・d

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